私は、最近、立て続けに3人の、親しい人、親戚をなくす経験をしました。
還暦も過ぎてからのこの喪失の出来事は、私に心に大きなダメージを与えたような気がします。
自分では、大丈夫と思っていたのですが…。
心臓の動悸が止まらず、不安感がいつも以上に押し寄せて来たりします。
最近、このことと前後して気がついたことがあります。
私は、自宅マンションのベランダで、かなり大掛かりに植物を育てています。
載せている写真は、自宅のベランダです。
毎日見ていると、それが当たり前になって、それに心を癒されているとか、元気をもらっているとかは、感じなくなっていきます。
私は、親しい友人に、プロのフォトグラファーの人がいて、毎日、Facebookに、彼の新しい作品(写真)が載るのを楽しみに見ています。
ある時、そのフォトグラファーの方が、休暇をとられて、写真を載せるのを、その間中断されました。
その写真は、ダイナミックなものや、繊細な自然の表情や生きもを捉えたものが、テーマになっています。
その時は、写真が見られないのは、寂しいなぁというくらいの気持ちだったのですが…。
数日、写真が見られない日が続きた時のことです。
東京は緊急事態宣言中で、私は、仕事もほとんどなくなって、苦しい状態でした。
なんか、心が晴れないというか、いつもより力が出ないことに気がつきました。
その時、ほんの小さなことに思えていた、その新しい写真を見ることが、思っているより自分に気力を与えていることを知ったのでした。
ベランダの植物の力に気がついたのは、マンションの大規模改修工事のときです。
泣く泣く全てを撤去しなければならず、ベランダが、入居当時のままになった時がありました。
端的にいうと、その時、私は、何もやる気が起きず、軽い鬱気味になってしまいました。
緑がないことは、こんなにも心が乾いてしまうのかと思いました。
そんな経験をして気がつくことは。
毎日見ていると、それらは、なんのご利益?も、もらってないような気がするけれど。
実は、気がつかないうちに、パワーや癒し、傷ついた心を修復する何かをもらっているのですね。
道端のほんの小さな植物や、川のせせらぎの音も、毎日見ていると、大きな感動はなくなってしまうけれど。
無意識のうちに受け取っているものは、大きいのだと思います。
年をとると、自然が恋しくなると言います。
それはきっと、身内や友人が亡くなったり。
自身の身体も、弱っていく、喪失の悲しみを、若い頃より多く経験するので。
心を癒す、癒して修復する必要があるので、無意識に求めるのかもしれません。
若い時でも、心に大きな負荷がかかった時は、やはり自然に触れるのが一番な中もしれないです。
公園より、人の手が入っていない、手付かずの自然からの方が、力をもらえるように思えます。
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