知らなかったベートーベン | ハッピートレインでGO!

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京浜急行電鉄は、赤い電車ですが、数本黄色い電車があり、それを見たり、乗れたりすると、しあわせなことがおこるという都市伝説があります。通称:イエローハッピートレイン♡
個人ブログです。

こんばんは

 

今夜のclassicTVは、ベートーベンが、生まれてから、デビューするまで、でした音譜音譜音譜

 

 

ゲストは、「虎に翼」に出演中の、松山ケンイチさんです拍手拍手拍手

 

 

司会の清塚信也さんとは、親しいそうで、

松山さんのことを、

「けんちゃん」

と、呼んでいました(笑)

 

さて、

ベートーベンのおじいさんは、宮廷楽長でしたが、

父親は、なれませんでした。

 

 

その悔しさなのか、どうなのか、わかりませんが、

4才で、ピアノを始めたベートーベンに、とても厳しかったそうです。

 

時には、酒びたりになりながら、厳しく、指導していたそうです。

今なら、虐待でしょうか?(笑)

 

しかし、

メゲずに、才能を伸ばしていったベートーベンは、ネーフェ先生と出会います。

 

 

彼は、古典として、当時、誰も忘れていた、バッハを基本として教えました。

平均律とか、耳にしたことがあるでしょうか?

私は、教会音楽のような気がするのですが、それは、使う楽器が、オルガンだったせいかもしれませんニコ

 

そして、当時、モーツァルトが「神童」として有名になっていたのですが、

ベートーベンが作る音楽は、宮廷音楽のような品の良いものではなかったことを、

ネーフェ先生は、否定せずに、ベートーベンの個性を大事にしたそうです。

 

ここで、松山さんの教育についてのお話を聞けました(興味あったのです、どんなパパかな?って(笑))

 

「期待って、圧力にもなったりするじゃないですか?(自分は)圧をかけるタイプなので、かけすぎたかな?と、よく観察はしています。毎日変わるので。」

 

うわ~、イヤなパパ(笑)私の父も、めっちゃ圧が強かったので、何度もへし折れました笑い泣き

その反動で、自分の子供には、自由にさせました(笑)

 

ベートーベンは、その後、ウィーンに行けたのですが、母が危篤となり、たった2週間で、ボンに帰ることになります。

相変わらず、酒びたりで働かない父親のかわりに、ベートーベンは働きづめでした。

2年間も、作曲することができませんでした。

 

しかし、

彼の才能を支援する貴族によって、再び、ウィーンに行くことができました。

ハイドンが師匠にもなってくれましたが、本当のところ、

ハイドンは忙しすぎて、あまり教えることはなかったそうですあせる

 

そして、耳の肥えた聴衆を前に、ピアノソナタ1番を弾きますキラキラキラキラキラキラ

 

 

当時は、とても斬新で、注目されたようです。

私は、なんとなく、聞いたことのあるフレーズが、いくつかあるように感じました(笑)

 

ハイドンにあまり指導をうけなかったのが良かったのか?

ベートーベンの個性は、花開き、交響曲1番のコンサートが開かれたのでした乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ

 

才能って、環境(人も環境ですからね)と、運ですね~。

生かすも、殺すも。

 

ベートーベンのメジャーデビューを通して(笑)

自分の子育ては、これで良かったのかな?と、考えたりするのでした。

まぁ、子育てに、正解はないけどね(笑)

 

では、またクローバー