小説「15年目の終着駅」
作:安藤珍平
第17章 [出来事 -男①-]
この日、早坂は朝から慌てていた。
仕事は休みの日だったが、朝7時前には本社に到着し、正面玄関で佐治を待ち構えていた。
そわそわしながら、来る人来る人チェックしていると、やっと目当ての人物、佐冶勝男の姿を見つけた。
先に声をかけたのは佐治だった。
「おー、早坂じゃねぇか。どうした、こんな朝っぱらから?焼き肉屋にでも連れてって欲しいのか?」
「佐治さん。ちょっと大変な事になってます。」
「なんだ。どうした?キャバ嬢にでもふられたか?」
いつになく深刻な顔をした早坂は、黙ったまま佐治の腕を掴むと、そのまま足早に会議室へと連れて行き、佐治を押し込むなり、ドアを閉め切った。
「佐冶さん。かなりまずい事が起きてます。まずはこれを見てください。」
早坂は慌てた様子でノートパソコンを開いた。
佐治は怪訝な顔をしている。
「一体なんなんだ?こんな朝っぱらから」
パソコンが起動すると、動画投稿サイトを開き、再生タグをクリックした。
「これです。見て下さい。」
映像が流れ出す。
佐治は、自分の目を疑った。
優子が旦那に暴行されている映像だ。
「なんだ、これは?」
優子が東京に帰るきっかけとなった例の出来事。養殖場で元旦那が優子に暴行している映像だ。
続いて流れ出したのは、優子と元旦那とのベッドシーン。
裸や秘部はハッキリとは映っていないものの、、顔は、優子の事を知っている人ならばすぐに認識できる程鮮明だ。
「こいつはマズイな。」
佐冶は煙草に火をつけた。
「すでに、ネット上で氾濫しています。最も多いサイトでは7万レビューを越えています。」
早坂の顔は青ざめきっている。
「問題は、優子ちゃんの事を知ってる人間に見られ時だな、、、この映像の出処は一つしかないが、、それにしても一体なぜ、、」
佐冶が言葉を詰まらせた。
「それと、この映像、明らかにおかしな点があるんです。」
早坂は、もう一度再生タグをクリックした。
「ここです。見て下さい。」
佐治がパソコンを覗きこむ。
養殖場の前で暴行されているシーンだ。見れば見るほど痛々しい。
「佐冶さん、養殖場の前のあの道路、詳しく憶えてます?ここに僕のトラックが停まっていて、ここがフェンスで、この先が養殖場で、その先は海です。ほら、、変ですよね、、」
確かにおかしい。
「もう一度、見せてくれ。」
明らかにおかしい。この映像はアングル的にありえないのだ。道路にいる優子達をこの画角で撮るには、養殖場の水面あるいはその先の沖の方、海のど真ん中あたりから陸地に向けてカメラを構えないと、この角度での映像は撮れない。海の中から撮ったとでもいうのか?
「一体、どうゆう事だ?」
とにかく新潟に行って、何か手掛かりを探すしかない。佐冶と早坂はすぐに有休を申請した。
すぐにでも新潟に向かいたかったが、佐治はまず優子の父親にアポイントを取った。自分の娘の事だから、相当なショックを受ける事は容易に想像がついた。話すべきか否か一瞬悩んだ。だが、あの時、優子の父親もあの場所にいた為、父親が映っている映像も抑えられている可能性が高い。それに、父親の助けが必要になってくるケースも想定されたので、一刻も早く報告する事にした。
優子の父親はさすがに動揺していた。自分の娘の痛々しい映像をまのあたりにしているのだから、無理もない。
話しあった結果、
優子本人にはまだ話さない事にした。
佐冶がナイジェに尋ねた。「なー、ナイジェ、あの晩、玉子焼きを撒きに行った時、おまえさんかなり周囲を警戒してたよな。養殖場に何か不審な点は無かったか?」
「オレ視力2.9。海ノ先マデ見テタ。会長モイタカラ、イツモヨリ警戒シテタ。海何モナイ。人、カメラ、ナイ。養殖場の杭モ良ク見タ。不審ナ点ナカッタ。」
佐治が続ける。
「あのまっ暗闇だ。かなり強めのストロボでもたかない限り、これだけ鮮明な映像は撮れないだろ。杭の辺りや海の方で何か光ったりは記憶にないか?」
「光、ズット先ノ灯台ダケ。他ハ何モ無イ。マッ暗。」
「なるほどな。だが、事実、この映像が存在してるって事はだな、海から陸を向いてるカメラがどこかにあったて事だ。誰かが水の下に潜って水面からカメラだけ出してたってのは考えにくい。そんな動きがあったらナイジェが気づいただろう。可能性としてあるのは、杭にカメラが設置されてたって事だな。赤外線カメラ、いや、軍隊なんかが使う様な、かなり高性能の暗視カメラかなんかだろう。」
佐冶が続けた。
「厄介なのは、お父様が映ってる映像も抑えられてる可能性が高いって事だ。優子ちゃんを助けに行った時、それから、俺たち五人で玉子焼きを撒きに行った時。二回もあの場所に行っている。東京の大企業の会長が私有地のフェンスまたいで海老にタマゴ焼き配ってる映像なんざ、洒落にもなってない。」
父は言った。
「私の映像はかまわないが、優子が心配だ。これだけネットに氾濫していたら、今から全てに削除依頼を出してもイタチごっこにしかならんだろうし。」
「お父様、取り急ぎ新潟に向かいます。何か状況分かり次第、至急で連絡致します。」
佐治はすっと立ち上がると、足早に部屋を後にした。
佐冶と早坂、それからナイジェの三人で新潟に向かった。
早坂の運転技術は相当なものだ。
右へ左へと車をすり抜け、常時160キロで関越を北上している。予定よりもだいぶ早く着けそうだ。
車の中でも話し合いは続いた。
「もしかしたら、海老泥棒でもいるんすかね?その対策用に防犯カメラを設置してるのかも、、」
佐治が答える。
「それは変だろ。海老泥棒対策なら、隠しカメラなんか仕掛けるより、一目でそれと分かるくらいのデカデカしたやつ設置する方が、よっぽど抑止力になる。」
早坂が力なげに答える。
「それもそうっすね。」
あの場所に目立たない様に防犯カメラを設置するというのは、どうにも整合性がない。一体何の為に?
そして、何故、その映像を流出させたのか?
他の日のベッドシーンもある事から、映像に元旦那が関わっている事は間違いない。だが、何故それを流出させたのだろう?婦女暴行の決定的な証拠映像を故意に流出させるだろうか。
優子がこの映像の存在を知るのは時間の問題だ。
新潟に行って何か分かったところで、すでに映像が氾濫してしまっている事は、もはや、どうにもならない。
だが、それでも今できる事は新潟に急ぐ事以外、何も浮かばない。
新潟に着くと、近くのビジネスホテルにチェックインして夜が更けるのを待った。三人は深夜0時を回った頃に養殖場に侵入した。
用意していた暗視スコープで周辺をくまなく詮索したが、何も出てこない。海の中、杭の周辺あたりも目を凝らしたが、何も見つからなかった。
「ワカラナイ。アノ映像ドコカラ撮ッタ?何ノ為ニ撮ッタ?」
しばらく車で待機する事にした。
朝の太陽を待って、もう少し明るくなってから再び捜査を再開する事にした。
交代で見張りをしながら、一時間ずつ仮眠を取った。
佐治は運転席のシートを倒すと、ダッシュボードに足を放り投げ、煙草に火をつけた。
「明るくなってからの捜査でも何も出てこなかったら、、そん時は、元旦那を問い詰めに行くしかないな。」
佐冶は養殖場をぼんやりと眺めながら優子の事を考えていた。
「優子ちゃんがこれを知った時、どうなってしまうのだろうか。さすがに大きなショックを受けるだろう。何て声をかければ良いのだろうか。」
灯台の光だけが粛々と水面を照らし続けている。
何の変化も起きない目の前の景色を、ただぼんやりと眺め続けていた。
「ちっ」
煙草を切らした事に気づき、一旦、コンビニにでも行こうかと悩みはじめた時、
その時、突然、
養殖場の水面の一ヶ所から、ブクブクと何かが浮かび上がってきた。
全神経を目に集中させる。
水面から黒い影が浮かびあがってくる。
人だ。
水の中から、人の顔が浮かび上がっている。
「おい。起きろ。」
ナイジェと早坂はすぐに飛び起きると、佐治が指差す方に目をやった。
「なんだ、あれ?」
ナイジェと早坂が息を呑んだその時、佐治は勢いよく運転席のドアを蹴り開け、飛び出した。
「おい!」
対象に向かって声を張り上げる。
佐治の声に振り向いた海の中の人物は、水面をゆっくりと移動しながら近づいてきた。
水の中から、徐々に上半身が浮かび上がってくる。
上半身が裸の老人だ。
体には無数の海老が付着しいている。海老の甲殻にやられたのか体中にキリ傷やスリ傷がある。
慌てて追いかけてきた早坂が息を切らしながら言った。
「久保社長、つまり優子さんの元旦那の父親です。」
この老人、久保社長は、しばらく佐冶達をじっと見つめた後、ニヤリと笑い、陸にあがってきた。
水の中から全身を露わすと、なんと全裸だった。頭にはシュノーケルとゴーグル、足にはフィン。それ以外は何も身に纏っていない。体中に海老が付着している。そして、男性自身が いきり立っている。
異様な光景だ。
老人は、口に入っていた海老を吐き出すなり、小さな声で話し始めた。
「ほぅ。あの映像が出回り出してから2日。誰か来るとは思っていたが、随分と早かったな。」
「そんな格好で一体何してんだ?」
佐治が問いかける。
「おのれら、どこの誰だか知らんが、孤独な老人の楽しみを邪魔するでない。おまえらに話す事など何もない。」
佐治が語気を強める。
「おい、じいさん。いいから、答えろ。一体、何をしてるんだ?」
体に付着した海老がピクピクと動いている。
薄気味悪い光を放つ眼球が、佐治の目の奥をじっと覗きこむ。
「言っとるだろ。趣味じゃよ。趣味。分からんのか。」
「ふん、興ざめじゃ。」
老人の男性自身が萎んでゆく。
「おまえら女は好きか?わしは大好きじゃ。ただ、年を取るにつれ、だんだんと普通に抱くだけじゃ興奮しなくなってくる。何をやっても、どんなにいい女を抱いても満たされなくなる。そのうち、わしは辿り着いたんじゃ。究極の快楽に。いいか?教えてやろう。自分の体中にエサを塗りたくり、この養殖池に入るんじゃ。すると、かわいい海老達がわしの全身を愛撫してきよる。そうして、やっと、わしは満たされ、果てることが出来るんじゃ。これこそが今のわしを満たす、唯一の快楽じゃ。分かったか?分かったなら、出てゆけ小僧ども。これ以上、人の楽しみを邪魔するなら建造物侵入罪で警察に突き出すぞ。」
「いつ、水の中に入ったんだ!俺たちは6時間前からずっと見張っていたんだぞ!」
早坂が言った。
老人は、ふふっと不気味な笑みを浮かべながら、視線を早坂に移した。
「本社の社長室から養殖場の底まで地下トンネルを繋げておる。社長室でスーツを脱ぎ去り、膝下まで水に浸かる長い地下トンネルを歩いて養殖場に向かう時から快楽は始まるのじゃ。」
「ふっ、なるほどな。」
しばらく黙って聞いていた佐冶が口を開いた。
佐治が続ける。
「おい、じぃさん 。もう、いい。いい加減、詭弁はよせ。」
言い終わるやいなや、佐冶は養殖場に近づくと、服を着たまま水の中に飛び込んだ。
水しぶきがあがる。
しばらく沈黙が流れた。
早坂とナイジェは、佐治の行動が理解出来ず、不安そうな顔でじっと水面を見まもっている。
老人は表情を一切変えず、その場に佇んでいる。
しばらくすると、佐冶が水面から顔を出した。
「やっぱりな。この養殖場全体が巨大なカモフラージュだったとはな。
だいたい玉子焼きで海老が上手くなるなんて詭弁もいいとこだ。
海老に目を向けさせといて、そのもっと下、海の底に、こんなえげつない秘密を隠していたとはな。」
早坂は全く理解できない。「どうゆうことっすか?」
「これだよ。」
佐冶の手には何やら甲殻類らしきモノが握られていた。海老によく似ているが、エビより色素が薄く、なんとも気味の悪い色をしている。
佐冶が続けた。
「シャコだよ。寿司屋なんかでよく食うシャコだ。知ってるか?海から水死体があがると、決まって体にはウジャウジャとシャコが付いてるんだ。シャコってのは死肉が好物だ。」
そこまで話すと、佐冶は老人を睨みつけてから吐き捨てた。
「この下衆野郎。」
「水の下には死体がたくさん転がってたよ。それも若い女性のばかりだ。
おい。じじい。おまえ相当、悪どい稼業に手を染めてやがるな。一体何をやってやがる?」
「知った所でどうする。おまえの様な小僧には何もできないぞ。うちの客は国内外の財政界のビップばかりじゃ。現役の閣僚も総理大臣経験者もおる。」
佐治が語気を強める。
「いいから答えろ!」
老人の顔は徐々に紅潮していく。
「教えてやろう、平民ども。あり余る程の金、それから地位を手にした人間はどうなると思う?想像もつかんだろ?
何をしても満たされんのじゃよ。高級車も、極上の女も、キャビアもフォアグラも、何でも手に入っちまう人生てのは実に悲しい。クエンティン・タランティーノのホステルって映画は見たことあるか?金持ちがオークションで好みの人間を買って、好きな様になぶり殺すじゃろ?カイジって漫画に出てくる妖怪みたいな金持ちどもを知ってるか?弱者がもがき苦しむ姿を見るのが快楽じゃろ?
大抵の金持ちはそうなる。さらに狂った奴になると、セックスしてる最中にいたぶりながら殺すんじゃ。奴らの言い分は、メスのカマキリは交尾の後にオスを食い殺す。これは異常でも何でもなく、一つの自然の摂理。という事らしい。うちの客はそんな連中ばかりじゃ。中には殺して死体になった女でしか勃起しない奴もおる。
そんな奴らにうちは楽しみを提供しておる。安全な楽しみだ。死体はうちが引き取る。」
老人は話を続ける。
「だが、それだけじゃない。それにも飽きてきた連中は、その次は何を求める様になったと思う?
わからんじゃろ?奴らはどうしたか?なんと、今度は若い女の死体に付いてるシャコが食いたいと言いだした。どうやら最高の美味らしい。最初に言い出したのは、なんと女性じゃよ。考えられるか?財界の大物、あらゆる富を持っている70代の老婦人が、自分より若く美しい女性の死体についてるシャコが食いたいと言い出した。それから、あっという間に広まった。今じゃうちのビップ限定の会員制寿司屋は、数ヶ月前から予約で一杯じゃ。シャコが一貫400万円じゃぞ。狂っておる。実に、狂っておる。
どうじゃ、おまえらも食いにくるか。来るなら席を用意してやるぞ。」
「優子さんの映像は何なんだ?何であんな映像があるんだ?」
早坂の声には怒りが滲んでいる。
「水の上にあるカメラは秘密を守るため。この養殖場の周辺、ありとあらゆる場所に高性能カメラを仕込んでおる。養殖場へ近づく者を徹底的に監視しておる。去年だったかな?地元紙の若い記者、侵入を試みた無謀な若者はすぐに抹消されたぞ。さて、ここでおまえらに一つ問題を出そう。カメラは水の下、海の底にも大量に仕掛けおる。さて、何の為だかわかるかな?」
沈黙したままの三人などお構いなしに、老人はますます顔を紅潮させ、目を見開き、嬉々としながら、しゃべり続ける。
「答は簡単。寿司屋での上映用じゃ。奴らは、今、自分が食ってるシャコがどんな女の死体についていたのか。それが見たいと申しよる。まさに狂気の沙汰。妖怪の類。とことん腐っておる。」
早坂が怒鳴る。
「ネットに流出させたのは何故だ?何の為に優子さんの映像を流出させた?」
「あれは息子が勝手にやった事じゃ、わしは知らん。余計な事しよって。
ここの映像は全て本社のIT室にデーターで飛ばしておる。役員なら誰でも入れる様になっておる。まったく、バカ息子には困ったものだ。昨晩、たっぷり拷問してやったよ。」
佐冶達は車に向かった。これ以上、何も話す気がしなかった。怒りを通り越して殴る気すらおきなかった。
車に向かうと、あたり一面を警備員達が取り囲んでいた。中には警官もいる。どうやら地元警察も買収されているらしい。
佐冶が怒鳴り声をあげた。
「どけ!」
「おまえら そこをどけ!」
警備員が佐冶達を取り押さえに近づいてきた時、老人が声をあげた。
「よい。行かせてやれ。」
「何もできやせん。わしらが危害を被る事はない。」
老人は、佐治に近づいた。
「それより、おまえら、これを持ってゆくがよい。」
佐治の目の前にスチール製のバッグが置かれた。
「ひとり一千万。計三千万だ。これで寿司でも食って東京に帰るがよい。そうそう、シャコを頼むのを忘れずにな。」
佐冶はバッグを掴み取るとナイジェに手渡した。
ナイジェはバッグを受け取ると、声にならない雄叫びをあげながら、力いっぱいに海に投げ込んだ。
薄明かりの海に、札束がひらひら舞っている。
ナイジェは空を見上げ、涙をこぼしながら手を合わせた。
「Dieu.Veuillez sauver l'âme de gens qui dorment au fond de la mer.Et s'il vous plaît pardonne l'infraction du pauvre homme qu'il y a ici.Amen」
ナイジェリアの公用語は英語だが、ナイジェはフランス語圏のどこかの国で産まれたのだろう。
「神よ 海の底に眠る者達の御霊を救いたまえ。また、ここにいる哀れな男の罪をも許したまえ。アーメン。」
三人は後ろを振り返らず、車に向かった。
早坂が目に涙を浮かべながら呟いた。
「あんな奴 殴るまでもない。」
車に乗り込み、キーを差しこみながら佐冶が答える。
「同感だ。その通りだよ、早坂。殴る価値もない。だがな、だがな、」
佐冶は運転席のドアを蹴り開けた。
車を飛び出す。
一直線に駆けてゆく。
老人の顔面に佐冶のこぶしがめり込んだ。
警備員達が駆け寄ってくる。
佐冶は警備員達を見渡すと怒鳴り声をあげた。
「おまえらもおまえらだ!自分が何やってんのか、よく考えてみろ!」
「どけ!」
「どけよ!」
警備員達は立ち尽くしている。
背中の後ろから何やら老人の奇声が聞こえていたが、一切振り返らずに車に戻った。
エンジンをかけると前をみた。
「次の目的地、元旦那だ。」
作:安藤珍平
第17章 [出来事 -男①-]
この日、早坂は朝から慌てていた。
仕事は休みの日だったが、朝7時前には本社に到着し、正面玄関で佐治を待ち構えていた。
そわそわしながら、来る人来る人チェックしていると、やっと目当ての人物、佐冶勝男の姿を見つけた。
先に声をかけたのは佐治だった。
「おー、早坂じゃねぇか。どうした、こんな朝っぱらから?焼き肉屋にでも連れてって欲しいのか?」
「佐治さん。ちょっと大変な事になってます。」
「なんだ。どうした?キャバ嬢にでもふられたか?」
いつになく深刻な顔をした早坂は、黙ったまま佐治の腕を掴むと、そのまま足早に会議室へと連れて行き、佐治を押し込むなり、ドアを閉め切った。
「佐冶さん。かなりまずい事が起きてます。まずはこれを見てください。」
早坂は慌てた様子でノートパソコンを開いた。
佐治は怪訝な顔をしている。
「一体なんなんだ?こんな朝っぱらから」
パソコンが起動すると、動画投稿サイトを開き、再生タグをクリックした。
「これです。見て下さい。」
映像が流れ出す。
佐治は、自分の目を疑った。
優子が旦那に暴行されている映像だ。
「なんだ、これは?」
優子が東京に帰るきっかけとなった例の出来事。養殖場で元旦那が優子に暴行している映像だ。
続いて流れ出したのは、優子と元旦那とのベッドシーン。
裸や秘部はハッキリとは映っていないものの、、顔は、優子の事を知っている人ならばすぐに認識できる程鮮明だ。
「こいつはマズイな。」
佐冶は煙草に火をつけた。
「すでに、ネット上で氾濫しています。最も多いサイトでは7万レビューを越えています。」
早坂の顔は青ざめきっている。
「問題は、優子ちゃんの事を知ってる人間に見られ時だな、、、この映像の出処は一つしかないが、、それにしても一体なぜ、、」
佐冶が言葉を詰まらせた。
「それと、この映像、明らかにおかしな点があるんです。」
早坂は、もう一度再生タグをクリックした。
「ここです。見て下さい。」
佐治がパソコンを覗きこむ。
養殖場の前で暴行されているシーンだ。見れば見るほど痛々しい。
「佐冶さん、養殖場の前のあの道路、詳しく憶えてます?ここに僕のトラックが停まっていて、ここがフェンスで、この先が養殖場で、その先は海です。ほら、、変ですよね、、」
確かにおかしい。
「もう一度、見せてくれ。」
明らかにおかしい。この映像はアングル的にありえないのだ。道路にいる優子達をこの画角で撮るには、養殖場の水面あるいはその先の沖の方、海のど真ん中あたりから陸地に向けてカメラを構えないと、この角度での映像は撮れない。海の中から撮ったとでもいうのか?
「一体、どうゆう事だ?」
とにかく新潟に行って、何か手掛かりを探すしかない。佐冶と早坂はすぐに有休を申請した。
すぐにでも新潟に向かいたかったが、佐治はまず優子の父親にアポイントを取った。自分の娘の事だから、相当なショックを受ける事は容易に想像がついた。話すべきか否か一瞬悩んだ。だが、あの時、優子の父親もあの場所にいた為、父親が映っている映像も抑えられている可能性が高い。それに、父親の助けが必要になってくるケースも想定されたので、一刻も早く報告する事にした。
優子の父親はさすがに動揺していた。自分の娘の痛々しい映像をまのあたりにしているのだから、無理もない。
話しあった結果、
優子本人にはまだ話さない事にした。
佐冶がナイジェに尋ねた。「なー、ナイジェ、あの晩、玉子焼きを撒きに行った時、おまえさんかなり周囲を警戒してたよな。養殖場に何か不審な点は無かったか?」
「オレ視力2.9。海ノ先マデ見テタ。会長モイタカラ、イツモヨリ警戒シテタ。海何モナイ。人、カメラ、ナイ。養殖場の杭モ良ク見タ。不審ナ点ナカッタ。」
佐治が続ける。
「あのまっ暗闇だ。かなり強めのストロボでもたかない限り、これだけ鮮明な映像は撮れないだろ。杭の辺りや海の方で何か光ったりは記憶にないか?」
「光、ズット先ノ灯台ダケ。他ハ何モ無イ。マッ暗。」
「なるほどな。だが、事実、この映像が存在してるって事はだな、海から陸を向いてるカメラがどこかにあったて事だ。誰かが水の下に潜って水面からカメラだけ出してたってのは考えにくい。そんな動きがあったらナイジェが気づいただろう。可能性としてあるのは、杭にカメラが設置されてたって事だな。赤外線カメラ、いや、軍隊なんかが使う様な、かなり高性能の暗視カメラかなんかだろう。」
佐冶が続けた。
「厄介なのは、お父様が映ってる映像も抑えられてる可能性が高いって事だ。優子ちゃんを助けに行った時、それから、俺たち五人で玉子焼きを撒きに行った時。二回もあの場所に行っている。東京の大企業の会長が私有地のフェンスまたいで海老にタマゴ焼き配ってる映像なんざ、洒落にもなってない。」
父は言った。
「私の映像はかまわないが、優子が心配だ。これだけネットに氾濫していたら、今から全てに削除依頼を出してもイタチごっこにしかならんだろうし。」
「お父様、取り急ぎ新潟に向かいます。何か状況分かり次第、至急で連絡致します。」
佐治はすっと立ち上がると、足早に部屋を後にした。
佐冶と早坂、それからナイジェの三人で新潟に向かった。
早坂の運転技術は相当なものだ。
右へ左へと車をすり抜け、常時160キロで関越を北上している。予定よりもだいぶ早く着けそうだ。
車の中でも話し合いは続いた。
「もしかしたら、海老泥棒でもいるんすかね?その対策用に防犯カメラを設置してるのかも、、」
佐治が答える。
「それは変だろ。海老泥棒対策なら、隠しカメラなんか仕掛けるより、一目でそれと分かるくらいのデカデカしたやつ設置する方が、よっぽど抑止力になる。」
早坂が力なげに答える。
「それもそうっすね。」
あの場所に目立たない様に防犯カメラを設置するというのは、どうにも整合性がない。一体何の為に?
そして、何故、その映像を流出させたのか?
他の日のベッドシーンもある事から、映像に元旦那が関わっている事は間違いない。だが、何故それを流出させたのだろう?婦女暴行の決定的な証拠映像を故意に流出させるだろうか。
優子がこの映像の存在を知るのは時間の問題だ。
新潟に行って何か分かったところで、すでに映像が氾濫してしまっている事は、もはや、どうにもならない。
だが、それでも今できる事は新潟に急ぐ事以外、何も浮かばない。
新潟に着くと、近くのビジネスホテルにチェックインして夜が更けるのを待った。三人は深夜0時を回った頃に養殖場に侵入した。
用意していた暗視スコープで周辺をくまなく詮索したが、何も出てこない。海の中、杭の周辺あたりも目を凝らしたが、何も見つからなかった。
「ワカラナイ。アノ映像ドコカラ撮ッタ?何ノ為ニ撮ッタ?」
しばらく車で待機する事にした。
朝の太陽を待って、もう少し明るくなってから再び捜査を再開する事にした。
交代で見張りをしながら、一時間ずつ仮眠を取った。
佐治は運転席のシートを倒すと、ダッシュボードに足を放り投げ、煙草に火をつけた。
「明るくなってからの捜査でも何も出てこなかったら、、そん時は、元旦那を問い詰めに行くしかないな。」
佐冶は養殖場をぼんやりと眺めながら優子の事を考えていた。
「優子ちゃんがこれを知った時、どうなってしまうのだろうか。さすがに大きなショックを受けるだろう。何て声をかければ良いのだろうか。」
灯台の光だけが粛々と水面を照らし続けている。
何の変化も起きない目の前の景色を、ただぼんやりと眺め続けていた。
「ちっ」
煙草を切らした事に気づき、一旦、コンビニにでも行こうかと悩みはじめた時、
その時、突然、
養殖場の水面の一ヶ所から、ブクブクと何かが浮かび上がってきた。
全神経を目に集中させる。
水面から黒い影が浮かびあがってくる。
人だ。
水の中から、人の顔が浮かび上がっている。
「おい。起きろ。」
ナイジェと早坂はすぐに飛び起きると、佐治が指差す方に目をやった。
「なんだ、あれ?」
ナイジェと早坂が息を呑んだその時、佐治は勢いよく運転席のドアを蹴り開け、飛び出した。
「おい!」
対象に向かって声を張り上げる。
佐治の声に振り向いた海の中の人物は、水面をゆっくりと移動しながら近づいてきた。
水の中から、徐々に上半身が浮かび上がってくる。
上半身が裸の老人だ。
体には無数の海老が付着しいている。海老の甲殻にやられたのか体中にキリ傷やスリ傷がある。
慌てて追いかけてきた早坂が息を切らしながら言った。
「久保社長、つまり優子さんの元旦那の父親です。」
この老人、久保社長は、しばらく佐冶達をじっと見つめた後、ニヤリと笑い、陸にあがってきた。
水の中から全身を露わすと、なんと全裸だった。頭にはシュノーケルとゴーグル、足にはフィン。それ以外は何も身に纏っていない。体中に海老が付着している。そして、男性自身が いきり立っている。
異様な光景だ。
老人は、口に入っていた海老を吐き出すなり、小さな声で話し始めた。
「ほぅ。あの映像が出回り出してから2日。誰か来るとは思っていたが、随分と早かったな。」
「そんな格好で一体何してんだ?」
佐治が問いかける。
「おのれら、どこの誰だか知らんが、孤独な老人の楽しみを邪魔するでない。おまえらに話す事など何もない。」
佐治が語気を強める。
「おい、じいさん。いいから、答えろ。一体、何をしてるんだ?」
体に付着した海老がピクピクと動いている。
薄気味悪い光を放つ眼球が、佐治の目の奥をじっと覗きこむ。
「言っとるだろ。趣味じゃよ。趣味。分からんのか。」
「ふん、興ざめじゃ。」
老人の男性自身が萎んでゆく。
「おまえら女は好きか?わしは大好きじゃ。ただ、年を取るにつれ、だんだんと普通に抱くだけじゃ興奮しなくなってくる。何をやっても、どんなにいい女を抱いても満たされなくなる。そのうち、わしは辿り着いたんじゃ。究極の快楽に。いいか?教えてやろう。自分の体中にエサを塗りたくり、この養殖池に入るんじゃ。すると、かわいい海老達がわしの全身を愛撫してきよる。そうして、やっと、わしは満たされ、果てることが出来るんじゃ。これこそが今のわしを満たす、唯一の快楽じゃ。分かったか?分かったなら、出てゆけ小僧ども。これ以上、人の楽しみを邪魔するなら建造物侵入罪で警察に突き出すぞ。」
「いつ、水の中に入ったんだ!俺たちは6時間前からずっと見張っていたんだぞ!」
早坂が言った。
老人は、ふふっと不気味な笑みを浮かべながら、視線を早坂に移した。
「本社の社長室から養殖場の底まで地下トンネルを繋げておる。社長室でスーツを脱ぎ去り、膝下まで水に浸かる長い地下トンネルを歩いて養殖場に向かう時から快楽は始まるのじゃ。」
「ふっ、なるほどな。」
しばらく黙って聞いていた佐冶が口を開いた。
佐治が続ける。
「おい、じぃさん 。もう、いい。いい加減、詭弁はよせ。」
言い終わるやいなや、佐冶は養殖場に近づくと、服を着たまま水の中に飛び込んだ。
水しぶきがあがる。
しばらく沈黙が流れた。
早坂とナイジェは、佐治の行動が理解出来ず、不安そうな顔でじっと水面を見まもっている。
老人は表情を一切変えず、その場に佇んでいる。
しばらくすると、佐冶が水面から顔を出した。
「やっぱりな。この養殖場全体が巨大なカモフラージュだったとはな。
だいたい玉子焼きで海老が上手くなるなんて詭弁もいいとこだ。
海老に目を向けさせといて、そのもっと下、海の底に、こんなえげつない秘密を隠していたとはな。」
早坂は全く理解できない。「どうゆうことっすか?」
「これだよ。」
佐冶の手には何やら甲殻類らしきモノが握られていた。海老によく似ているが、エビより色素が薄く、なんとも気味の悪い色をしている。
佐冶が続けた。
「シャコだよ。寿司屋なんかでよく食うシャコだ。知ってるか?海から水死体があがると、決まって体にはウジャウジャとシャコが付いてるんだ。シャコってのは死肉が好物だ。」
そこまで話すと、佐冶は老人を睨みつけてから吐き捨てた。
「この下衆野郎。」
「水の下には死体がたくさん転がってたよ。それも若い女性のばかりだ。
おい。じじい。おまえ相当、悪どい稼業に手を染めてやがるな。一体何をやってやがる?」
「知った所でどうする。おまえの様な小僧には何もできないぞ。うちの客は国内外の財政界のビップばかりじゃ。現役の閣僚も総理大臣経験者もおる。」
佐治が語気を強める。
「いいから答えろ!」
老人の顔は徐々に紅潮していく。
「教えてやろう、平民ども。あり余る程の金、それから地位を手にした人間はどうなると思う?想像もつかんだろ?
何をしても満たされんのじゃよ。高級車も、極上の女も、キャビアもフォアグラも、何でも手に入っちまう人生てのは実に悲しい。クエンティン・タランティーノのホステルって映画は見たことあるか?金持ちがオークションで好みの人間を買って、好きな様になぶり殺すじゃろ?カイジって漫画に出てくる妖怪みたいな金持ちどもを知ってるか?弱者がもがき苦しむ姿を見るのが快楽じゃろ?
大抵の金持ちはそうなる。さらに狂った奴になると、セックスしてる最中にいたぶりながら殺すんじゃ。奴らの言い分は、メスのカマキリは交尾の後にオスを食い殺す。これは異常でも何でもなく、一つの自然の摂理。という事らしい。うちの客はそんな連中ばかりじゃ。中には殺して死体になった女でしか勃起しない奴もおる。
そんな奴らにうちは楽しみを提供しておる。安全な楽しみだ。死体はうちが引き取る。」
老人は話を続ける。
「だが、それだけじゃない。それにも飽きてきた連中は、その次は何を求める様になったと思う?
わからんじゃろ?奴らはどうしたか?なんと、今度は若い女の死体に付いてるシャコが食いたいと言いだした。どうやら最高の美味らしい。最初に言い出したのは、なんと女性じゃよ。考えられるか?財界の大物、あらゆる富を持っている70代の老婦人が、自分より若く美しい女性の死体についてるシャコが食いたいと言い出した。それから、あっという間に広まった。今じゃうちのビップ限定の会員制寿司屋は、数ヶ月前から予約で一杯じゃ。シャコが一貫400万円じゃぞ。狂っておる。実に、狂っておる。
どうじゃ、おまえらも食いにくるか。来るなら席を用意してやるぞ。」
「優子さんの映像は何なんだ?何であんな映像があるんだ?」
早坂の声には怒りが滲んでいる。
「水の上にあるカメラは秘密を守るため。この養殖場の周辺、ありとあらゆる場所に高性能カメラを仕込んでおる。養殖場へ近づく者を徹底的に監視しておる。去年だったかな?地元紙の若い記者、侵入を試みた無謀な若者はすぐに抹消されたぞ。さて、ここでおまえらに一つ問題を出そう。カメラは水の下、海の底にも大量に仕掛けおる。さて、何の為だかわかるかな?」
沈黙したままの三人などお構いなしに、老人はますます顔を紅潮させ、目を見開き、嬉々としながら、しゃべり続ける。
「答は簡単。寿司屋での上映用じゃ。奴らは、今、自分が食ってるシャコがどんな女の死体についていたのか。それが見たいと申しよる。まさに狂気の沙汰。妖怪の類。とことん腐っておる。」
早坂が怒鳴る。
「ネットに流出させたのは何故だ?何の為に優子さんの映像を流出させた?」
「あれは息子が勝手にやった事じゃ、わしは知らん。余計な事しよって。
ここの映像は全て本社のIT室にデーターで飛ばしておる。役員なら誰でも入れる様になっておる。まったく、バカ息子には困ったものだ。昨晩、たっぷり拷問してやったよ。」
佐冶達は車に向かった。これ以上、何も話す気がしなかった。怒りを通り越して殴る気すらおきなかった。
車に向かうと、あたり一面を警備員達が取り囲んでいた。中には警官もいる。どうやら地元警察も買収されているらしい。
佐冶が怒鳴り声をあげた。
「どけ!」
「おまえら そこをどけ!」
警備員が佐冶達を取り押さえに近づいてきた時、老人が声をあげた。
「よい。行かせてやれ。」
「何もできやせん。わしらが危害を被る事はない。」
老人は、佐治に近づいた。
「それより、おまえら、これを持ってゆくがよい。」
佐治の目の前にスチール製のバッグが置かれた。
「ひとり一千万。計三千万だ。これで寿司でも食って東京に帰るがよい。そうそう、シャコを頼むのを忘れずにな。」
佐冶はバッグを掴み取るとナイジェに手渡した。
ナイジェはバッグを受け取ると、声にならない雄叫びをあげながら、力いっぱいに海に投げ込んだ。
薄明かりの海に、札束がひらひら舞っている。
ナイジェは空を見上げ、涙をこぼしながら手を合わせた。
「Dieu.Veuillez sauver l'âme de gens qui dorment au fond de la mer.Et s'il vous plaît pardonne l'infraction du pauvre homme qu'il y a ici.Amen」
ナイジェリアの公用語は英語だが、ナイジェはフランス語圏のどこかの国で産まれたのだろう。
「神よ 海の底に眠る者達の御霊を救いたまえ。また、ここにいる哀れな男の罪をも許したまえ。アーメン。」
三人は後ろを振り返らず、車に向かった。
早坂が目に涙を浮かべながら呟いた。
「あんな奴 殴るまでもない。」
車に乗り込み、キーを差しこみながら佐冶が答える。
「同感だ。その通りだよ、早坂。殴る価値もない。だがな、だがな、」
佐冶は運転席のドアを蹴り開けた。
車を飛び出す。
一直線に駆けてゆく。
老人の顔面に佐冶のこぶしがめり込んだ。
警備員達が駆け寄ってくる。
佐冶は警備員達を見渡すと怒鳴り声をあげた。
「おまえらもおまえらだ!自分が何やってんのか、よく考えてみろ!」
「どけ!」
「どけよ!」
警備員達は立ち尽くしている。
背中の後ろから何やら老人の奇声が聞こえていたが、一切振り返らずに車に戻った。
エンジンをかけると前をみた。
「次の目的地、元旦那だ。」