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マレーの虎ブログ

19世紀多くの中国人が分断国家に成り下がった故国を離れ、
海外に散らばった。そして異国の地で力を蓄えた華僑が、現在の
先進中国の足がかりを作った。

21世紀、今度は日本を離れた和僑たちが、同じ役割を担うこと
になるのか・・・。?

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あなたは、判断力と決断力どちらが大切だと思いますか?

売れっ子作家の中谷彰宏さんは、多数決で多い方を採るの
が判断力で、これはマネージェアーの仕事。

反対に、少数意見でも、自分が全責任を持って、採択する
のが決断力で、これはリーダーの仕事・・・

と定義してます。

最近まで、なるほど・・・と思っていたのですが・・・

今は、私は違う意見を持ってます。

判断力と決断力、どちらが大切か?

と問われれば、迷わず判断力を上げます。

よく考えれば、結果的には、決断は、リーダーであろうが
誰であろうが、意識的、無意識的にやっている。

もちろん、その前提になる判断があって、その上で決断して
いるのだが・・・

この判断の段階が、あまりにも曖昧であったり、回りの意見
に流されている人が、非常に多い。

だから、その判断の上に立って、下した決断が誤っている
ケースが非常に多くなる。

そして、その自分の判断力の甘さを棚に上げて、結果責任
を他人に押し付けることで、済ましている日本人が多くない
でしょうか?

私は、正直決断力が、以前に比べて、相当慎重になって
いる。

昔は、決断力勝負で、『エイ、ヤ~!』でやってた部分が
かなりあります。

今は、判断力を研ぎ澄まして、一撃必中の意識で、仕事に
取り組んでます。

周りからは、相当、決断力が落ちていると、心配をかけて
ますが・・・

今の私の心境は、判断力が命です。

最初の中谷さんの定義に戻りますが・・・

実は判断と決断は、表裏一体の関係で、正しい判断なく
して、正しい決断はありえない。

つまり、少数意見であろうとなんであろうと、自分で責任を
もって、自己責任で、正しい決断を下すためにも、

洗練された判断力を持たなければなりません。

方法は、二つあります。

すでに、洗練された判断力のある人のアドバイスに素直に
従うという判断と、

あくまで、最終的に、自分の勘や感性重視で、決断する
ことにこだわる判断、

があります。

私は、後者を選択し続け、非常に遠回りな人生を歩んで
来たことを実感してます。

最近、若くして成功されている方は、前者のケースが多い
ように感じます。

また、後者で、たまたま成功した人は、結局、どこかで墓穴
を掘って、失敗してしまうケースもよく見かけます。

ただ、前者を選択するにしても、正しいメンターをどう見つける
のか?

その見つけたメンターをどこまで信じて付いていけるのか?

といった、かなり大きなハードルがあることも確かです。

つまり、自分にとっての最良のメンターを見つけるのか?

あるいは、自分の感性にしたがって、突き進むのか?

二者択一が迫られています。

とにかく、いい加減な判断力では、これから先、どれだけ
動いても、もがいても、泥沼にはまる公算が大きいという
ことは、覚悟する必要があります。

これまでは、ラッキーでやってこれた人も、これからも、
その幸運が続くと思わない方が賢明だと思います。


厳しい意見と思われるかもしれませんが、これが、今の私
の偽らざる心境です。

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フェイスブックで、一年前の時点で、85,689件「シェア」
をされている記事があります。

ある寒い1月の朝、一人の男がワシントンD.C.の駅で座りながら
バイオリンを弾き始めました。

彼はバッハの曲を1時間程演奏しました。

その時間帯は通勤ラッシュだったため、約1100人がその男
の前を通りました。

3分後、ある中年の男はバイオリンを弾いている人がいることに
気づき、足を止めました。

しかし、結局止まったのはほんの僅かな時間で、数秒後には
その場を離れました。1分後、バイオリニストはやっとお金を稼
ぐことができました。

ある女性がケースに1ドル札を投げ入れましたが、彼女は止ま
ることなく歩き続けました。

少しした後、壁に寄りかかって彼の音楽を聴く者が現れまが、
腕時計を見るとすぐに歩き始めました。会社に遅刻しそう
だったのです。

一番彼の音楽が気になったのは、3歳の男の子でした。

彼のお母さんは急いでいて、男の子の腕を強く引っ張りま
した。それでも男の子はバイオリニストを聞こうと足を止め
ます。

お母さんは男の子の背中を強く押し、無理やり歩かせました。
それでも男の子はずっと後ろのバイオリニストを見ながら
去って行きました。

他の子供も同様でしたが、親は全員例外なく止まることなく
その場を去りました。

彼が演奏した一時間内で、足を止めて彼のバイオリンを聞い
たのはたった6人でした。

お金を入れてくれたのは20人程でしたが、止まった人は
誰もいませんでした。

稼いだお金はたったの32ドル。彼が演奏をやめ、駅が沈黙
に包まれた時、気付いた人は誰一人いません。

拍手はなく、このバイオリニストを認める人はいなかったの
です。

バイオリニストの名前はジョシュア・ベル。

彼は世界で最も才能のあるミュージシャンの一人です。
彼はたった今、歴史に残る傑作を演奏したのです。
それも3億円のバイオリンを使って。

彼の駅での演奏の二日前、彼のボストンでのコンサートの
チケットは、一枚一万円するものの全て売り切れました。

これは実際にあった話です。

ジョシュア・ベルが素性を明かさず行ったこの演奏は、人々の
視覚・嗜好・優先順位を研究するための実験としてワシントン・
ポスト紙によって行われました。

私たちは本当に「美しさ」を理解している?

それをちゃんと足を止めて味わっているのだろうか?

予想していない状況でも、才能を感じ取ることはできるの
だろうか?

一つ結論として言えるのは、

もし私達は世界で最も才能のあるミュージシャンが、
歴史上一番の傑作を演奏してさえ気付かないのであれば、

私達は他にもきっと多くの「美しいもの」を見過ごしているの
ではないか?

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私たちの周りには、欺瞞や腐敗、謀略や策略といったエゴが
渦巻いています。

世間の評価や常識に流されている人にとって、この話は非常に
耳の痛い話かもしれません。

私たちは、与えられた短い貴重な人生という時間を、日々の
目の前の懸案に追われ、周りをゆっくりと振り返る余裕もなく、

非常に底の浅い、狭量な人生を生きていないでしょうか?

真実を見る目を養い、真実を学ぶ姿勢を、本気で貫いていか
なければ・・・

一生、本物に出会うことのない、ただ慌しく、人生を駆け抜け
るだけで終わってしまう人になりかねません。

騒がしく、慌しい現実の中でも、真実や本物に気付く感性が、
私たちに今求められているのだと思います。

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真面目で努力家が褒められた時代から、真面目イコール
馬鹿、努力家イコール無能のレッテルが貼られる時代に
移行した。

つまり、世の中は、努力の時代から、知力の時代に移り

変わったと認識できる。

昔は、知らないことは、当たり前で、その上で必死に
努力する人が、認められたし、努力だけで、結果も出た
時代だった。

ところが、今は違う。

いくら真面目に努力をしようが、日々変化する市場環境
や、技術の進歩、顧客心理の変化など、どれをとっても、
知力なくして、結果が簡単に出せる時代ではなくなった。

ただ、ココで言う知力と従来型の知識とは、根本的に
違う。

受身の従来からの知識を誰かから教わるといった、受動的
知識はもう使い物にならない。

もっと言えば、日進月歩で変化する激動期には、そうした
従来型知識は弊害にしかならない。

例えは良くないかもしれないが、私たちは、日々肉類を食
しているが、誰も生きた動物の肉を食べているわけでは
ない。基本、死んだ生き物の肉を食べている。

ただ、その肉には、もちろん私たちの生命維持に必要な
栄養素やエネルギーが含まれているわけで、それは、
食べた後、体内で消化され、分解され、それぞれの栄養素
として、体内にとりこまれるわけである。

知識もこれと同じで、一度、自分の体内に取り込んで、
咀嚼し、分解をして、自分の血肉にしないと、本当の意味
で、その肉(知識)は役に立たないのである。

もっと言えば、その自分の血肉化したエネルギーを、
どんな活動に使ったのか・・・?

というところまで、突き詰めないと、本当の意味で知識を
生かしたことにはならない。

ただ、この知力万能の時代は、そう長くは続かないような
気がしてならない。

今すでに、知に長けた人間が、知をもてあそぶ傾向が顕著
に見られるからである。

私たちは、少なくとも、そうした人間の餌食になってはな
らない。

そのためにも、彼らのトリックを見破るだけの知恵を持た
なければ、本当に生きていく尊厳まで、奪い取られてし
ます。

もう、知らなかった、だまされました・・・ですむ時代で
はない。

その上で、私たちが、今本当に求められる力は、『和力』
ということになる。

ただ、目覚めていない羊同士が群れても、カモの集団に
しかならない。

一人ひとり目覚めたもの同士が、結合し、力を合わせ、
知力集団に立ち向かう以外に、新しい時代を切り開くこと
はできない。