祖母の膝 | 平穏な日々と菫色

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ゆっくりとした毎日 時々アンニュイな感情

両親に甘えた記憶は残念ながら無いのだが、唯一甘えられる
場所があった。 それは祖母の膝の上。
初孫であった私の誕生は喜ばれ、祖父にも祖母にも可愛がって
貰った。 物心ついた時には、もう随分なおばあちゃん子だった。

よくお腹が冷えると痛くなり、すると祖母は私を膝の上に抱き
お腹に手で「の」の字を描いてさすってくれた。「のの字のの字」
と言いながら。その時の祖母の声も、安心した感情も覚えている。

”幼稚園” という所へ行くらしい、という事がわかると  ”幼稚園”に
行っていたら祖母と遊べなくなる!という理由で通園が始まる前は
行きたくないと思っていた。 実際に通ってみると友達も出来て
行きたくない場所ではなくなったが、祖母の会えば以前の通り、何
も変わらず安心して祖母と一緒に遊んだ。

祖母は一度も私を否定しなかった。 この事は今の自分になるまで
の心の支えとして、とても幸いであったと思う。

只、祖母の母への接し方はそうではなかった。 孫は子供と違い
責任もないので可愛がれるだけ可愛がれるのよ、とはよく聞くし
自分の両親も孫にはかなり甘いらしい。

祖母の性格はしっかりとしていて、器用で、また気も強かった。
母は祖母に服従し、あまり物事を突き詰めない性格だった母と
祖母はそれでも一卵性親子のように結びついていた。母が祖母から
かなり厳しく育てられた話はよく聞いたものだが、大人になっても
母は祖母から離れず、また離れられなかった。

祖母からまるで違う接し方をされている私を、母はどう感じていた
だろう? 今の時代からすると、まだ十分若かった母が私に嫉妬を
感じたとしても不思議ではない。子供心にも嫉妬は伝わり、長い間
辛い態度となる母の、一因でもあったように思える。

世の中が混乱していた時代に生を受けた母にとって、存分に自分の
母である人に甘える私の姿を見るのは、酷でもあったのであろうと
理解というか思うようになったのは、まだ最近の事であります。