いつも、自分の手元だけでなく、その行く先を見ていたい。
ともすると、目先の忙しさに流され、自分のする仕事の向こう側にいる「人」を見失いがちだ。
知り合いの女性ギタリスト・26歳。
彼女の本職は、配電盤などの電気回路の設計士である。現在は、とある地方公共団体の水道局の仕事=上水道関係の配電盤設計をやっている。
日々、ひたすら図面を引く。最近はCADという便利なものがあり、ずいぶん楽になったと言うが、それでも彼女の毎日は常に図面とのにらめっこである。
「毎日毎日、図面引きって大変やろ?」
と尋ねた私に、彼女は非常にさわやかな声と表情で
「上水道は、人の口に入るものなんで、ちょっとでも間違ったらダメなんですよ。そんなことを考えてると大変だとかはあまり思いませんね」
毎日、回路図を書きながら、その向こうにいる「人」のことを考えられるこの子は、ほんとにスゴいなと思った。
社会人たるもの、自分の行動が自分のまわりにどのような結果を導き、そして、どのように「人」に作用していくのかを、常に考えているべきではないか。
あ、作用で思い出した。
友人がこの前、「微妙なもの」というタイトルで携帯にこんなメールを入れてきた。
いじめられっ子と人気者の境界線。
私は、こう返した。
いや。微妙じゃない。はっきりしてる。
自分は何も作用しないのに他人から必要以上に作用されるのが、いじめられっ子。
自分が他人に対し何らかの作用をした結果として他人が寄ってくるのが、人気者。
さて、あなたの考えは?