私が、マービン・ハグラーを知ったのは1970年代後半の某ボクシング専門誌であった。
坊主頭でいかついそれで天に向かって左拳を突き上げてるモノクロの写真はそれだけで、黒海坊主を彷彿
とさせ、恐怖心を与えたものであった。
そしてTV大阪(TV東京系)で彼の特集が組まれて、随分イメージが違った記憶がある。
確か、解説がジョー小泉氏であったと記憶してる。
いかつい風貌からしてファイターを想像するがボクサー・タイプである。
ただかなり攻撃的なボクサー・タイプでカウンターで倒すというより右ジャブで相手の出鼻を挫き、サー
クリングしながら、相手の状態を見極め右フックか左フックでフィニッシュするみたいだ。
ただ当時も今もそうだがアメリカのボクシング界はレフティーは人気が無く、スーパーチャンプにはなれ
ないのが普通で、やはりスタイルとしてオーソドックスの方が遥かに人気がある。
だから実力の割に不人気な実力者でした。
上の動画でミドル級タイトル奪取するまで、50戦以上戦って3敗であるが、3敗ともホームタウンデジ
ションのインチキな判定でまけています。初挑戦のビト・アンツフォフェルモ(伊)に超接近戦を挑まれ、
地元判定の引き分けでタイトル奪取失敗しています。
私の前前職の古書店の店主が柔道の有段者で格闘技全般が好きな人で、昔サラリーマン時代の後輩のボク
シングマニアがこのハグラーの直輸入のビデオを彼に見せたところ、かなりそれまでアルコールで酔っぱ
らってたのが酔いが醒めて驚愕したらしいのである。
そのくらい強かったです、この男は。惜しむらくは全盛期を過ぎてからハーンズ、レナード、デュランの
ウェルター級からの侵略者と死闘を演じますが、この英国のテクニシャン、アラン・ミンターに勝った当
時には中量級で誰も敵わなかったと確信しますね。
という記事を15年前に書いているけれど加筆するならば、今はヘビー級以外に絶対王者が現れなくなる時代である、大概強すぎる選手は階級を上げるので。たらればだけれどこの選手がもう一回レナードと対戦すればどうなっていたかは分からないとは思う。
不人気ぶりと強さはゲンナディー・ゴロフキンに匹敵する処はありましたね。だけれどライバルに恵まれたのは今の強い!と言われるBOXERよりははるかに恵まれていたかも?
未だにハグラー、ハーンズ、レナード、デュランの80年代黄金の中量級と言われますしね、他にプライアーやベニテスとかタレントが豊富に居た時代ではありました。