小説「15年目の終着駅」
作:安藤珍平
第15章[現在]
春の風が気持ちいい。
仕事の帰り道、いつものコンビニで缶チュウハイを2缶とサラダとヨーグルトを買って優子はマンションに帰ってきた。
ニュース番組をぼんやり見ながら酒を飲む。33歳。離婚歴あり。広尾のインテリアショップ勤務。日本橋の名家に3人姉弟の次女として産まれる。笑顔の似合う明るく清楚な美貌。学生時代の友達からは口々に「優子は年とるたびにカワイくなってくよな~」と言われる。正直、仕事なんてしなくても贅沢に生活出来るだけのお金が実家にはある。定期的に色んなタイプの男から口説かれる。皆から羨ましがられる存在である。
ただ、当の優子本人は自分と自分の人生に切なさと、やるせなさ、寂しさを感じていた。
仕事をしてるのも気を紛らわす為だし、代々木で一人暮らししてるのも何となく実家にいるより気が楽だから、、
そんなに好きじゃなかったお酒も最近では毎晩飲む様になってしまった。
年間の離婚件数は26万件を越え、三組に一組が離婚すると言われてる今の時代。バツイチだなんて、たいした問題でも何ともない。
ただ、もともと真面目で繊細な性格の優子は、自分がバツイチという事に敏感になっていた。
また、あの離婚以来、ちょっとした男性不信にもなっており、明るく前向きな恋愛も出来ず、自己嫌悪で憂鬱な毎日に、自然と酒の量も増えていった。
「私って駄目な女よね。」ため息まじりに呟いた。
うっすらと目に涙を溜めながら2缶目の缶チュウハイをあけた。
すると
プルル プルル プルルと携帯が鳴った。
高校の同級生の佐冶からのメールだった。
「優子ちゃーん。今、優子ちゃん家の近くにいるんだけど、軽く飲みに行かへん?優子ちゃんのコト考えてたら、気がついたら優子ちゃん家の前まで来ちゃってた。遊んで!遊んで!バブー。バブー。ぼくちん、大きい赤ちゃんでしゅ。1人じゃ歩けないよぉ。ここはどこ?えーん。えーん。」
ちょうど、家にある酒を全部飲みきってしまい、コンビニに行こうかと悩んでいた時だったので、優子は佐冶と飲みに行く事にした。
代々木に引越してからは、優子とよく飲みに行く関係になっていた。
優子にとっての佐冶は、全く気を使わなくてよい存在。言いたい事は何でも言えるし、ラーメン屋で替玉を頼んだり居酒屋であぐらをかいたりもできる。おそらく、佐冶が全く遠慮無しに優子に接してくるので、優子も佐冶の前では素の自分を出せる様になってしまったのだろう。
佐冶が新潟の病院に駆けつけてくれた頃からニ人の距離は徐々に縮まっていった。高校で知りあってから十数年の付き合いになるが、今までは佐冶の良い部分を全く知らず、表面的な部分だけを見ていたのだな。と実感する様になっていた。新潟で佐冶の優しさや真摯な人間性に触れて以来、自然に惹かれていった。ちょっとした人間不信だった事から人と会う事すら極力避けていたのに、佐治だけは違った。数少ない信頼できる存在、特別な存在だった。
といっても、二人きりで飲む様になったのは、ごく最近の事だ。
佐冶といえば、父親がいる前でもセクハラぎりぎりの容赦無いアプローチをしてくる様な男なので、二人きりで会うのはしばらく避けていた。
優子と佐冶と早坂、それから父親とナイジェを入れた五人で飲む事が多かった。場所は決まって六本木のサルサバー。ナイジェが昔働いていた店だ。
佐冶はその店で女性によくモテた。どうやら、外国人目線だとかなり魅力的な男性に見えるらしい。ある時など、お店にいる間中ずっとイタリア人女性に言い寄られていた。それもすごくセクシーな美人。彼女の愚痴を聞いた事がある。「私、しょっちゅう勝男を個室に連れ出して、ありったけセクシーに迫ってるのに、あの人ったら全く乗ってこないの。キスすらさせてくれないわ。フロアでは勝男の方からハグしてきたりするくせのに、2人きりになるとからっきし!私の魅力が足りないの?それとも、もしかしてあの人、いま日本で流行の草食系男子ってやつ?」
それに対して優子は「わからないけど、たぶん草食系ではないと思いますよ。」と答えた。
音楽が好きで今でもバンドを組んでいる優子の父もサルサバーがたいそう気に入ったらしく、2週間に1度くらいのペースで通っていた。65才になる父が楽しそうに遊んでいる姿を見るのは、とても気分が良かった。
一度、やむをえず、カラオケで佐治と2人きりで朝まで過ごした事がある。その時、意外な事に佐冶はとても紳士的だった。口説かれたり言い寄られたり、セクハラされたりを少しだけ警戒していたが、そういった事は一切無かった。意外な事に、どうやら佐治は女性と二人きりの時は紳士らしい。
二人きりでよく会う様になったのは、その日以降だ。
その日も最初から二人で会っていたわけではない。佐治の会社の後輩フジモン主催の飲み会で10人くらいでカラオケをしていた。
佐治は音楽にほとんど興味が無いらしく、二曲しか好きな歌がないらしい。
一つは青山テルマ フューチャリングSoulja「ここにいるよ」。
皆の前でデュェットさせられた時は、顔から火が出るほど恥ずかしかった。佐治はラップの部分を感情を込めながら本気で歌う。しかも、歌詞を優子の名前に変えたりしながら。
「Baby boy 勝男はここにいるよ どこもいかずに待ってるよ。」
「優子のこと待ってるよ~」
あたかもステージ上にいるミュージシャンにでもなったかの様に、本気で曲に入り込んで歌いあげるので、みんな苦笑していた。本当に恥ずかしかった。
もう一曲はGLAYの「HOWEVER」。目を細め、手の角度までマネしながら歌う。佐治がイントロの「やわらかな風が吹く~この場所で~」まで歌うと誰かに消されてしまう。佐治は「何すんねん!」と言って、あきらめずに何度も何度も入れ直すが、毎回同じ所で消されてしまう。そのやりとりに、みんな大爆笑していた。
その会がお開きになりカラオケを出た時、佐冶だけが一人物足りなそうな顔をしていたので、少し可哀想になり二人だけで店に戻る事にした。優子自身も人が大勢いる飲み会で少し気疲れしていたので、佐冶の様な気心知れた人とゆっくり飲み直したいと思っていた。
佐冶は、朝5時半の閉店まで同じ二曲だけを何十回もくりかえし歌っていた。
イントロが流れ出すと毎回セリフを入れていた。「高校の頃、好きな人と付き合えなかった時、毎晩聞いてた曲です。聞いて下さい。HOWEVER」といった具合に毎回何かしらセリフを入れる。
ダミ声で音痴だけど、感情を込めて本気で歌う姿が少しカッコ良くみえた。
大勢のギャラリーがいた時は恥ずかしかったけど、二人きりでの青山テルマのデュエットは楽しかった。
その日以降、何回も二人で遊んだが佐冶はいつも紳士的だった。佐冶から恋愛の話や男女の話をしてくる事は無く、気を使ってくれていたのか元旦那の話なども一切無かった。その日にあった事や最近のニュースの話、それから幕末の話ばかりしていた。優子は本音では恋愛の話なんかもしてみたかった。佐冶の恋愛観に興味があったし、自分の離婚の話なんかもしてみて佐冶の意見を聞いてみたいと思っていた。だが、自分からそういった話題を持ち出すのは気が引けた。
佐冶からのメールを見ると、優子はすぐに準備をして家を出た。この日、二人は代々木上原のカフェで飲む事にした。
10時頃に店に入り、たわいもない話をしていると、あっという間に時間が過ぎていた。
「佐冶君の終電何時?相模原まででしょ?そろそろだよね?」
「大丈夫だよ。週に三、四回通っているスーパー銭湯が小田急線の祖師ヶ谷大蔵にあるんだ。相模原まで帰らないから終電なんて大丈夫だよ。」
佐冶の行動はいつも自由気ままだ。
「もし自分が男に産まれてて、佐冶君の友人だったとしたら、今ごろ人生すごく楽しいんだろうな。」優子はしみじみと思った。
11時を過ぎた頃、若い女の子グループが横の席に座った。
茶髪に短いスカート。目の下に濃いめのラインを引いている。一目でそれとわかる水商売風の女性達だ。
女性達はチラチラとこちらを見てくる。優子はこういった女性達があまり得意ではなかったので、なるべく目を合わせない様にしていた。席と席の距離が近かったので落ち着かなかった。
すると、女性の一人が声をかけてきた。「佐冶さん?」
もう一人の女性も言った。「あら、佐冶さんじゃない?久しぶり。」
女性達は優子をマジマジと見つめてくる。自分に集まってくる好奇の視線に辟易しながら「話しかけてこないで欲しい」と念じていた。
「わかったぁ。ねぇ。あなた、もしかして優子さん??」
気が重くなった。
「はい。そうです。」
少し間が空いてから、小さな声で返事した。
すると、女性達は口々に「やっぱりぃ!」「写メよりキレイじゃん!」「あれ?こんな時間にデートしてるって事はもしや?」「良かったね!佐冶さん!」などと騒ぎだした。
佐冶はしばらく黙ったまま下を向いていたが、ふと口を開いた。
「優子ちゃん。この子らは売春婦だ。」
「え!?」
優子は今までこういったタイプの女性と接した事がなかったので動揺した。どうリアクションしたらよいのか分からなかい。
女性達は、話す相手を完全に優子一人にロックオンした。
「優子さん、あんた幸せものよ。佐冶さんね、お店に来ても何もしないの。ナンバー1の子のオッパイが目の前にあっても指一本触れないでお酒飲んでばっかり。こっちが恥ずかしくなるわよ。」
「そうそう、私一回聞いた事があるの。あんた何しに来てんの?って。そしたらさ、、俺は営業課のサラリーマンだ。付き合いってもんがある。お得意様が行きたいって言えば、断るわけにはいかないんだよ。いいか?綺麗、汚い、じゃないんだ。仕事ってのはそうゆうもんだ。
とかカッコつけながら言うの。まぢウケる!ってか、うぜー」
「私なんて、この前、欲求不満がムラムラしてて佐冶さんラブホに誘ったら断られたからね!まぢウケるっしょ!」
「ウケる!あとさ、佐冶さんと言えば話がクソつまんなくない?」
佐冶のモノマネを始めた。
「おまえら何才だ?いいか、幕末の志士、坂本龍馬は16才の時~~。」
「はっはっは。マヂ似てる。うける。幕末話、意味わかんねぇ」
「あとはだいたい優子の話してるか、優子にメール打ってるよね。優子ちゃんからの返信こい!こい!とか言いながら、なにあれ?オマジナイ?」
「きゃははは。知ってる!あのオマジナイまぢキモい。」
女性達は徐々にエスカレートしてきている。
「しかも、優子さん、この人ね。あれ?ねー、佐冶さん、あれ言っていい?」
佐冶がうんざりした口調で言った。
「うるせーぞ。小娘ども。いい加減にしろ。」
女性達は嫌がる佐冶を見て、ますますテンションが上がってしまった様子だ。
「なんで?いいじゃん!言ってもいいでしょ?」「そだよ!言いなよ!」「優子さん!この人の秘密教えてあげるよ!」
佐冶が口を挟んだ。
「もういい。黙れ。自分で言う。」
佐冶は目線を下に落とし、唇を噛みなから言った。
「あー、そうさ。俺は童貞だ。キスすらしたことない。なんか文句あっか?」
女性達がさらに騒ぎ出した。
「きゃっはっは。チェリーボーイ佐冶勝夫!」
「俺の体は優子ちゃんだけのモノだ!とか言ってたよ!」
「幕末の志士の高田馬場は、俺は日本一の女を抱く!と言って上京してきた。俺にとっての日本一は優子だ!それまで俺はバージンを守る!とか何とか言ってんの!意味わかんねぇ!佐冶さん、キリシタン?きゃはは。きもすぎる!」
佐冶が、うんざりしながら言った。
「なんだ、高田馬場って。それを言うなら、高杉晋作だろ。
おまえら、いい加減にしろ。」
佐冶は不機嫌そうに下を向いている。優子はどうしていいか分からず下を向いている。
空気が重たい。
女性達は散々騒いだ後、「新宿二丁目遊びに行くから、じゃね」と言って、会計を始めた。
女性達は、あまりにも暗く落ち込んでいる佐冶に「ほんとゴメン。やばかった?」と声をかけていたが、佐冶は「うるせー。小娘ども。ちょっとは考えろ。」とそっぽを向いた。
帰り際に「優子さん、でもあんた幸せ者だよ。こんないい奴いないよ。」
と真剣な顔で言われた。これは本音で言ってると感じられた。
女性達が出て行った後も、空気は重いままだった。
優子は男性特有の感覚はよく分からなかったが、童貞が恥ずかしい事とは思わなかった。ただ、ここまで落ち込んでいる佐冶を見るのは始めてだったので、何か声をかけたかったが、どんな言葉が適切か分からなかった。
長い事、沈黙が続いた。
優子が先に声をかけた。
「ねぇ。佐冶君・・・」
佐冶がボソボソと話しだした。
「優子ちゃん、、アキラとか早坂には内緒にしてくんない?豪快な男プレイボーイ佐冶勝夫の名に傷がつく。ぼくちん、恥ずかしいよぉ。バブー、バブー。お願いでちゅ。」
体をクネクネさせながら、いじけた子供の真似をしている佐冶にイラッときた。
「ねぇ。佐冶君!男性の事はよくわかんないけど、、、それってそんなに恥ずかしい事なの?私は、むしろ、、さっきの話を聞いて、佐冶君って純粋なんだなって、、すごい好感持ったよ!!そんなことでクヨクヨするなんて、、なんか佐冶君らしくないと思う!」
優子にしては珍しく、力強く大きな声だった。
佐冶はまだ体をクネクネさせている。
「うるせぇ~。うるへぇ~。いいじゃん。いいじゃん。男には男の事情があるんだよ~。うぇ~。酒がたんねぇ。」
佐冶の内面奥深くを覗けた気がした。決して人には見せない心の奥、佐冶という人間の本質はすごく純情なのだろうと感じた。
最近、優子の中で佐冶のイメージがどんどん変わってゆく。本能丸出しで女にだらしない男だと思っていた。十年以上の付き合いなのに、まだまだ知らない面がたくさんある。
佐冶が実は女性経験が無いという事は長年の男友達も知らない一面だろう。もしかしたら、その話をしても誰も信じないかもしれない。
知れば知るほど、佐冶勝男が分からなくなる。知れば知るほど、好感度が増してゆく。
しばらく佐冶勝男を見つめていた。
気付くと深夜2時を回っていたので解散した。
その夜、二人は何回かメールのやりとりをした。
「世の中の人は何ともいわば言え、我がなす事は我のみぞ知る。
優子ちゃん。今日は取り乱してごめんなチャイナ。」
「なに、それ?誰かの言葉?」
「これは龍馬の言葉だお。まだ10代の頃、尊王攘夷派だった頃に言ったらしいんよ。龍馬は、この時から自分の中に、大きな目標がしっかりあったんだと思うよ!天下の偉業ってヤツですよ。人に何と批判されようともブレへんぞ!ってヤツですよ。だから、ぼくちんも人に何と言われようとブレずに、めげずに頑張ります!」
「そーだよ、他の人から何って言われても別にいいじゃん!シャキッとしなよ!さっきも言ったけど、私は好感度アップだったよ!
「いぇ~い!優子ちゃんの好感度アップなら超うれしい!うれ乳首!」
「ねー、佐冶君って一体何者なの?
ずっと、いいかげんなダメ人間かと思ってたけど、実は、すごくいい人なの?」
「オレ、イイ奴。優子チャン、 ダイスキ。」
「何それ?(笑) ナイジェさんのマネ?
ねー、佐冶君って何がやりたいの?なんか目標とかあるの?」
「目標アル。天下ノ偉業。オレ、ガンバル。ポポ、オマエ好き。
ねー、優子ちゃん、ナイジェってドラゴンボールのポポに似てない?」
「ごめん、ドラゴンボール分かんないや。ねー、天下の偉業って何?どんな目標?」
「今ハ言エナイ。機ガ熟シテナイ。」
「なに?気になる。それって、なんか世の中を良くしたいみたいな、龍馬みたいな目標があるって事?」
「違うよ。そんなんじゃない。教えなーい。だが、僕にとっての天下の偉業は一つじゃ。」
「うーん。気になる。。。今度、教えて!」
「うん。今度ね。
でも、優子ちゃん鈍感やね。。分かるっしょ?俺にとっての天下の偉業は1つじゃよ!
まー、それはさておき、オイドンは今かなり幸せでゴワス。今で充分幸せでゴワス。だって優子ちゃんが毎日平和に暮らしてて、メールすぐ返信くれるし、デートもしてくれる様になって、、おいどんは今すでに、最高に満足ですたい。」
優子は返信メール画面に文章を作っては消し、作っては消しを繰り返した。
しっくりくる文章ができない。
「今日はありがとう[絵文字]
じゃ!また、今度ね![絵文字]」
結局、シンプルな文章のメールを送った。絵文字もハートとかではなく、極力シンプルなものにした。
優子の中で佐冶の存在が日増しに大きくなっていく。
作:安藤珍平
第15章[現在]
春の風が気持ちいい。
仕事の帰り道、いつものコンビニで缶チュウハイを2缶とサラダとヨーグルトを買って優子はマンションに帰ってきた。
ニュース番組をぼんやり見ながら酒を飲む。33歳。離婚歴あり。広尾のインテリアショップ勤務。日本橋の名家に3人姉弟の次女として産まれる。笑顔の似合う明るく清楚な美貌。学生時代の友達からは口々に「優子は年とるたびにカワイくなってくよな~」と言われる。正直、仕事なんてしなくても贅沢に生活出来るだけのお金が実家にはある。定期的に色んなタイプの男から口説かれる。皆から羨ましがられる存在である。
ただ、当の優子本人は自分と自分の人生に切なさと、やるせなさ、寂しさを感じていた。
仕事をしてるのも気を紛らわす為だし、代々木で一人暮らししてるのも何となく実家にいるより気が楽だから、、
そんなに好きじゃなかったお酒も最近では毎晩飲む様になってしまった。
年間の離婚件数は26万件を越え、三組に一組が離婚すると言われてる今の時代。バツイチだなんて、たいした問題でも何ともない。
ただ、もともと真面目で繊細な性格の優子は、自分がバツイチという事に敏感になっていた。
また、あの離婚以来、ちょっとした男性不信にもなっており、明るく前向きな恋愛も出来ず、自己嫌悪で憂鬱な毎日に、自然と酒の量も増えていった。
「私って駄目な女よね。」ため息まじりに呟いた。
うっすらと目に涙を溜めながら2缶目の缶チュウハイをあけた。
すると
プルル プルル プルルと携帯が鳴った。
高校の同級生の佐冶からのメールだった。
「優子ちゃーん。今、優子ちゃん家の近くにいるんだけど、軽く飲みに行かへん?優子ちゃんのコト考えてたら、気がついたら優子ちゃん家の前まで来ちゃってた。遊んで!遊んで!バブー。バブー。ぼくちん、大きい赤ちゃんでしゅ。1人じゃ歩けないよぉ。ここはどこ?えーん。えーん。」
ちょうど、家にある酒を全部飲みきってしまい、コンビニに行こうかと悩んでいた時だったので、優子は佐冶と飲みに行く事にした。
代々木に引越してからは、優子とよく飲みに行く関係になっていた。
優子にとっての佐冶は、全く気を使わなくてよい存在。言いたい事は何でも言えるし、ラーメン屋で替玉を頼んだり居酒屋であぐらをかいたりもできる。おそらく、佐冶が全く遠慮無しに優子に接してくるので、優子も佐冶の前では素の自分を出せる様になってしまったのだろう。
佐冶が新潟の病院に駆けつけてくれた頃からニ人の距離は徐々に縮まっていった。高校で知りあってから十数年の付き合いになるが、今までは佐冶の良い部分を全く知らず、表面的な部分だけを見ていたのだな。と実感する様になっていた。新潟で佐冶の優しさや真摯な人間性に触れて以来、自然に惹かれていった。ちょっとした人間不信だった事から人と会う事すら極力避けていたのに、佐治だけは違った。数少ない信頼できる存在、特別な存在だった。
といっても、二人きりで飲む様になったのは、ごく最近の事だ。
佐冶といえば、父親がいる前でもセクハラぎりぎりの容赦無いアプローチをしてくる様な男なので、二人きりで会うのはしばらく避けていた。
優子と佐冶と早坂、それから父親とナイジェを入れた五人で飲む事が多かった。場所は決まって六本木のサルサバー。ナイジェが昔働いていた店だ。
佐冶はその店で女性によくモテた。どうやら、外国人目線だとかなり魅力的な男性に見えるらしい。ある時など、お店にいる間中ずっとイタリア人女性に言い寄られていた。それもすごくセクシーな美人。彼女の愚痴を聞いた事がある。「私、しょっちゅう勝男を個室に連れ出して、ありったけセクシーに迫ってるのに、あの人ったら全く乗ってこないの。キスすらさせてくれないわ。フロアでは勝男の方からハグしてきたりするくせのに、2人きりになるとからっきし!私の魅力が足りないの?それとも、もしかしてあの人、いま日本で流行の草食系男子ってやつ?」
それに対して優子は「わからないけど、たぶん草食系ではないと思いますよ。」と答えた。
音楽が好きで今でもバンドを組んでいる優子の父もサルサバーがたいそう気に入ったらしく、2週間に1度くらいのペースで通っていた。65才になる父が楽しそうに遊んでいる姿を見るのは、とても気分が良かった。
一度、やむをえず、カラオケで佐治と2人きりで朝まで過ごした事がある。その時、意外な事に佐冶はとても紳士的だった。口説かれたり言い寄られたり、セクハラされたりを少しだけ警戒していたが、そういった事は一切無かった。意外な事に、どうやら佐治は女性と二人きりの時は紳士らしい。
二人きりでよく会う様になったのは、その日以降だ。
その日も最初から二人で会っていたわけではない。佐治の会社の後輩フジモン主催の飲み会で10人くらいでカラオケをしていた。
佐治は音楽にほとんど興味が無いらしく、二曲しか好きな歌がないらしい。
一つは青山テルマ フューチャリングSoulja「ここにいるよ」。
皆の前でデュェットさせられた時は、顔から火が出るほど恥ずかしかった。佐治はラップの部分を感情を込めながら本気で歌う。しかも、歌詞を優子の名前に変えたりしながら。
「Baby boy 勝男はここにいるよ どこもいかずに待ってるよ。」
「優子のこと待ってるよ~」
あたかもステージ上にいるミュージシャンにでもなったかの様に、本気で曲に入り込んで歌いあげるので、みんな苦笑していた。本当に恥ずかしかった。
もう一曲はGLAYの「HOWEVER」。目を細め、手の角度までマネしながら歌う。佐治がイントロの「やわらかな風が吹く~この場所で~」まで歌うと誰かに消されてしまう。佐治は「何すんねん!」と言って、あきらめずに何度も何度も入れ直すが、毎回同じ所で消されてしまう。そのやりとりに、みんな大爆笑していた。
その会がお開きになりカラオケを出た時、佐冶だけが一人物足りなそうな顔をしていたので、少し可哀想になり二人だけで店に戻る事にした。優子自身も人が大勢いる飲み会で少し気疲れしていたので、佐冶の様な気心知れた人とゆっくり飲み直したいと思っていた。
佐冶は、朝5時半の閉店まで同じ二曲だけを何十回もくりかえし歌っていた。
イントロが流れ出すと毎回セリフを入れていた。「高校の頃、好きな人と付き合えなかった時、毎晩聞いてた曲です。聞いて下さい。HOWEVER」といった具合に毎回何かしらセリフを入れる。
ダミ声で音痴だけど、感情を込めて本気で歌う姿が少しカッコ良くみえた。
大勢のギャラリーがいた時は恥ずかしかったけど、二人きりでの青山テルマのデュエットは楽しかった。
その日以降、何回も二人で遊んだが佐冶はいつも紳士的だった。佐冶から恋愛の話や男女の話をしてくる事は無く、気を使ってくれていたのか元旦那の話なども一切無かった。その日にあった事や最近のニュースの話、それから幕末の話ばかりしていた。優子は本音では恋愛の話なんかもしてみたかった。佐冶の恋愛観に興味があったし、自分の離婚の話なんかもしてみて佐冶の意見を聞いてみたいと思っていた。だが、自分からそういった話題を持ち出すのは気が引けた。
佐冶からのメールを見ると、優子はすぐに準備をして家を出た。この日、二人は代々木上原のカフェで飲む事にした。
10時頃に店に入り、たわいもない話をしていると、あっという間に時間が過ぎていた。
「佐冶君の終電何時?相模原まででしょ?そろそろだよね?」
「大丈夫だよ。週に三、四回通っているスーパー銭湯が小田急線の祖師ヶ谷大蔵にあるんだ。相模原まで帰らないから終電なんて大丈夫だよ。」
佐冶の行動はいつも自由気ままだ。
「もし自分が男に産まれてて、佐冶君の友人だったとしたら、今ごろ人生すごく楽しいんだろうな。」優子はしみじみと思った。
11時を過ぎた頃、若い女の子グループが横の席に座った。
茶髪に短いスカート。目の下に濃いめのラインを引いている。一目でそれとわかる水商売風の女性達だ。
女性達はチラチラとこちらを見てくる。優子はこういった女性達があまり得意ではなかったので、なるべく目を合わせない様にしていた。席と席の距離が近かったので落ち着かなかった。
すると、女性の一人が声をかけてきた。「佐冶さん?」
もう一人の女性も言った。「あら、佐冶さんじゃない?久しぶり。」
女性達は優子をマジマジと見つめてくる。自分に集まってくる好奇の視線に辟易しながら「話しかけてこないで欲しい」と念じていた。
「わかったぁ。ねぇ。あなた、もしかして優子さん??」
気が重くなった。
「はい。そうです。」
少し間が空いてから、小さな声で返事した。
すると、女性達は口々に「やっぱりぃ!」「写メよりキレイじゃん!」「あれ?こんな時間にデートしてるって事はもしや?」「良かったね!佐冶さん!」などと騒ぎだした。
佐冶はしばらく黙ったまま下を向いていたが、ふと口を開いた。
「優子ちゃん。この子らは売春婦だ。」
「え!?」
優子は今までこういったタイプの女性と接した事がなかったので動揺した。どうリアクションしたらよいのか分からなかい。
女性達は、話す相手を完全に優子一人にロックオンした。
「優子さん、あんた幸せものよ。佐冶さんね、お店に来ても何もしないの。ナンバー1の子のオッパイが目の前にあっても指一本触れないでお酒飲んでばっかり。こっちが恥ずかしくなるわよ。」
「そうそう、私一回聞いた事があるの。あんた何しに来てんの?って。そしたらさ、、俺は営業課のサラリーマンだ。付き合いってもんがある。お得意様が行きたいって言えば、断るわけにはいかないんだよ。いいか?綺麗、汚い、じゃないんだ。仕事ってのはそうゆうもんだ。
とかカッコつけながら言うの。まぢウケる!ってか、うぜー」
「私なんて、この前、欲求不満がムラムラしてて佐冶さんラブホに誘ったら断られたからね!まぢウケるっしょ!」
「ウケる!あとさ、佐冶さんと言えば話がクソつまんなくない?」
佐冶のモノマネを始めた。
「おまえら何才だ?いいか、幕末の志士、坂本龍馬は16才の時~~。」
「はっはっは。マヂ似てる。うける。幕末話、意味わかんねぇ」
「あとはだいたい優子の話してるか、優子にメール打ってるよね。優子ちゃんからの返信こい!こい!とか言いながら、なにあれ?オマジナイ?」
「きゃははは。知ってる!あのオマジナイまぢキモい。」
女性達は徐々にエスカレートしてきている。
「しかも、優子さん、この人ね。あれ?ねー、佐冶さん、あれ言っていい?」
佐冶がうんざりした口調で言った。
「うるせーぞ。小娘ども。いい加減にしろ。」
女性達は嫌がる佐冶を見て、ますますテンションが上がってしまった様子だ。
「なんで?いいじゃん!言ってもいいでしょ?」「そだよ!言いなよ!」「優子さん!この人の秘密教えてあげるよ!」
佐冶が口を挟んだ。
「もういい。黙れ。自分で言う。」
佐冶は目線を下に落とし、唇を噛みなから言った。
「あー、そうさ。俺は童貞だ。キスすらしたことない。なんか文句あっか?」
女性達がさらに騒ぎ出した。
「きゃっはっは。チェリーボーイ佐冶勝夫!」
「俺の体は優子ちゃんだけのモノだ!とか言ってたよ!」
「幕末の志士の高田馬場は、俺は日本一の女を抱く!と言って上京してきた。俺にとっての日本一は優子だ!それまで俺はバージンを守る!とか何とか言ってんの!意味わかんねぇ!佐冶さん、キリシタン?きゃはは。きもすぎる!」
佐冶が、うんざりしながら言った。
「なんだ、高田馬場って。それを言うなら、高杉晋作だろ。
おまえら、いい加減にしろ。」
佐冶は不機嫌そうに下を向いている。優子はどうしていいか分からず下を向いている。
空気が重たい。
女性達は散々騒いだ後、「新宿二丁目遊びに行くから、じゃね」と言って、会計を始めた。
女性達は、あまりにも暗く落ち込んでいる佐冶に「ほんとゴメン。やばかった?」と声をかけていたが、佐冶は「うるせー。小娘ども。ちょっとは考えろ。」とそっぽを向いた。
帰り際に「優子さん、でもあんた幸せ者だよ。こんないい奴いないよ。」
と真剣な顔で言われた。これは本音で言ってると感じられた。
女性達が出て行った後も、空気は重いままだった。
優子は男性特有の感覚はよく分からなかったが、童貞が恥ずかしい事とは思わなかった。ただ、ここまで落ち込んでいる佐冶を見るのは始めてだったので、何か声をかけたかったが、どんな言葉が適切か分からなかった。
長い事、沈黙が続いた。
優子が先に声をかけた。
「ねぇ。佐冶君・・・」
佐冶がボソボソと話しだした。
「優子ちゃん、、アキラとか早坂には内緒にしてくんない?豪快な男プレイボーイ佐冶勝夫の名に傷がつく。ぼくちん、恥ずかしいよぉ。バブー、バブー。お願いでちゅ。」
体をクネクネさせながら、いじけた子供の真似をしている佐冶にイラッときた。
「ねぇ。佐冶君!男性の事はよくわかんないけど、、、それってそんなに恥ずかしい事なの?私は、むしろ、、さっきの話を聞いて、佐冶君って純粋なんだなって、、すごい好感持ったよ!!そんなことでクヨクヨするなんて、、なんか佐冶君らしくないと思う!」
優子にしては珍しく、力強く大きな声だった。
佐冶はまだ体をクネクネさせている。
「うるせぇ~。うるへぇ~。いいじゃん。いいじゃん。男には男の事情があるんだよ~。うぇ~。酒がたんねぇ。」
佐冶の内面奥深くを覗けた気がした。決して人には見せない心の奥、佐冶という人間の本質はすごく純情なのだろうと感じた。
最近、優子の中で佐冶のイメージがどんどん変わってゆく。本能丸出しで女にだらしない男だと思っていた。十年以上の付き合いなのに、まだまだ知らない面がたくさんある。
佐冶が実は女性経験が無いという事は長年の男友達も知らない一面だろう。もしかしたら、その話をしても誰も信じないかもしれない。
知れば知るほど、佐冶勝男が分からなくなる。知れば知るほど、好感度が増してゆく。
しばらく佐冶勝男を見つめていた。
気付くと深夜2時を回っていたので解散した。
その夜、二人は何回かメールのやりとりをした。
「世の中の人は何ともいわば言え、我がなす事は我のみぞ知る。
優子ちゃん。今日は取り乱してごめんなチャイナ。」
「なに、それ?誰かの言葉?」
「これは龍馬の言葉だお。まだ10代の頃、尊王攘夷派だった頃に言ったらしいんよ。龍馬は、この時から自分の中に、大きな目標がしっかりあったんだと思うよ!天下の偉業ってヤツですよ。人に何と批判されようともブレへんぞ!ってヤツですよ。だから、ぼくちんも人に何と言われようとブレずに、めげずに頑張ります!」
「そーだよ、他の人から何って言われても別にいいじゃん!シャキッとしなよ!さっきも言ったけど、私は好感度アップだったよ!
「いぇ~い!優子ちゃんの好感度アップなら超うれしい!うれ乳首!」
「ねー、佐冶君って一体何者なの?
ずっと、いいかげんなダメ人間かと思ってたけど、実は、すごくいい人なの?」
「オレ、イイ奴。優子チャン、 ダイスキ。」
「何それ?(笑) ナイジェさんのマネ?
ねー、佐冶君って何がやりたいの?なんか目標とかあるの?」
「目標アル。天下ノ偉業。オレ、ガンバル。ポポ、オマエ好き。
ねー、優子ちゃん、ナイジェってドラゴンボールのポポに似てない?」
「ごめん、ドラゴンボール分かんないや。ねー、天下の偉業って何?どんな目標?」
「今ハ言エナイ。機ガ熟シテナイ。」
「なに?気になる。それって、なんか世の中を良くしたいみたいな、龍馬みたいな目標があるって事?」
「違うよ。そんなんじゃない。教えなーい。だが、僕にとっての天下の偉業は一つじゃ。」
「うーん。気になる。。。今度、教えて!」
「うん。今度ね。
でも、優子ちゃん鈍感やね。。分かるっしょ?俺にとっての天下の偉業は1つじゃよ!
まー、それはさておき、オイドンは今かなり幸せでゴワス。今で充分幸せでゴワス。だって優子ちゃんが毎日平和に暮らしてて、メールすぐ返信くれるし、デートもしてくれる様になって、、おいどんは今すでに、最高に満足ですたい。」
優子は返信メール画面に文章を作っては消し、作っては消しを繰り返した。
しっくりくる文章ができない。
「今日はありがとう[絵文字]
じゃ!また、今度ね![絵文字]」
結局、シンプルな文章のメールを送った。絵文字もハートとかではなく、極力シンプルなものにした。
優子の中で佐冶の存在が日増しに大きくなっていく。