第三回目が開始されそうな最中、第二回目の知らない歴史を知る | まりあの日記゚*゙:¨*;.・';゙:..・☆

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明日の事など~ケセラセラ~♪

動画に付いているコメントを読んで、旧日本軍の功績を知りました。

学校の授業で習ったのかな?

全く記憶に無いですネガティブ


この動画の最後に出てくる"上司"って東條英機氏だったのですね。

仲間に騙され日本は戦争に突入する事になったのは分かっていたけれど、こうして教科書に載らない英雄がたくさんいて、未然にソビエト軍を追い払うような強い国は恐れられるのも無理はないですねぇ。


東條英機氏が処刑前に残した言葉と、こうした功績を見比べると、本当に大きな人物だったのだと思い知ります。

なぜ日本の総理が国を守った人物のお墓参りしてはいけないのか、いまだに訳わからないな。

ただの左巻きのイチャモンかな。


日本人はもっと自信を持つべきだねニコニコ

本物の日本の愛国者で功績を残した人物はお札に印刷されないという事を覚えておくわ。

その反対は言わずもがなにっこり

 

 


【コメント一覧】


樋口季一郎はユダヤ人を救ったが、日本をも救った英雄です。 終戦後に北海道目指して攻撃してきたロシアを追い返さなかったら、おそらく日本は南北に分割され、現在の韓国、分割されたドイツのような境遇に陥り、現在でも分割のままだったでしょう。 大変な英雄です、現在日本の恩人です。 一万円札に肖像が印刷されるべき人物です。



樋口季一郎の上司は東條英機です。彼は樋口季一郎の作業が終れば報告に来るだろうと黙って見守っていたのです。東條英機も立派でしたね。


NHK、朝日新聞が嫌いな話題ですw

 

ユダヤ人にはもっと多くの日本人が関わっています。 朝鮮半島から日本へ船を出したり、船の着いた敦賀では市民がユダヤ人のあわれな姿を見て服を持ち寄ったり、次の避難先が決まるまでの間、神戸市で受け入れられ体力を回復させました。

 

ドイツの抗議を突っ撥ねたのは、東條英機だ。 幾らビザが有っても、これを受け入れ拒否も出来たはずだ。それを突っぱね、受け入れ体制を作った多くの日本人に感謝します。

 

ネットの記事から「杉原は戦後の1947年、外務省を辞めさせられている。外交官としての名誉回復は、実に44年後の1991年であった。」とのことでした。職を投げうつことは、家族の生活を壊すことになりかねないのに、杉原氏の勇気に感謝したい。また同様に、2010年 尖閣で中国船が海上保安庁船への体当たり映像を公開した「海上保安官」の職を賭した勇気にすべての日本人は感謝しました。 時の政権・民主党の売国行為で日本の国土が中共に強奪される危機だった。

 

杉原はたまにTVで放送するが,樋口はまず放送はしないね、戦前はすべて悪の報道はあるが、この手の人がいたことは嫌いらしい、昔の恩を忘れない国もあれば、恩を仇で返す国もあるのに。

 

特別列車の手配は日本のJTBが協力したそうです。 実際には杉浦千畝 樋口季一郎をはじめ多くの日本人が携わったと言います。

 


またか、樋口、杉原を知らない日本の若いもんの話。周りの大人はきっちり教えておくべきだ。海外へ行って教えられるのは日本人として恥と思う。

  

樋口季一郎さんのことは全く知らなかった。杉原千畝さんのことはとても有名だが。しかし、「上のいうことご無理ごもっとも」という、上意下達の体質の軍隊で、そんなことをする骨の据わった偉大な先人がいたとは、実に誇らしい限りだ。石狩市民にとっては特に誇らしいことだろう。

 

 

東條閣下と関東軍のお陰だね。

 

東条関東軍参謀長の裁可がなければ独断では実行不能と思います。

 

何度かイスラエルを訪問しているが・・・日本人は、イスラエルの方々よりは、むしろパレスチナに方々にウケが良いように感じたね。 日本赤軍によるテルアビブ空港での銃乱射によって、日本人は英雄扱いだったね。 タクシーの運転手がパレスチナに方で日本人だと言ったら、握手を求められた。 10年以上も前の話だけど・・・

 

 

こうして2人の日本人はユダヤ人を迫害から救ったというのに、ユダヤ人が今、ガザでやっていることは何なんだ?