「過保護」と「過干渉」・・・
子育てにおいて、どちらも陥ってしまう可能性のあるワードですね
誰もが知るとおり、こどもは生まれたばかりのときは無力です。
おむつを替え、ミルクを飲ませて、泣けば抱っこして…と、年齢が低いほど「手をかけて」世話をする場面が多いですね
ですが、こども自身でできることが増え、次第に身の回りのことが自立してくると、「手をかけて」関わる機会は自然と減少していくものです。
就学し、思春期を迎えるころには、ほとんど直接「手をかけて」世話をすることはないのが一般的です。
こうなる過程で、親としては手がかからなくなった分、少しづつ子どもと「距離」を保つことが必要になります。
いわゆる、こどもとの「同一化」から「分離」をしていく過程です。
ところが、この分離をしていく過程で親自身が不安や役割の喪失感を過剰に感じると、必要以上に手をかけすぎてしまうことになります。
これが、「過保護」「過干渉」ではないでしょうか。
「過保護」とは、こどもの成長を信じ切れずに親自身が不安になってしまうこと
こどもに失敗をさせたくない、まだこの子にはヘルプが必要だから…という思考などから、結果的にはこどもの挑戦する機会を奪ってしまうことになります。
親ゴコロとしては共感できますが…この子ならできる、多少は失敗しても大丈夫と、大きく構えて見守る姿勢がやはり必要です。
育ちの過程の小さな失敗を回避してしまうと、いざ親のヘルプがなくなった時に、大怪我をしてしまうことにつながります
「過干渉」とは、こどものすることに「手をかけ」、場合によっては「声をかけ」、親の意見に従うよう誘導をし続けてしまうことです。
心理的には「過保護」と似通った部分もありますが、「過干渉」になってしまう親の中には、こどもの世話をし続けることで自身の存在証明をしている場合もあります。親自身のなかに、「手をかけて世話をする」という役割を喪失することへの不安があるようです
親にレールを敷いてもらい進んでいくことは一見楽にみえますが、自己決定する力や考える力を育む機会を失ってしまいがちです。
また、反発する力のあるこどもとの間には「対立」を生み、そうではないこどもとの間には「共依存」を生んでしまいます
こどもは日々成長しているのですから、親のかかわり方も日々変化していくことが必要ですよね。
こどもの成長に合わせて、適度に保護を与えて、必要なときには干渉もしながら…
「手をかける」かかわりから「目をかける」かかわりへ
緩やかに移り変わっていけると良いのかな…と思います。
こどもの成長に寄り添いながら、
「目をかけ 手を放す」 ように、適度な距離感で見守ることが出来たらステキですね
テーマはこちらのblogから頂きました
https://septembersan.hatenablog.com/entry/2018/08/12/015821