こんばんは。


今年に入ってから、理由は言えないけれど、ある事情で親友の息子くんを約一年間預かることになった。


体調があまり良くない状況の中で、大丈夫か僕?(汗)


Oくん、ダンスが好きな天真爛漫で優しい、保育園に通う4歳の男の子。


ダンスを教えたり、一緒にBBQや海に行ったりして、僕になついてくれている。


ダイもOくんが大好きだ。



毎日、保育園に送り迎えに行っている。


とてもいい園と先生に恵まれていて、Oくんは保育園で日々楽しく過ごしているようだ。


先日、先生からお友達と分け隔てなく遊んでいる様子を聞かせてもらった。


Oくんのクラスにはたまたま外国にルーツをもつお友達も多いそうだ。


僕自身、外国にルーツがあるので、友達を区別する必要性を感じていない。


Oくんがそういうお友達とも積極的に遊んでいる様子を聞きながら、「まーそうだろうな~」とフンフン話を聞いていた。


わざわざそこを強調して話してくれるということは、日本語が拙いことなどで距離を置く子や関わり方を変える子もいるということなのかもしれない。


話のなかでひとつ先生からお願いを頂いた。



色々なことに興味や疑問を感じるようになったOくんが、他の子の家族についてお友達に聞いたりしているらしい。


何事にも興味を持つのは基本的に悪いことではない。


疑問を感じたら聞いてみるのも基本的には悪いことではない。


けれど、家族の話は子どもにはまだ抱えきれない事情を含んでいる場合も少なくない。




僕は、家族の最小単位は2だと思っている。


そしてその相手は親でも子供でも血の繋がらない他人でもいい。


数が多い方が幸せだとも思わない。


家庭の事情は家族の数だけある。


僕は、家庭がどんな事情なのかを他人が把握しておく必要を感じない。



Oくんの1番の仲良しの友達はシングルの家庭だ。


パワフルなお母さんが二人の息子をめちゃめちゃ元気に育てている。


昨年、BBQパーティーでお見かけしたけど、周りを元気にしてくれる太陽のような人だなぁと思っていた。


あるときOくんがその友達に、

「どうしてお父さんがいないの?」

という質問をしたという。


以前、BBQのときに大人同士で話していた内容を聞いていたのかもしれない。


Oくんの友達は、それまで父親が家にいないことを気にも留めていなかったのに、「ほんとだ。なんで?」と疑問に思ったらしい。


家庭それぞれ事情があって、子どもの「なぜ?」にいつ、どう答えるかはそれぞれの親の判断があると思う。


そこをOくんの好奇心で、蓋を開いてしまったかたちになる。



先生からのお願いは

「他の人の家族について、積極的に聞かない方が良い場合がある」

ということを家でお話してもらってほしい、という内容だった。


以前、年長クラスでそれが元でトラブルが起こった話も聞かせてもらった。


今はまだ、純粋な興味である「なぜ?」が、成長するにつれて色々な意味を帯びてくる。


そのときに何もわかっていないまま、家庭の事情に無邪気に踏み込んでしまうことは、許されるとは限らない。


その行動に、悪意のあるなしは関係ない。


もちろん僕としてもOくんが火種になる事態は避けてもらいたい。




保育園からの帰り道、Oくんに話をすることにした。


「お友達の家族について、『なんでお父さんがいないの?』とか聞くのはやめといた方がいいよ」

「なんで?」

ここから、長い話をした。


お父さんがいないおうちもあるし、お母さんがいないおうちもある。


おじいちゃんやおばあちゃんと暮らしているおうちもある。


多い方がえらいわけじゃないし、少ない方がすごいわけでもない。


家族がいない人もいる。


家族のかたちや数は色々で、どうして今そのメンバーになっているのかはおうちごとに理由がある。


その『理由』っていうのは、はだかみたいなもの。


誰がどんなはだかでも、仲良くするのには関係ないのと同じように、どんな家族でも友達でいることには関係ないよね。


で、はだかになるのはお風呂に入るときと、トイレでちょっと出すときくらいでしょ?


「なんでお父さんがいないの?」って聞くのは、お外で遊んでいるときにいきなりズボンを脱がすみたいなこと。


そんなことされたら、びっくりするよね。


でも、一緒にお風呂に入るときとか、自分で服を脱ぐでしょ。


自分で脱ぐときはびっくりしたり、イヤな気持ちにはならないよね。


だから、家族について、お友達が自分から話してくれるときは、ちゃんと聞くのがいいよ。


でも、勝手に服を脱がすのがだめなのと同じように、人の家族の話はOくんから聞かないこと。


どんなはだかでもお友達なのは変わらないしね。



Oくんはなんとなく納得してくれたようだった。


僕はOくんに限らず、子どもからの「なんで?」に「なんでかな?」「どうしても!」と疑問をストップさせることができないので、毎回話が長くなってしまう。


それでも、Oくんはわりと真剣に話を聞いてくれる。


こんな感じでたとえ話も多いので、Oくんに真意が伝わったかはわからない。


わからないけど、Oくんが1日の大半を過ごす保育園で、Oくんを見てくれている先生からの報告とお願いは、とても大事な助言になる。


先生に頼まれたこと、ちょっとは果たせたかなあ。


そうだといいなあ、と思いながら先生に

「一応、伝えておきました。」

と報告した。


先生からは

「Oくん、おうちで話した大事なことは噛み砕いてみんなに伝えてくれるので助かってます」

と返ってきたので、僕の認識で大丈夫なのか結構どきどきしている。



この世には色んな家族があるし、家族がいない人もいる。


この先Oくんにも、辛い出来事が待っているかもしれない。


強く逞しく育っていって欲しいと願う僕なのであった。







初めてのパパ体験。


約一年間という短いようで長い期間、大変なこともあるでしょう。


困った時はまた書きますので、ご助言いただけたら嬉しいです。





感染規模がSARSの10倍と言われている、新型コロナウイルス感染症の感染拡大に警戒し、インフルエンザ対策と同様の咳エチケットや手洗い・うがいなどの感染対策をし、万全の体調管理をしてくださいね。


それでは。









こんばんは。

温泉とスノボが楽しめる草津に来ています。

ダイにとっては初の雪景色。

めっちゃハイテンション(笑)







さて前記事で、年末年始は体調を崩したと書きましたが...。


実は弱ってます。


日頃の様子を身近で見ていたりする人からすると「もう知ってるよ」という話でもあるし、隠すことでもないと思っているので書くが、まぁ弱っている。社会人になって一番かもしれない弱りっぷり。およよ。


しかしこれはこれで、自分にとってちょうどいいタイミングで、必要な変化の時期なのだろうな、と思う。


思う一方で焦る気持ちもまだゼロではないのだけど、そう捉えて言い聞かせることを続けることも含めて、必要な時間だな、と思う。


「あー、これはヤバイな」と思ったタイミングで通院をしたり、周囲のしかるべき人に相談できたことは不幸中の幸いである。やはり知識は人を救う。


適応障害と抑うつ状態、という診断を受けて、寝る前に処方された抗うつ薬を飲むという生活ルーティンが加わった(2回ほど早くも飲み忘れたけど。先日再診して先生に「コラッ」って言われた)。


自分から症状についてはすぐに同じ代表を務める相棒にも伝えたんだけど、幸いなことにとても理解のあるサポーティブな人間だから、これを機会にちょっと荷物を降ろしてどうフォーカスしていくかという相談にのってもらえていて、それでとても楽になった。


会社のスタッフの中には以前から話していた人もいたし、自分からも今こういう状況で元気ないっすというのを定例MTGで言ったりもしたのだけど、まぁほんとにありがたいことに日々の定常業務に関しては何も問題ないっていうか、なんなら僕の特性やキャパを踏まえて絶妙に巻き取ってくれたりするので、うわー僕弱ってるけど全然大丈夫やんすげーってな感じの頼もしさで、はい、救われています。


こういうのは、「順番」なのだと思ったよ。


代表だからとかではなく、今たまたま僕にそういう「順番」が回ってきた。それを、今たまたま余裕のあるみんなに、支えてもらっている。


だからまた別の人に「順番」が回ってきたときには、今度は僕が、とも思う(今はそんなこと考えなくていいってみんな言ってくれると思うけど)。


妊娠・出産・子育てが大変だという時期もある、心の病気になってエネルギーが落ち込んでしまうということもある、交通事故で手足が不自由になることもある、恋に破れて涙が止まらないってこともある、うっかり季節の変わり目に風邪こじらせちゃうこともある、若さと過剰さをこじさせてもやもやモラトリアム袋小路に至ることもある。


その時にたまたま、相対的に弱っている人がいて、相対的に余裕のある人がいて、その中で一緒に長くどう働いていこうか、お互い様でどう乗り越えていこうかって話。


順番交代なのである


一昨日、症状が出てから二度目の通院をしてきて(夜遅くまでやってるのよ)、先生には「そうやって自己分析をして早めに対処できてるのがすごい。もっとひどくなるまで来れない人、休みたくても休めない人もいるから」って言ってもらえた。


「服薬始めたし、業務調整もしているし、大丈夫かなって思ったけど、昨晩はなぜかポロポロ涙が出ちゃって。あー、これはもうちょっと長期戦なんだなぁって、改めて自覚しましたよ」って言ったら、「そうだよ、負荷を減らした状態で3ヶ月ぐらいかけて休んでいって、6ヶ月後ぐらいにまた最高のパフォーマンスが出る、それぐらいの時間軸で考えるぐらいだよ」って教わって、それでまた、自分の中に適切な時間の物差しができたって感じ。


このことでお世話になっている先輩に以下のようなメッセを送ったのだけど、

「やっぱり抑うつがあるし、エネルギーの総量も落ちているから、やることも絞って、焦らず無理せず、まずはなによりも自分の心と体を守ることをちゃんと自分の責任としてやっていこうと思います。どうしても「登っていく」プレッシャーに追い立てられるようになるけど、この歩き方が十分立派なスピードなのだと自分に言ってあげたいと思います。」


返ってきたひとことが


「はなまる!」

って。


ああ、これはほんとにそうだね、そのとおりだなって。


現状これが自分の「総量」で、今のスピードが十分立派ではなまるなのだと、自分で自分に言ってあげようと思うよ。


そして他の誰かが、僕と同じように弱ったときに、それでいいよ、はなまる!って言ってあげるんだ。



はなまる。






いつも僕を癒してくれるこいつにも
はなまる。






お久しぶりです。

年末年始は体調を崩しておりました。

遅くなりましたが、今年もよろしくお願いいたします。



昨年11月、僕たちのサーフチームにとって、おばあちゃん的存在の女性が旅立ちました。

海が大好きで、夏にはアイスクリーム、寒い冬には温かいおでん等を差し入れしてくれ、「怪我しないようにね」「風邪引かないでね」といつも優しい声をかけてくれました。



「今思い出しても、かっこいい旅立ちだったよね。」

「うんうん。あんなにすがすがしいお看取りは後にも先にもないよね。」

サーフィン仲間で看護師である、KとSと飲みに行くと、決まって彼女の話をします。

これから彼女の看護に関わったKの話をもとに書いていきます。



名前はTさん。

病名は大腸がん。

彼女はKが関わった患者さんの中でも忘れられない人ランキングベスト3に入るそうです。

医師・看護師をはじめとしたスタッフだけではなく、同室者からも慕われる、素敵な女性でした。

こう書くと特別な人だと思われるかもしれませんが、彼女はお金持ちでもなければ、肩書きもない普通の主婦。

勤めているのが大きい病院なので、大手企業の社長や芸能人を担当したこともあります。

しかし、亡くなったあと、その人たちの名前が挙がることはありません。

それよりも、Tさんを話題にすることの方が圧倒的に多いんだそうです。


彼女のいのちのともし火は消えましたが、Tさんは、僕たちの心の中で生きています。

どうしてなのでしょうか。



改めて、Tさんについて簡単に紹介させてください。

Tさん、女性、80代、大腸がんの末期。

旦那さんが亡くなってからずっと一人暮らし。

がんの痛みやだるさが増してしんどくなり一人での生活が難しくなったため入院してきました。

余命はあと3ヶ月ほど。

本人へも告知されていました。

しかしながら、病気はどんどん進行し、医療者の間ではもって1ヶ月だろうと予想していました。

彼女は、がんになった当初から、治療をすすめるよりも、自分らしい毎日を大切にしたいと、抗がん剤や放射線療法といった積極的な治療を望みませんでした。

今回の入院でもそれは同じ。

痛みを取る、辛さを和らげるといった緩和的な対応、そしてお看取りが目的でした。

もう手術も抗がん剤もできません。

乱暴な言い方をすれば、あとは死を待つだけ。

Tさんは絶望の中、毎日をやり過ごしていたと思われるかもしれませんが、実際は大きく違いました。



ある日のこと。

あら、その足音はKさんね?今日もよろしくね。

KがTさんのベッドのカーテンをあける前に、先に彼女から挨拶されてびっくりしたのを覚えています。

彼女は人を覚えるのが得意だそうで一度担当した看護師はもちろん、掃除の人やヘルパーさん、同室者の患者についてもしっかり把握していました。

ナースステーションでも

「Tさんって私たちのこと、ちゃんと覚えてくれるよね。」

「うんうん、一度も看護師さんって言われたことないもん。」

「名前で呼んでくれるのって、やっぱり嬉しいよね。」

と、話題に。

実は看護師さんって、マスクしてると顔の半分が隠れてしまうので、なかなか覚えてもらえないそうです。

看護師さんってひとくくりで呼ばれることが多いので名前で呼んでくれるの、とても嬉しいんです。


看護師としてではなく1人の人間として扱ってくれてる感じがして。

もはや、Tさんの担当になるとラッキーという雰囲気になっていました。

それほどまでに、みんなTさんのファンになっていたんです。

患者さんたちは、当たり前ですが、治療が必要だから入院しています。

たとえ見た目にはわからなくても、それぞれが痛みや辛さを抱えているんです。

Tさんも例外ではなく、がんに対して強い痛み止めを使用していました。

それなのに、ここまで他者へ配慮できるその姿勢に感心しきりの毎日。



ある日。

お見舞いにきてくれた人たちと1日中談笑されていました。

1つのグループが帰るとすぐ別のグループがやってきて

Tさん、ほんとに死んじゃうの?

なんてやり取りをしています。

実は、この日、検査の予定がつまっていたのですが、午後にたくさん面会者がくるから、と担当医に交渉してわざわざ検査をずらしてもらっていたんです。

この時、がんのせいでお腹に水がたまり、それを流すためにお腹にチューブが刺さっていた状態でした。

しかし、面会者に心配をかけないよう、彼女はそれを隠して面会者と笑いあっていました。

夜になって面会者が帰ったあと
さすがに疲れてるんじゃないですか?と声をかけました。

みんな私が死にそうだってかけつけてくれてるのよ。みんな、話すチャンスが最後だとわかっていたからこそメソメソするんじゃなくて、めいっぱい楽しみたかったの。検査もずらして先生に怒られちゃったけどこれで寿命が縮んでも本望だわ。

と、ニコニコしながら答えてくれました。

検査よりも知人との時間を優先したTさん。

このポリシーはおわりまで続きます。



ある時、Tさんからこんなことを言われました。

もし、私がこの先弱っていっても下の世話だけはしないで。歩けるうちは無理やりトイレまで連れてってちょうだい。これだけは自分でやりたいの。お願い。

思えば、これがTさんのはじめてのワガママでした。

本来ならば医学的処置をすべきという判断で尿の管を挿入します。

これを入れると勝手に管から尿が出て、繋がっているパックにたまるのでトイレにいかずにすむようになるんです。

それに、高齢であることや身体がしんどいという理由で下着からおむつに変え、仮に漏らしても大丈夫なようにしていくこともあります。

しかし、Tさんはこれらを全て拒否しました。

もしやるとしても、私の意識がなくなってからにして欲しい、と。

看護の側面から考えれば、これは危険を伴います。

ふらふらの身体でトイレまでお連れし、用をたして、ベッドまで戻る。

一連の流れでいつ転倒・転落するかわかりません。

下手をしたら、がんで死ぬ前にどこかを打って死んでしまうかもしれません。そのため、この申し出を受け入れるかどうかナースたちで議論しました。

その結果、満場一致でTさんのしたいようにしよう!と決まります。

みんな、Tさんのワガママを尊重したかったんです。

彼女の意志を支えることが最善のケアになる。

そんな確信がKたちにはありました。



Tさんからナースコールがありました。

もうこの時は、寝返りをするだけで息が上がってしまうほど、身体が苦しい状態。

それでも、彼女はトイレに行くと言い張ります。

ベットを起こして座らせてから立たせます。

これだけでよろめいているのにそれでも一歩、また一歩と歩く姿に、ベッドで失敗してもいいよ、なんて言えません。

Kも全身を使って彼女を支えながらトイレに向かいます。

もうこの時Tさんは、ズボンの上げ下ろしも自分ではできませんでした。

Kも一緒にトイレに入り、彼女の下着とズボンを下ろします。

そのまま座らせようとしたら

ねぇ、もう限界かもしれない。私を楽にしてちょうだい…

と、絞り出すように言いました。

この時から鎮静が始まります。


もともとTさんは、元気なうちから鎮静という治療の選択肢を説明されていました。

鎮静とは、睡眠薬よりももっと強い薬を使って意識を飛ばすこと。

がんの終末期と呼ばれる最期の場面で使われることが多く、身体的・精神的な苦痛を除去するのに効果的と言われています。

しかし一方でもちろんリスクもあります。

意識を飛ばすほどの強い薬を使うため、意識だけではなく呼吸中枢を管理する部分にまで薬の効果がおよび、そのまま患者さんが亡くなってしまうことがあります。

このため、鎮静という手段はたとえ患者本人からの要望があっても家族や親族から「死を早めるようなことはして欲しくない」と反対されることが多く、一般的にまだまだ認知されていません。

ただ、Tさんは強い意志がありました。

入院する前から、私が辛いといったら積極的に薬を使って欲しい。それで死期が早まっても後悔なんてしないしあなたたちお医者さんを責めたりしない。私は、私を、十分に生きたの。

だから、最期は苦しまずに逝きたい。

と、強い勇気と覚悟を持っていました。

Tさんからの鎮静の申し出があった時からすぐに担当医と看護師で準備し鎮静が始まりました。

薬が効いてくると眉間にしわを寄せてた表情もどんどん柔らかくなり、寝息も穏やかなものになっていきます。

Tさんは意識がなくなりました。



そろそろ逝ってしまうかもしれない。

これに関しては医学的な・統計学的なデータがほとんど役に立たず、ほぼ医者と看護師の勘で成り立っています。

彼女の状態から、今日が山場だと踏んだ担当医が彼女の親族を呼び始めました。

彼女は一人暮らしでしたが、息子さんがいました。また、親族ではありませんが長年の友人、近所に住んでいて暮らしを支え合ってきた人もちらほら。

もちろん僕たちも行きました。


そろそろお別れの時間です。

みんな、Tさんの顔を見るなり泣き出すのかと思ったら、ニコニコ談笑し始めます。

隣には、今にも死にそうなTさんがいるのに。

ほんと、Tさんは自分らしい人生を歩んだよね。母さんは最後の最後まで母さんらしかった。もう後悔なんて一つもなさそうな顔してるわね。

みんな、思い思いTさんについて語り始めます。

みんなが集まるのを見計らっていたかのように、Tさんの血圧が下がり始めました。

そして、モニターが0を示しピーという機械音が病室中に響きます。

Tさんは苦痛を感じることなく、穏やかなまま旅立ちました。

集まっていた皆さんも穏やか。

悲しいけれど良かった、これで良かったんだという、不思議な晴れやかさがそこにはありました。

Tさんの命は終わりを告げます。



ここで、なぜ彼女がここまで健やかな療養・お看取りができたのかを一緒に考えていきたいと思います。

まずは、Tさんの背景から。

彼女は長年、住んでいた地域の民生委員をしていました。

民生委員とは地域と行政の橋渡しのような役割のこと。シングルマザーや貧困家庭、一人暮らしの高齢者など、サポートが必要な家庭をチェックしておく必要があります。

コミュニケーション能力が求められることはもちろん、関係各位への連絡調整や地理、情報処理能力もないとつとまりません。

看護師やスタッフをすぐに覚えてくれたのもここが関係していました。

人は覚えられると嬉しい。

認知してもらえるとその人へ情が湧きます。

それをよく理解されていました。

Tさんは民生委員を務める中で様々なスキルを身につけ、地域にとって欠かせない存在となっていたそうです。

面会者が多く訪れていたという話もこのため。

Tさんにかつてお世話になった人が噂をききつけ、毎日のように病院に面会者が訪れていました。

さすがTさんのお知り合いという感じで、誰もメソメソ泣いたりしていません。

面会者もTさんもよく笑っていたのが印象的でした。

同世代くらいのおばあちゃんもいれば、赤ちゃんを連れた若いお母さんもいて、長年、地域に貢献したことが垣間見れました。

それから、Tさんの息子さんもご紹介させてください。

彼女は入院するまで一人暮らしをしていましたが、それは息子さんが介護放棄した、という理由ではありません。

それが彼女の望みだったからです。

下の世話になりたくないという話をしましたが、あなたがTさん本人だったとして、それを実の息子にしてもらいたいと思いますか…?

おそらく、ノーですよね。

彼女が自分のプライドを守ろうとしたように、息子さんも母の名誉を守ったんです。

さらに補足をすると、Tさんの息子さんは社会学の教授でした。

高齢者を取り巻く環境やがんの終末期、看取り問題などKたち医療者と同じように、いや、それ以上に知識と知見を持っていました。

だから彼女の要望であった

・1人暮らしを継続したい

・病院で最期を迎えたい

・積極的な治療はしたくない

・苦しくなったら鎮静を

これらすべてに、完全同意してくれたんです。

おそらく、Tさん本人との衝突もあったと思います。

Kたち医療者の見えない場面で2人が何度も話し合っているところをこっそり見ていたそうです。

けれども、結果として、母の意思を尊重することが、遺された者のためになることを理解されていたのだと思います。

おかげで、治療の方針や意思決定がスムーズに進み、Tさんの理想としていた死に方ができたんじゃないかとKを含め、スタッフはそう感じました。


あらためて、Tさんが持っていた普通じゃないもの。

それは、人からの信頼です。

彼女はお金も肩書きもありませんでしたが、人からの信頼がずば抜けていました。

それは親族、地域の人、医療者という枠にとらわれません。

どんな人に対しても、彼女は全力で向き合い、関係性を築いていました。

相手のためを思い行動をする

相手のことを否定しない

相手に期待するのではなく信じる

こういう姿勢が、さらにTさんの信頼力を高め、その結果、人との繋がりが濃いものになっていったのだと思います。

その証拠に、Tさんが亡くなり出棺するまでのあいだ、医者を含め、関わったスタッフすべてが、彼女のもとへ手を合わせにいきました。

こんなことは後にも先にも、彼女のケースしか知りません。



病院での各種手続きが終わり、Tさんが病院をあとにする時がきました。

病棟のスタッフ、全員でお見送り。

後輩のナースは我慢できずにぽろぽろ泣いています。

Tさんの棺が車にのせられ息子さんも車に乗り込もうとしたその時、もう一度Kたちの方へ駆け寄り、担当していた先輩ナースの手をとって

母はあなたたちのような医療者に囲まれて本当に幸せだったと思います。本当に、ありがとうございました。

と、かたい握手を交わしていました。

「私たちもTさんのような患者さんと出逢えて良かったです。
ありがとうございました。」

と、先輩も泣きながらお礼を伝えていました。

Kはその光景をみてありがとうが握手をつたって、本当に行き来しているように感じたそうです。

人と本当にわかりあえた時って目で見えるんだなって。



ありがとうの先には人がいて、その人の先にはまた違うありがとうがある。

そうやってミルフィーユみたいに交互に続いていくんだろうな…

なんて考えていました。



Tさんの旅立ちから数日たったある日。

病棟のスタッフでカンファレンスをしたそうです。

治療や看護に関する議論をはじめ、関わった医療者のメンタルケアの意味合いもあります。

その中で

人ってああいう風に死ねるんですね。いい表現が見つかりませんが私はそばで見ることができて良かったです。

と、新人ナースがぽつりといったんです。

この時、KはTさんの遺してくれたものの大きさにハッとしました。

Kたち医療者にとってもTさんのケースは貴重な事例でした。なぜなら、自分の希望や価値観を最優先し己の人生を全うした、いわば理想に近い事例だったからです。



人の魅力は人間力とよく言われますが、Tさんの事例を通して人間力とはこれまで貯めてきた信頼、その総量なのだと確信しました。

お金をたくさんもっていること

有名な大学や立派な企業に勤めていること

有益な人脈を持っていること

できること・スキルがたくさんあること

これらは信頼に遠く及びません。

しかも、信頼は世代や血縁をこえて受け継がれていきます。

現に、僕はTさんの人生からすると、最後の病院にいた1人にすぎません。

でも、こうして彼女とのことをネットで発信しています。

これを読んだ人もまた、Tさんからの信頼を受け継いでいると考えると、有機的な連鎖がうまれている気がして、なんだか嬉しくなります。



おわりに

何もないと思っているあなたも必ず持っているもの

それは今、周りにいる人たちです。

その人たちから自分に向けられている信頼が、あなたにとって大事なものの一つです。

もちろん、お金や人脈、肩書きだって大切。

必要な時、自分を守ってくれる盾となります。

けれど、それらは天国にもっていくことはできません。

僕たちが持っていけるのは経験と思い出だけです。

そこには、必ず、人がいます。

その人たちが自分の経験と思い出をより豊かにしているはずです。

そして、自分がためた信頼は、Tさんが僕たちに遺してくれたように、人に委ねて、育ててもらうことができます。

人にとって、いちばん大切なのは人。

人との繋がりが一番の資産です。


人生でいちばんたいせつなもの

ほら、あなたのすぐ隣にも必ずあります。

どうか、たいせつにして下さい。






ダイも元気です。
相変わらず自由気まま(笑)