SNSや、ネットの記事の中には、素敵なライフスタイル、これが良いという情報で溢れていて。
同時に、貧富の差が叫ばれながらも、世界と比べれば、これだけ恵まれた暮らしなのに。
「癒される」「癒されたい」という言葉が、本当にたくさん見ることができるのは、どうしてなのだろうと思う時があります。
少なくとも、私の親の世代、そして私の若い頃は、こんなにこの言葉が溢れていなかったです。
昔は、歌手や俳優に憧れた人が多かったけれど、今は、むしろ、ネットの中の、普通の人の素敵な生き方?や、ライフスタイルに、注目が集まっているような気がします。
近い存在だし、お手軽に無意識にロールモデルにしているような感じでしょうか。
成功者のマネをする、なりたいロールモデルを見つける。
こんな言葉が、あるべき生き方のように言われるけれど…。
それは、本当に大切なことなのでしょうか。
自分の人生の主役は、当たり前だけれど自分なのです。
憧れの人とは、育った家庭も、教育も、環境も、時には時代も違います。
参考にならないのです。
無意識に、こうあるべきに囚われると、疲れてしまって、自己評価も低くなってしまいますよね。
漠然としていますが、私は、良き人間としての生き方をしようとして、頑張っている人が好きです。
私もそうなのですが、どんなに頑張っても、あるいは途中で、挫折したりすること、ありますよね。
望む形の自分、あるいは目標に到達しなかったとしても、落ち込まないで欲しいのです。
そこには、必ず成長の軌跡があるので。
落ち込むことが多くなると、ネガティブになって、癒しが欲しくなります。
私は、癒しは大切だと思うし、とても好きです。
けれど、癒しは、逃げ場ではなく、また、立ち上がる気力を持つための心の修復と解放のためにあるのです。
今は、自分で生苦しんで、生き方を模索するより、
身近なネットの中の人物や、近い人を無意識に参考にしてる人が多いような気がします。
でも、あるべき生き方とは、悩んだり、苦しんだりして。
また、さまざまな名著を読み、内省して、つかみ取るのが、自分なり生き方です。
深い思考のないところには、何物も生まれないです。
それをやる続けると、気がつきます。
自分を癒せるのは、本来、自分なのだと。
誰よりも自分を知るのは、自分なのです。
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