
| 総試合数 |
112 |
| 勝ち |
85 |
| KO勝ち |
23 |
| 敗け |
24 |
| 引き分け |
2 |
| 無効試合 |
1 |
流石にこの辺りの60年代に活躍した通算100戦以上する海外のレジェンドボクサーに関しては、俺も流石にむかーしボクマガ誌のジョー小泉氏、宮崎正博氏、原功氏なんかの評論や文献で想像するしかなかったけれど、軍事技術の発達のお陰というかこのインターネットのお陰でこういう頭の中でしか妄想できなかった選手の映像も簡単にYouTube動画で観れるイイ時代にはなった。
リング禍っていうのは俺の中ではデビー・ムーア(今後記事に出します)の世界戦における悲劇とかくらいしか有名であんまりあとは80年代に世界戦で確か?韓国選手が14RかなんかでTKOされてその後亡くなったというくらいであんまり記憶にはないんですけれど、その80年代のリング禍以降13R~15Rの間にかなり体力気力が消耗してヤバイ状態になるってことで当時主要三団体のWBCがいちはやく世界戦を12Rに縮めて、それにならってWBA、IBFも追随して80年代半ばには現行の12R制になった経緯がある。

俺はガキの頃はマンキチ親分っておふくろに仇名つけられるくらい漫画も読んだけれど、読み物、小説も読んだわさだけれどド近眼になったわな、TVも視まくっていたし、まあ眼鏡屋と眼医者の陰謀に騙されたのが一番なんだけれどね。
で劇画の「あしたのジョー」みたいな力石状態になるまで殴打されることもなく現実にはリング禍が世界戦でも起きるわけで、この選手も1962年に元ウェルター級世界王者ベニー・バレットとラバーマッチの3戦目で12RTKO勝ちしたモノの対戦相手のベレットが昏睡状態となり10日後に亡くなるというリング禍が起きて、その時に世界戦を中継していた米国ABC局はボクシング中継から完全撤退したという事態にまで発展した。
この時代とか俺がボクシングを観だした70年代でもレフェリーのストップが遅くて、今の視点から見たらストップしなきゃって試合を幾つも観てきたけれど、この当時であればヘビー級以外はストップは今より遅かっただろうと思われる。
その後1966年にミドル級王者ディック・タイガーにも挑戦し判定勝ちで勝利して2階級制覇を達成する。
あのルビン・ハリケーン・カーターとも1963年にノンタイトルで対戦して1RKO負けしてその年のリングマガジン・アップセット・オブ・ザ・イヤーに選ばれるほどの番狂わせだったようだ。
又ミドル級からウェルターに戻してキューバの名王者ホセ・ナポレスに挑戦するが判定負けして王座奪還ならず。
1971年、72年とミドル級王者カルロス・モンソンに挑戦するがKO、判定と2連敗する。
この後くらいに新設のJ・ミドル級が出来て日本では輪島功一なんかが世界王者になる時代ですが、76年にWBC王者のエッグハルト・ダッケ(知らない)に挑戦するも判定負け。3階級制覇はならなかった。
77年に後のミドル級王者になる英国のアラン・ミンターに判定負けしてグローブを吊るし引退する。
1958年デビューして77年引退で100戦以上しているから頑丈なうえにディフェンスもたけていたのでしょう。
2013年に75歳で亡くなる。この時代のボクサーでは長生きな方だと思う。
まあ欧米では日本と違い一般人の体格も大きいのでこの選手も171cmで中量級ではかなり小柄な方だけれど、やっぱり日本の感覚では中量級って1発1発が威力が凄いってのがあるのでね、この選手を考えるのにふとそのレフェリーのストップの判断は出来るなり早い方がイイ、遅くていいことは一つもないというか、なんだかんだで一番人間の部位で顔面を打撃する競技なんでね。やはり批判を浴びてもレフェリーのストップのタイミングは早すぎるくらいでも良いという思いは昔からあります。
リング禍が多くなるとこの競技自体が地球上から消える可能性があるからだ、劇画は劇画、現実は違うというね。
改めてカルロス・モンソンがハグラーを観てあのくらいの選手は俺は多く倒してきたよって言っていた言葉が印象に残る。