普通の人は、人生の目的を考えることなく、漠然と人生を送っています。そうした人は、問題に直面すると、たいていの場合、問題から逃げ出します。しかし、根本的な問題は解決していないため、別の形で問題に直面します。逃げ出さなかったとしても、弱々しく状況に屈してしまいます。どちらの場合でも、進化する魂が学ぶべき教訓を得られません。適切な人生観なしでは、人は下等生物のように生きることになります。低レベルな感覚におぼれながら、基本的な欲求や本能を満足させるだけに生きることになるのです。人生観が誤っていると、物質主義に傾倒します。これは、神の霊性をおろそかにすることですから、不適切です。結果、日常で直面する人生の変化や矛盾に、適切に対応できないのです。私たちが提案するのは、宇宙の法則や永遠の目的に基づいた、形而上学的な哲学です。内なる神性や、魂の形而上学的な自覚について、意識が高まると、この哲学が生まれます。この形而上学的な哲学においては、物質主義的な信念や信条は、すべて、霊的により崇高な考え・行動に置き換えられます。例えば、科学によれば、私たちは誰でも、いくつかの本能的な衝動を持っているそうです。衝動は、人生への情熱に火をつけるものです。こうした本能は、以下のように要約できるでしょう。




1)自己保存本能


2)自己永続化本能


3)群集本能


4)宗教本能




これらの本能は、心理学ではよく知られています。ですから、これらを説明するのに時間を割くのはやめます。代わりに、霊的な見地から、これらの本能を分析します。本能に隠された超自然的な性質を探りましょう。





自己保存本能




進化が進むと、この原始的な本能は、人の魂に向けらます。そして、自己保存本能は、覚醒した意識の中で、ハイヤーセルフを呼び覚まし、保持しようとするのです。聖パウロはこれを内なるキリストの形成と呼びました。人は霊的に変化を遂げると、ロウワーセルフや歪んだエゴをなくします。そして、自分自身の分身である真の自己を保存します。こうして、真の自己に内在する神は保存・維持され、生き続けます。ですから、死を超越できるのです。自分の未来について、誤ったイメージや考えを信じてて自分自身に限界を設けぬよう、気をつけてください。目に見えるものは偽りです。現実は目に見えないのです。神は人間の原型の姿を、美しく創り上げました。ですから、偽りのものを心の拠りどころにするのは、やめましょう。





自己永続化本能




自己永続本能は、生物としての人間が持つ、創造的な衝動です。人は生殖や繁殖によって、この本能は満たそうとします。霊的な観点からすると、創造性は、人間の本質的な神性の表現、そして神聖な衝動の表現にあります。人の意志の象徴であり手段でもある手を用いて、心を通じ、外の世界に、神聖な衝動を表現するのです。内面的には、神聖な衝動によって、有機体を構成する細胞が、良質な細胞へと再生します。したがって、自己の永続化は、霊的な性質を持っています。永続する“自己”は本質的に優れており、魂の特性は、有機物や無機物の上に複製され、表現されるからです。凡庸に陥るのは、自分に限界を設け、自己認識を誤った結果です。この誤った状態から抜け出し、私たちの本当の霊的な特質を表現しましょう。そうすれば、私たちの真の潜在能力が発揮されます。自虐的になり、ロウワーセルフの状態に陥ると、ハイヤーセルフの光は遮断されてしまいます。





群集本能




人間という動物の持つ群集本能は、社交的でありたいという欲求です。自分に似た他人と行動を共にしたいという本能なのです。 “類は友を呼ぶ”という古いことわざは、この本能から生まれました。人は社会的な動物であると言われます。そして同類の他人と群れる行動の背景には、無意識の霊的な衝動があります。潜在的に、造物主と一体になり、神とひとつになるということを欲しているのです。人は、自らの創造主と、霊的にひとつになろうとします。自らが認識する自己像よりも偉大な存在と、同化したいのです。この本能的な衝動が意味することに気づかず、人は、内面でしか得られないものを、外の世界に求めます。個人同士のつながりであれ、同族者、宗教仲間などのグループでの付き合いであれ、他者と関係を持っても、魂の衝動を満たすことはできません。これらは外面的な世界に存在する、はかないものだからです。群集本能を超えることが、超意識を体得する第一歩です。人は創造主からのある種の“分離”を感じ、虚無感を覚えるため、神と一体化しようとします。私たちが覚える“分離”の感覚はすべて、力や知恵、愛などの神の美徳とは反対のものに基づいています。私たちは自分のことをただの弱く、頼りない人間だと思っています。私たちは、はかなく、限界があり、知恵が欠如していると思い込んでいます。でも、これらは誤った見方です。人に真の安らぎや幸福感、満足をもたらすのは、神との“神秘的な融合”にほかなりません。この神との一体感を強めるには、自分自身が神とひとつであるかのように話し、考え、行動する必要があります。“私と父とはひとつである”という福音書の言葉を繰り返し唱え、宣言するとよいでしょう。





宗教本能




カール・ユングは、人には宗教的な本能があり、それによって人は認識したり、信じたりすると述べています。ユングによれば、人は宗教本能ゆえに、“神”と呼ばれる自分自身よりも高次の存在に、身を捧げようと思うそうです。基本的に、この宗教本能は、霊的な暗示や解釈、群集本能の発揮と似た性質を持っています。これは実は、進化するための衝動であり、より高い意識へと向かおうとする衝動なのです。動物や植物、下等生物は、無意識に進化の流れに乗って進んでいます。信念や主義、そして意志の力が欠けていると、自ら主体的に進化することはできません。しかし、人には必要なものがすべて備わっています。どら息子が“父”の元へ戻るように、人は“父なる神”の元へ戻ります。人は“父なる神”に召されるための能力を持っているのです。私たちは、この本能は名前が誤っているか、あるいは誤解されているのではと思っています。なぜなら、この本能によって、人は宗教に永続的に従属するようになったからです。人は宗教本能の霊的な性質を知らず、スピリチュアルな生き方と、教義への傾倒を区別しました。教義と言っても、人が作ったものです。しかし、しばしば、スピリチュアルな生き方が批判され、教義への従属が称賛されることがあります。人が真理ではなく、マーヤー(幻影)や幻想、錯覚を信仰している限り、神の計画は遂行できません。人の現在の崇拝は、信仰をイメージし、考えることに向けられています。崇拝の対象については、経験に裏打ちされた本当の知識がありません。真実に向き合い、真実を人生に反映させない限り、人は真に“宗教的”になりません。神を人間化するのではなく、人が霊性を高めるべきです。




原始的な本能や形而上学の実践の法則を知ると、人生観が豊かになります。本能は、霊的な衝動を高めようとします。こうした仕組みを理解すれば、人が存在する目的について、より良い姿勢で臨めるはずです。人生の哲学は、真理に基づくべきです。また、太陽系に生命をもたらした宇宙の法則にも基づいているべきです。霊的な法則に従うと、人は自覚が高まります。霊的な法則を理解すると、人生の展望が開けますし、神との一体感が強まります。また、人生すべてに責任感を持つようになるでしょう。人生哲学に組み入れ、人生の指針とすべき宇宙の法則は、たくさんあります。例えば、愛、調和、正義、美、協調、貢献に関する法則は、自覚を高めるのに十分な教材となります。宇宙に帰依するための指針となるでしょう。神の法則は、神の啓示です。これらの法則に従って生きることで、私たちは物質的にも、心理的・霊的にも豊かな人生を送ることができます。真の自分を知り、真の自分になりたいと切望している人は多くいます。スピリチュアル・カウンセラーは、こうした人々に、宇宙の法則を教えるべきです。





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レナード・リー(通称Luxamore

形而上学講師、カウンセラー、心霊治療家、インドネシア製の神秘的な魔法のアイテム販売

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その他の非常に重要な点は、神託は、その時代、その瞬間における静かな衝動ではないということです。神託は、永遠という不変の文脈における、継続的なものなのです。このことを認識してください。神聖なる法則は、人を選ばず、作用します。

私たちは、神が人類に与えた1つの啓示を永遠に信じ、結果として、私たち自身を人間の思考の中に閉じ込めてしまうかもしれません。もしくは啓示の本質を、永遠に咲き続ける真実だと理解するでしょう。そして、神の真実は、人間の精神的・霊的な発達と等しいと考えるかもしれません。霊的な発達は、あるときは滞るかもしれませんし、別のときには発達を続けるかもしれません。したがって、形而上学者は、日常的に神意に心を通じ合わせておくと良いでしょう。そうすれば、人類の進化に適した、多くの法則や原理を見つけられます。また、霊的な真実を容易に認識し、同化する能力、つまり直感的で精神的な能力を磨くことができるでしょう。



神学の教義は、人を誤った現実の認識や理解に導きます。例えば私たちは、宇宙論や人類学について、教会から非合理的な理論を押し付けられています。しかしながら、私たちは、これらを真理とみなしています。進歩的な現代の人間の思考は、現実的で、事実や経験に基づいた知識を必要としています。しかし、教会はそれに気がつきません。盲目的な信心は現代の流れに合いません。真実に則さぬ信仰は、もはや成熟した魂を引き付けられないのです。教会の指導者たちは、人生の真の目的については触れず、深く考えることもありません。代わりに、指導者たちは、教義の上に信仰を築こうとします。救いのための“唯一の”神の子についての教義や、神罰を強調する教義、愛の神が創ったとされる永遠の地獄についての教義など、うんざりするほどの教義を説くのです。人は、真理や、真理の意味については推測するしかない状態です。しかしながら聖書では、神に与えられた人生の目的、真理とその意味、付随する事柄が明記されています。しかし、キリスト教の信者のほとんどは、これらをあまりに軽視しています。なぜなら肉体に宿った魂は、物理的な世界にいる間、魂の起源や存在の目的を忘れがちなのです。ですから、たとえ無駄に終わったとしても、形而上学者は繰り返し、大衆に人生の目的を喚起するべきです。

以下に、人間が肉体にとどまっている間に果たすべきことについてまとめた言葉を紹介します。他にも多くの言葉が残されていますが、ここでは5つだけ記載します。


1)“あなたたちは神々である”(詩編82:6、ヨハネによる福音書10:34


2)“あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい”(マタイによる福音書5:48


3)“私と父とはひとつである”(ヨハネによる福音書10:30


4)“ただ、神の国を求めなさい”(ルカによる福音書12:31、マタイによる福音書6:33


5)“知恵の初めとして知恵を獲得せよ”(箴言4:7





あなたたちは神々である


誰が詩編を書いたにせよ、その人は、人間の真の姿は神聖なものであると知っていたように思われます。死ぬ運命にある人間という肖像は、単に魂の上っ面にすぎないということも知っていたのでしょう。キリスト教徒は長い間“唯一の”神の子の存在を信じてきました。しかし、この信条は、師イエスその人が、詩編の言葉をパリサイ人や律法学者に繰り返し述べて、反論しています。「コロナ・クラス・レッスン」において、“イエス大師”はこう嘆いています。


“いわゆるキリスト教の最大の弱点の1つは、彼らは私のことを賛美し、ひれ伏し、祈りを唱える対象である神として崇めるのに、私の伝道や福音は、しばしばおろそかにされるという現実だろう…”(1986:27




そして、この“教え”のひとつは、私たち自身が神であると知ることです。そして、私たちは、神の正当で霊的な子どもだと知ることです。すべての無数の世界や領域、次元において、父母と向き合い、表現することが、人類の使命です。


繰り返します。人類愛とは神の表現、あるいは神の部分的な明示です。したがって人類は、神の息子であり娘なのです。私たちが自分自身を低く見るのは、ナザレ人の真理の言葉を軽視することと同じです。聖書からのこの言葉は、人類は、この世において覚醒し、いずれは真理を悟るべきだと訴えています。この真理は、死に至る状況や運命から、人間を解放します。





あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい


私たちは、完全になることは不可能であると信じていますが、これは誤りです。しかし、私たちがもし不完全なら、ナザレ人は上の言葉を残さなかったでしょう。この言葉は、単なる提案としてではなく、戒律として理解するべきです。確かに、一義的には、完全になることは不可能と言えます。なぜなら、完全さとは魂の静的な状態でなく、より高い理想に向かって常に成長し続けたいという欲求だからです。(例えば、完全な人間は、未発達で不完全な神にしかすぎません)しかしながら、神が人類に与えた目標は、すぐにでも達成できます。神は人類に完全を体現するという目標を授けました。実のところ、これは霊魂が再生を繰り返す目的のひとつです。完全さは1度の人生では達成できないのは明らかです。それゆえに、魂は転生しようとするのです。転生することで魂は成長し、イスラム教で言うところの“インサン・カミル”(完全な人間)というレベルに達するのです。完全な人間とは、心理的・霊的な面において、2つの相反する性質を備えています。錬金術師や神秘主義者はこのことを知っていました。そしてカール・ユングがこの原理を再発見したのです。ユングは、社会における心理的な病は、多くの相反する性質が統合されないために発症すると信じました。サイコ・スピリチュアルや精神生物学の観点から簡潔にまとめると、完全さは、男女の陽性が個人の中で調和して結ばれたときに、手に入ります。そして、原理を常に意識し、両性を備えて原理を機能させると、完全になれるでしょう。以下に、男性と女性に関連する、いくつかの要素を記します。





女性


右脳


直感


下垂体


交感神経


共感・理解


潜在意識


想像力


クンダリニー・シャクティ(命のエネルギー)


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男性


左脳


知性


松果体


中枢神経


力・知恵


顕在意識


意志


シヴァ聖霊





不完全とは真実のようにも見えます。しかし、生命は神の表現であり、生命そのものは完全なのです。完全な人間など幻想だと信じることは、宇宙は偽りであると信じることです。とはいえ完全な人間が実在する姿など、めったに見られません。また、完全な人間とは、たいていの場合、肉体を持たずに生きています。それでも完全となるための条件は満たしているのです。神の国の住人たちは、人間の感覚からすれば完全な者たちなのです。



私と父とはひとつである


これは真理です。おそらく、この言葉は人の意識を自然に表したものでしょう。神との内なる統一を肯定し、喚起させる言葉というより、意識の表現と考えられます。ある種の宗教における原理主義者は、人がこの“私と父とはひとつである”という真実を明確に述べることを冒涜と考えるかもしれません。しかし、霊的な見地からすれば、それは誤りです。神からの分離という考えこそ、神への冒涜です。諸悪の根源は、神からの分離にあります。すべての命との統一に意識を向ければ向けるほど、人は霊的に成長します。命はあらゆる意識を進化させます。唯一の神とひとつになり、各々の個性に気づくまで進化するのです。魂が意志を働かすようになると、この進化が加速します。命そのものの力によって、進化が速まるのです。しかしながら、意志はしばしば誤った方向へと向かいます。そうして、人間は目的に対して妥協します。結果として、神や永遠、神の姿を感じられなくなるのです。





ただ、神の国を求めなさい


表面的な世界において、永遠の安らぎや満足感、幸せを求めると、失敗に終わります。家に、人に、そして銀行口座などに物質的なものをたくさん積み上げても、いずれ魂が虚無感を覚えるだけです。私たちの周りにある物はすべて、本質的に、はかない物です。したがって、私たちが霊的に、あるいは精神的、感情的に幸福を得るために、周りの物に依存しても、幸せは長く続きません。カエサルのローマ帝国でも、財宝があふれる王国でも、永遠に価値のあるものなど手に入りません。永遠の価値は内面にあるのです。魂の永続を支えるようなものを求めましょう。物を追求するのではありません。神の国は内面に、そして身近にあります。キリスト教の神学で定められたような場所ではありません。すなわち、天空の楽園でもなく、いつ来るの分からない最後の審判の日に信心深い者だけが入る場所でもありません。天国は精神的な原型として存在するのです。天国は、私たちの意識の中に現れ、実在するはずです。内なる神の国は、内面における現実なのです。人生は私たちが外面的な現実、すなわち俗世にいながら、神の国に気づくよう、導いています。神の国を知った後に、地上で神の国をうまく出現させられるかどうかは、私たち次第です。私たちは豊かさを実現するかもしれませんし、そうでないかもしれません。それでも、聖書で、神がすべての涙をぬぐい去ると約束されていますから、苦しみが過去のものになるのは確かです。神の国がうまく現れるかどうかは、私たちの考え方や生き方にかかっています。意識を高め、集中することが大切です。





知恵の初めとして知恵を獲得せよ




伝説では、ソロモンは人類史上、最も賢い者の1人とされています。上の言葉はその賢者ソロモンの言葉ですから、言葉にいっそうの重みが感じられます。ソロモンは、古代イスラエルの王で、エルサレム神殿を築きました。知恵というのは、2種類に分類されるでしょう。世慣れた人間の生活上の知恵と、賢者の霊的な知恵です。賢者の霊的な知恵は、世慣れた人間の知恵と比べて、視野が広く、あらゆるものを包含しています。知恵とはすなわち、魂を知り、魂を愛し、魂を望むということです。これは、社会に生きる人間に内在する、霊魂の三位一体の一面です。人間の生きる世界で、この三位一体を発揮すれば、日常の体験もうまく同化することができます。ヒンドゥー哲学では、知恵は、いわゆる下界において、ヴィヴェーカ(区別知)とヴァイラーギャ(無執着)を発揮することと定義されています。現実と非現実について区別すること、そして非現実と虚偽から離れることが知恵です。瞑想や内省、祈りは、魂の知恵を覚醒させる基本的な方法です。知識を霊的に理解すれば、知恵が得られます。そして知恵を得れば、悟りも開けます。悟りを開けば、魂は自動的に救済されるでしょう。知恵なくしては、人は愚かな過ちをおかしながら人生を送ることになります。カルマを抱え、サマーラ(輪廻)を繰り返し、下界を生き続ける苦しみを味わうでしょう。したがって知恵は、解放するという性質を持っていると言えます。この解放という性質により、知恵は人を現実へと向けます。知恵は獲得すべき“本質的なもの”と考えられます。



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魔術書「影の書」を作成するには




自分だけのオリジナルの「影の書」を作れば、魔法の力をいっそう有効に活用できるでしょう。「影の書」を作るには、プラスチック製の3穴のリングバインダー1つ、綿、数枚の布、接着剤が必要です。

バインダーを開いてテーブルの上に置きましょう。


次に、綿をバインダーの下に広げます。綿をバインダーの外側に貼りつけるため、バインダーの形に沿って、綿に切り取り線の印をつけてください。


綿に印をつけたら、はさみを使い、印に沿って切りましょう。




次に、再び、綿の上にバインダーを置きます。そして、バインダーの片側を持ち上げ、表面を縁取るように熱接着剤を塗ります。最後に、バインダーの表紙の縁を押し、綿をバインダーにしっかりくっつけてください。




まず片側の表紙に綿を貼り、次に背表紙に、最後に裏表紙に綿を貼りつけましょう。


綿がバインダーにしっかりとくっつき、バインダーの端まで、しっかりと綿で覆われているようにしましょう。



バインダーは簡単に開け閉めできるようにしないといけません。




さて、今度は綿のついたバインダーを好きな布で覆います。綿を貼ったバインダーを、選んだ布の上に置いてください。自分の好きな模様が「影の書」の表紙に来るよう注意して、布の位置を決めましょう。(つまり、あなたのイメージどおりの表紙になるよう計算して、バインダーを布の上に置くということです)




次に、バインダーの5センチほど外側に、サインペンで切り取り線をつけます。


今、描いた線に沿って、布をはさみで切りましょう。これでバインダー覆うのに完璧な大きさの布ができました。(バインダーより5センチ大きめの布ができたはずです)




次に、今、裁断した布の上に、綿を貼ったバインダーを置きましょう。布がバインダーの周りに、均等に5センチ幅ずつ余っていることを確認してください。(バインダーは開いた状態で置きます)


バインダーの片側を持ち上げて、綿を縁取るように熱接着剤を塗ります。


今度は同じ側の布を綿にくっつけるように上げます。そして、接着剤がまんべんなく布につくよう、トントンとたたきます。そっと布を手でなでつけ、滑らかにしましょう。


背表紙や裏表紙の部分も同様にします。




この処理が終わったら、バインダーの表に貼った綿が布で覆われているはずです。バインダーの外側には5センチ幅で布が余っているはずですので、ステップ6でこの処理に取り掛かります。




では、バインダーを開いて目の前のテーブルに置きましょう。余った布の一辺をバインダーの内側に引っ張ります。布がたるまないよう、十分に引っ張ってください。


布がバインダーの内側の、どの辺りまでくるか分かりましたね。そうしたら、内側の一辺に熱接着剤を塗ってください。そっと布を引っ張り、接着剤がしっかりくっつくように、布をなでつけましょう。


開いたバインダーの4つの辺すべてに、同様の処理を施します。そうすると、バインダーの周りに余っていた5センチ幅の布がバインダーの内側に収まるはずです。でも、角の布は余ったままでしょうから、ステップ7で処理します。




次に、バインダーの内側の角にきれいにたためるように、それぞれの布の角部分をはさみで切ります。きれいに切ったら、熱接着剤を使ってバインダーの内側にくっつけましょう。


4つの角すべてに、この処理を施します。




これで素敵な表紙の(綿が詰まった)「影の書」ができました。


次のステップで、中もきれいに見えるよう、内側にカバーをつけます。


厚紙を切って、四角い紙を2つ作ります。それぞれの紙は、バインダーの内側を完璧に覆える大きさにしてください。




次に、布を2きれ分、裁断します。それぞれの布は、厚紙の片面をすっかり覆うくらいの大きさにしてください。厚紙の大きさより2.5センチほど大きめに切りましょう。


今切った布の上に、厚紙を置きます。そっと布の端を折り、厚紙の縁に合わせて、ボンドで貼りつけます。


はさみを使って布の角を切り、丁寧にたたみます。(バインダーの角の処理と同じ要領です)そして、厚紙の角にボンドを塗り、たたんだ布の角をきれいにくっつけてください。




最後に、厚紙をバインダーの内側に置きます。布を貼った面が上にくるようにしてください。


そして、バインダーの内側を縁取るように熱接着剤を塗ります。厚紙をバインダーの内側にくっつけるためです。こうすれば、「影の書」の内側も外側も、同じ布でカバーされるようになります。




できあがりです!これであなただけの「影の書」が手に入りました。おめでとうございます。



最後に、様々なアイテムや絵で、あなたらしく「影の書」の表紙を飾るのがポイントです。色やシンボルを使って、あなただけの特別な「影の書」を作り上げてください。心の底からポジティブな気持ちになれるようなものを使って、飾りつけましょう。


あなたのイメージに合った「影の書」を作れば、魔法を使うときに「影の書」から最大限のエネルギーを引き出すことができるでしょう。




あとは、「影の書」に入れるためのルーズリーフを手に入れるだけです。ルーズリーフを用意すれば、魔術を書き込んでいけます。


魔法の世界での冒険を記録しましょう。「影の書」を魔法日記として使ってみてください。毎晩寝る前に、忘れずに、日々の体験を記録するのです。


「影の書」を作るときには、ポジティブなエネルギーを注入してください。そうすれば、呪文を唱えたり儀式を行ったりするときに、より多くのエネルギーを「影の書」から引き出せます。




ローズさんは、27年以上にわたって様々な魔法を実践してきました。「影の書」の作り方について詳しく知りたい方は、ローズさんのサイト“ザ・アスク・ローズ・アリアドネ・ウィッチクラフト・サイト”をご覧ください。



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