梅観に。 | 左官屋女房の泣き笑い2(継続編)

左官屋女房の泣き笑い2(継続編)

あぁ、どうしたもんだか、この人。
興味津々、津々浦々動き回ってるよ、この人。
数字にゃ弱いが空想はピカイチ。

昨日は、仕事が休みだった夫が

「大山町の梅を見に行こう」と朝、急に言い出したので、朝の片付けを超特急で終わらせて、

車に乗り込みました。


ゆっくりで良いのだからと、行きはほぼ一般道。

途中、道の駅「おおとう桜街道」に寄り、ちょっと休憩。



田川の道を抜け、お次の休憩は、道の駅「小石原」

(焼き物の里)



ここの食事処の名物は、「ごぼう天うどん」です。



お昼にはまだ早かったのですが、

せっかくここまで来たので、いただきました。


お腹を満たした後、小石原→東峰村→夜明。

そこから曲がって大山町へと向かいます。


大山町は山間の小さな町ですが、国が米の増産を進めていた1961年に、

「梅栗植えてハワイに行こう」をスローガンに、むらおこし事業を始めました。


米と言われても、町の地形上、梅や栗の方が向いている。

ならば、収益性の高い梅や栗を栽培、加工して村の特産物にして、農家の収入を伸ばそうとする動きがありました。


今では、梅と言えば大山町。

梅林がある山には「うめひびき」という温泉施設もあります。


(ここの温泉は入った事がありません 笑)


梅ヶ枝餅をいただきました。

梅酒の試飲も。(私だけ)


さて、ここからは帰り道コースになります。

杖立温泉の「白岩温泉」(貸し切りコイン式)で、疲れを癒し、向かったのは小国。


北里柴三郎記念館に寄ってみました。









今年の7月3日から紙幣の顔写真が変わりますね。


一万円札は渋沢栄一。(近代日本経済の父)


五千円札には、津田梅子。(日本初の女子アメリカ留学生。女子専門教育の先駆者)


そして、千円札に選ばれたのが、

ここ、熊本県小国で生まれた北里柴三郎。


破傷風菌純粋培養の成功を皮切りに、

血清療法の確立、ジフテリアと破傷風の抗血清開発など、日本内外に、細菌学に多大な貢献を成した人です。(ネット資料参考〜🎶)


座右の銘は「終始一貫」。

その言葉通り、自分の信念を曲げず、

正しいと思ったことは貫き通す性格であったようです。

元々が勉学に熱心である事から、

様々な人物の恩恵を受ける事になります。

福沢諭吉の多大な資金援助もそのひとつ。

その恩に報いるために更なる研究を重ねる柴三郎。

野口英世もまた、柴三郎を師と仰ぎ学んだ一人でした。

ただ、明治維新直後の日本下では、

柴三郎の功績をなかなか素直に認められずに

(ちょっと海外で学んだだけで日本人がそんなに大それた発見や開発ができるはずがないという、ほとんど偏見だったのでは?という見方もあるようです)

血清療法を一緒に研究開発したベーリングだけが、

初の、ノーベル賞受賞となりました。


会場では、野口英世の母「野口シカ」が

アメリカで功績を上げた息子に書いた手紙が

展示されていました。(多分本物のコピーかな?でも原寸サイズ)



そこを後に寄ったのは道の駅「童話の里くす」。


由布院塚原高原にある焙煎工房「木馬」の「下坂ブレンド」だけなら、ここでも買えます。



豆を買ったのですが、ここの売店で、同じ下坂ブレンドのホットコーヒーを買って車に持ち込みます。

(JAF会員は50円引き…は、しっかり活用)


ふぅ、美味しい〜❤️


また一つ、いろいろと勉強になったなぁ。

今日も良いドライブでした。