努力・知力・和力 | マレーの虎ブログ

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19世紀多くの中国人が分断国家に成り下がった故国を離れ、
海外に散らばった。そして異国の地で力を蓄えた華僑が、現在の
先進中国の足がかりを作った。

21世紀、今度は日本を離れた和僑たちが、同じ役割を担うこと
になるのか・・・。?

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真面目で努力家が褒められた時代から、真面目イコール
馬鹿、努力家イコール無能のレッテルが貼られる時代に
移行した。

つまり、世の中は、努力の時代から、知力の時代に移り

変わったと認識できる。

昔は、知らないことは、当たり前で、その上で必死に
努力する人が、認められたし、努力だけで、結果も出た
時代だった。

ところが、今は違う。

いくら真面目に努力をしようが、日々変化する市場環境
や、技術の進歩、顧客心理の変化など、どれをとっても、
知力なくして、結果が簡単に出せる時代ではなくなった。

ただ、ココで言う知力と従来型の知識とは、根本的に
違う。

受身の従来からの知識を誰かから教わるといった、受動的
知識はもう使い物にならない。

もっと言えば、日進月歩で変化する激動期には、そうした
従来型知識は弊害にしかならない。

例えは良くないかもしれないが、私たちは、日々肉類を食
しているが、誰も生きた動物の肉を食べているわけでは
ない。基本、死んだ生き物の肉を食べている。

ただ、その肉には、もちろん私たちの生命維持に必要な
栄養素やエネルギーが含まれているわけで、それは、
食べた後、体内で消化され、分解され、それぞれの栄養素
として、体内にとりこまれるわけである。

知識もこれと同じで、一度、自分の体内に取り込んで、
咀嚼し、分解をして、自分の血肉にしないと、本当の意味
で、その肉(知識)は役に立たないのである。

もっと言えば、その自分の血肉化したエネルギーを、
どんな活動に使ったのか・・・?

というところまで、突き詰めないと、本当の意味で知識を
生かしたことにはならない。

ただ、この知力万能の時代は、そう長くは続かないような
気がしてならない。

今すでに、知に長けた人間が、知をもてあそぶ傾向が顕著
に見られるからである。

私たちは、少なくとも、そうした人間の餌食になってはな
らない。

そのためにも、彼らのトリックを見破るだけの知恵を持た
なければ、本当に生きていく尊厳まで、奪い取られてし
ます。

もう、知らなかった、だまされました・・・ですむ時代で
はない。

その上で、私たちが、今本当に求められる力は、『和力』
ということになる。

ただ、目覚めていない羊同士が群れても、カモの集団に
しかならない。

一人ひとり目覚めたもの同士が、結合し、力を合わせ、
知力集団に立ち向かう以外に、新しい時代を切り開くこと
はできない。