こんばんは。

昨日のバレンタインデーは、Oくんにチョコレートをお裾分けしてもらたった僕です(笑)




大いに盛り上がっった2019ラグビーW杯。


日本代表の愚直なまでの 『One Team』、組織への献身ぶり、ここぞという時の勇気のある個人のパフォーマンスが見る人の心を打ちました。


ファンになられた方も多いのではないでしょうか。


僕もその中の1人ですが、な、なんと、ラグビーボールも触ったことない僕が、試合に出場することに...



昨年、ラグビー好きの先輩がチームを作った。


経験者は3人、あとは素人同然の人ばかりだ。


「ま、なんとかなるんじゃないか」と、いきなり他の社会人チームとの練習試合を組んだのである。


僕も昨年ラグビー観戦に行ってから、ラグビーに興味を持っていたので応援する気満々でいた。


試合前日に先輩から連絡があり、出場するはずだった1人がインフルエンザで出れなくなったので、代わりに出てくれないかと言う。

「えぇーっ!!ラグビーは好きだけど、やったことありませんよ!」と言うと

「うちのチームは素人ばかりだし、おまえなら何でも器用にこなすから大丈夫だよ!」とあまりにもしつこく頼んできたので、渋々Okしてしまった。



ルールもよくわからないのに、先輩は

「梨亜は・・・そうだな・・・とりあえずフルバックをやって」


試合直前、そう告げられた。


たぶん単なる気まぐれ(笑)


「フルバックって何をすればいいんですか?」

って訊いたら、

「とにかくボールから20メートル後ろにいろ。

ボールが右に行ったらオマエも右に行く。

ボールが左に行ったらオマエも左に行く。

ボールが前に行ったらオマエも前に行く。

ボールが後ろに行ったらオマエも後ろに下がる。とにかくボールから20メートル後ろにいろ」

と、教えられた。


イヤ、チョットマテ、大事ナコトガタクサン抜ケテマスケド...


ボールが自分のところに来たらどうしたらいいのか。


相手がボールもって迫ってきたらどうすればいいのか。


もっと教えて!


なんにもわからない!


でももうタイムリミット。試合開始である。



いまでも夢に見る。


マジでよく夢に見る。


タックルの恐怖、についてである。


命じられたポジション「フルバック」とは、味方の中でももっとも後ろ、守りの要だ。


一番後ろにポツンといる。


つまり、相手がディフェンスラインを抜け出して走ってくるのを最後の最後で止めて、トライを防ぐヒトである。


もっと言うと、キック力も求められたりするのだが、その時点ではそんなことは無理。というか、何をすればいいか全くわからない。呆然とグラウンドにいるだけ。


言われるがまま、ボールより20メートル後ろを自信なさげにうろうろしていた。


ボールが右に行ったら右へ。


ボールが左に行ったら左へ。


孤独なダンスである。


出てすぐは別に何も起こらなかった。


ヘッポコチームの練習試合に選ばれるチームだ。相手もヘッポコなのである。だから、意外とバックスに回ってこず、フルバックはヒマであった。


このまま何もなく終わるのかな・・・


終わってくれるといいな・・・


そう淡い期待をもったその時!


どっどっどっどっどっどっどっどっどっどっどっ、


バシ〜〜ンッ!


・・・いやー、いまでもマジで夢に見るわ。


でっかくてごつい敵が、急にディフェンスラインを割って現れ、ボールを抱え、まっすぐどどどと走ってくる。


マジ巨大!マジ速い!マジこえー!


次の瞬間。


左頬に強い衝撃を感じ、僕は木の葉のように吹っ飛んでいた。


あとで、チームメンバーが教えてくれたけど、僕はまるでマンガのように吹っ飛んだらしい。


僕は何をしていいかわからず、とりあえず怖いのでへっぴり腰で、正面から走ってくる彼に抱きつこうとしたらしいのだ(一応これでもタックルだ)。


彼はボクの頬をパーで突く。


いわゆる張り手である。ラグビー用語で言えばハンドオフである。


そして、左頬を支点として、僕はぐるり180°回って足が上に上がり、しばし空中を漂ったあと、頭から地面にゴギンと落ちた。


失神はしなかったが、失禁はしたかもしれない(笑)


・・・まぁ聞いてください。


あのね。


ロシアやアイルランドやサモアやスコットランドの巨大なガチムチが全力で走ってくる足元に飛び込んでタックルするジャパンの選手に、「わー!」って声援したりしてるけど、あれ、「ギャー!」って悲鳴あげるべきところやで。


いやマジで、ほんと、タックルは怖すぎる。


特に正面からタックルに行くのは狂気の沙汰だ。


そのへっぴり腰の抱きつきのおかげで、僕はしばらく「腰高タックル」と揶揄され笑われた(笑)


でも、そのうちみんなそうは呼ばなくなった。


みんな怖さを順次体験していき、他人のことを笑えなくなったのだ。


野牛のような大きな男の全力疾走に対して、膝あたりを狙って肩から当たりに行き、なんとか腕で捕まえて倒すとか、いやマジほんと無理ゲーだ。


テレビでラグビーの試合を観ながら常に僕は戦慄している。


無理!ムリムリムリムリ! えーーー!そこよく飛び込めるなーーーーー!あ り え な いっ!!!


いやマジ、驚愕し、戦慄しながら観ている。


あんな怖すぎることを、日々の訓練の賜物とは言え、普通にやる彼ら・・・


もう、本当に本当に本当に本当に本当に本当に、信じられない。


いったいどんな勇気なんだ。


これを読んでくださっているあなた。


僕は少しもオーバーに言ってない。


ちょっとだけ想像して欲しい。


たとえばあなたの15メートル向こうに、あの笑わない男 稲垣啓太(日本代表プロップ)が現れて、行く道を邪魔するあなたをぶちまかそうと全力疾走で迫ってくる。


いいですか?


稲垣啓太が全力疾走でどどどどと走ってくるわけです。


ステップ踏んでワタシを避けてくれ、という願いもむなしく、どどどどと正面から迫ってくるわけです。


その回転する膝、もしくは熊のようにごつごつな腰、もしくはゴリラのようなぶりぶりの胸に、あなたは勇気を持って飛び込んで、彼が全筋肉をつかって引き剥がそうとするのをこらえつつ、なんとか倒そうとするのだ。


しかも容赦なく稲垣の丸太のような右手が飛んでくる。


それを避けながら、なんとか喰らいついて倒そうとするのである。


で き ま す か ??


いや、答えをすぐ言うが、常識的に無理なのですよ。


ぜっっったい無理。



・・・そういえば誰かが言ってたな。


この前、プロレスを観に行って、なんか違和感があった、と。


そしてその違和感は「ラグビーワールドカップでもっと激しいボディコンタクトを見続けたからだとわかった」、と。


いやマジ、プロレスがぬるく感じられるレベル。


それを僕はヘッポコなりとも実体験しているだけに、「ナイス・タックルー!」とかむやみやたらに叫べないのである。




長々と僕のヘッポコラグビー体験談を書きましたが、本題に入ります。


ラグビーは、それぞれのポジションでファンクション(機能、ミッション)が分類されており、そのポジションの人が自分の役割を果たさないと、トライが取れないスポーツなのです。



ラグビーの用語として「One for all,All for one」 というのがあります。有名なので知っている方も多いかもしれません。


ラグビーの言葉としてよく知られていますが、それは日本だけの話しなんだそうです。


「One for all, All for one.」とはラグビーの精神にぴったりの言葉だとして使われだし、広まっていったのだそうです。


僕はこの言葉が大好きです。


でも、実はこの言葉は誤解されがちなのです。以下のように捉えている方が多いのですね。


「一人はみんなのために、みんなは一人のために」


実は「All for one」の「one」は一つの目的である「Victory(勝利)」を表すのだそうです。


「一人はみんなのために、みんなで一つ(勝利)のために」と言うのが正しいラグビー精神だということなのです。


これ、会社に置き換えても意味が通じます。一つの目的、つまりゴールのために全員が役割をしっかり果たすのが重要だ、ということなのです。



で、もう一つこれを説明する上で大切なことがあります。


ラグビーというスポーツは、攻撃をする際、サインがでて全員がそのサイン通りの動きをします。サインはトライを取るために出すので、理論的にはサイン通りに全員がプレーすれば必ずトライが取れます。


が、これが現実では取れない。


なぜ取れないかというと理由はシンプルに2つしかなくて

- 敵のディフェンスがうまい

- 味方がミスする


このどちらかです。


どっちにしても突然、前提条件が崩れ、想定していない事態が発生するのですが、当然ボールをキープして攻撃を続けないとトライは取れない。


では、どうやってボールをキープするかというと、ボールを持っている人間が役割を果たせなかった事を常に想定し、フォローしていればキープできます。


なので、

- ミスはいつでも起こる(という想定)

- それを仲間が全力でフォローする(想定外な事が起きてもフォロー)

- ミスは起きるものなので、ミスを責めない。逆にフォローしていなかった事を責める。

といったマインドになります。この繰り返しを経て、一つの目的(トライ)に繋げるのです。



上記のように、ラクビーというスポーツは、ポジションごとの役割が定まっており、体格もスキルもパワーもそれぞれが違う15人が、仲間を信頼して始めてチームが成り立つというわけです。


誰が一番うまいか?という質問はラクビーでは難しくて、それぞれが、それぞれの役割とちゃんとやり、またお互いをリスペクトし合わないと勝てないスポーツなのですね。


そして、ラクビーで学んだこれらのことが、今、僕の仕事をする上での考え方の礎になってます。


つまり会社においても、「誰が優秀か」などではなく、それぞれの役割をきちんと果たしながら、チームが一つの目的に向かって機能し、お互いリスペクトし合い、フォローしていく、ということが前提の思想です。


こういう考え方なので、トップダウンは好きではなく「自分の考え」をもって仲間を信頼して進むことが好きなのです。


One for all, All for one、という言葉のように。




最近、野球やサッカーをやっていた子どもが、ラグビーに興味を持ちやり始めたという話をよく聞きます。


やはりW杯の影響なんでしょうね。


Oくんも刺激を受けたようで、ラグビー教室に通っています。



子どもにラグビーをさせるにあたり、もしかしたら怪我を心配する親御さんもいるかもしれない。しかし、子どもたちは代表選手たちみたいなボディーコンタクトはしない(できない)から深く考えずに背中を押してあげて欲しいです。


それより何よりラグビーをやっていれば仲間との絆も深まるし、練習が辛くてもきっと多くのことを学べると思います。



最後までお読みくださり、ありがとうございます。

素敵な週末になりますように。

それでは。




こんばんは。


ついこないだ、不機嫌について考えざるをえない機会があってね。


ぼくは、毎日できるだけごきげんでいたい人間でして、他人の不機嫌にはけっこう不寛容。


新入社員の頃、建築現場で見習いとして勉強させてもらったんですが、腕は良いんだけど仕事中によく不機嫌になる上司がいた。


その上司が現場にいるときは、無駄に空気がピリついていて、周りが振り回されていた。


みんながその上司ひとりの地雷を踏まないように異常に気を使っている様子が息苦しくて、気持ち悪いなあとおもっていた。


その時から、「機嫌で仕事するやつ、超ダセエな」とおもうようになった。


不機嫌を露出しても怒られない立場のひとが、その不機嫌さ遺憾なく発揮して周囲に当たり散らしている様子をみると、ひととして悲しくなる。


「善き人間とはなんだ」とか、考えちゃう。


クラッシャー上司といわれるひとの本質にあるのは「身内への甘え」だと言われている。


「部下ならば、このぐらいやってもいいだろう。」

「家族だから、このぐらいわかってくれて当然だ。」


そうやって身内だからといって他人との境界を越えた振る舞いは、成熟した大人のやることではない。ラインオーバーだ。


そう。


「不機嫌になる」という手段を使って、じぶんの思い通りに周囲をコントロールしようとする魂胆が浅ましくて嫌だったのだ。


不機嫌には「操作性」がある。


ベースにあるのは「怒り」感情であり、怒り感情を怒りのまま撒き散らすのは強力だが、怒りという感情は刺激が強すぎて、胸焼けをとても空気が悪くなってしまう。


怒りは伝染しやすい感情で、心が毛羽立った感じが伝染してどんどん侵食していくあの感じが嫌なのだ。まわりの心が毛羽立っているときは、HPが減りやすい。余計に疲弊しちゃう。


ポイズンミストだ。インクが回復しない。


ところがね、こないだ大切な会社のスタッフの前で、不機嫌な態度をとってしまったのね。


「安心」とか、そういうのを大事にしよう、そういう組織にしよう、って言っているのに。


それが、ほんとうに情けないなぁと感じてしまった。


同じことをしたくないので、じぶんの「不機嫌」を振り返って分析し、原因を明らかにしようとおもう。


不機嫌には「こんなはずじゃなかった」「本当はこうしてほしいのに」という怒りが隠れている。


不機嫌である(=怒りを表明する)というサインを送ることで、何かを察してほしいというメッセージでもある。


そんなめんどくさい方法を取らずに、相手に直接「こうしてほしい」と伝えられればいいんだけど、そうできないのには理由がある。


ひとつは、余裕の問題。


相手に伝えるべき適切な言葉を頭の中で整理する余裕がない。


余裕とは「とっさに適切な言葉が出ない」という時間的余裕だったり、「怒りに占拠されて考える余裕がない」という精神的余裕だったりする。


じぶんの感情にマッチした適切なボキャブラリーを選ぶことができないという技術的な問題もある。


怒りは第二次感情なので、その怒りに隠れた「不安だ」だの「寂しい」だのといった「一次感情」がある。怒りにフォーカスすると「相手が悪い」というモードになってしまいやすいのだけど、「本当はこうしてほしい」という自分の一次感情に気づけていないと、うまく言語化できない。


そんなだから、不機嫌なときに相手の心情に配慮した適切な言葉を選ぶのは難しいよね。


ただ、裏を返せば、時間と心の余裕をもって言葉を選べれば、対処できる問題でもある。


ふたつめは、勇気の問題。


じぶんの「こうしてほしい」という要望が言語化できたとしても、それを相手に伝える「勇気がない」ということ。


こんなことを言ったら、このひとに嫌われてしまうのではないか。


小さいやつだとおもわれてしまうのではないか。


幻滅させてしまうのではないか。


それが怖いから、おもわず本音を飲み込んでしまう。


でも、感情の整理がついていないから、不機嫌な空気が漏れ出てしまう。


こっちのほうが、対処が難しい。


それでも、なるべく攻撃的な言葉を使わないように丁寧に選びながら


「そういうことをされると、私は悲しいのだ。寂しいのだ。」というような、「わたし」を主語にしたことばで伝えるしかないんだとおもう。


そこに、相手との関係性への信頼が問われる。


それは、「このひとには本音を言っても、関係が壊れないだろう」とお互いに信じられる安心があってはじめて成り立つ、わりと高度なコミュニケーションなのかもしれないとおもった。


不機嫌な姿を見せあっても、そのことで関係性に亀裂が入らないっていうのは理想的だよなあとおもうけど、なるべく「怒り」という感情を混ぜないで、拙くても「ことば」をつかって、何をわかってほしいかを伝える。


そういうコミュニケーションを選択できるじぶんでありたいなあ。


余談だけど、ある先輩は相手が不機嫌だと「ちょっと『おさんぽ』行ってきてよ!」って言うらしい(笑)


「おさんぽ」っていう語感が絶妙だなあ、これはいいなと。


今度同じようなことになりそうなとき、いったん頭を冷やして相手に伝える言葉を紡ぐ時間を稼ぐために

「・・・ちょっと『おさんぽ』いってくる!」

といってタイムアウトを取るのをルールにするのもいいかもしれないね、という話になりました。ルールにしとくとハードル下がるしね!

(不機嫌になっちゃったスタッフにはめっちゃ謝りました)




わが家の唯一のルールは「不機嫌禁止」なので、イヤなことがあったときに、イヤな気分をひとにぶつけてはいけない。ただ、ガマンするのではなくて、何のどの部分がイヤなのかをよく考えて、僕に話してね。

と、Oくんにはいつも伝えている。


やつあたりではなくて、僕に伝えるように話をするには、いちどよく考えないといけない。


どうしてじぶんはイヤな気持ちになったのか、あの子はどうしてイヤな気持ちにさせるようなことを言ったのか、想像してみる。だいたいのことは考えてもわからないし、正解などないけれど、想像することはできる。


それから、「じぶんのしたことは、良いことも悪いことも必ずじぶんに返ってくるよ」ということも、伝え続けている。


イヤな態度をしたら相手もイヤな気分になってしまう。


それをまたイヤな態度で返すと、そこに負の連鎖がおこる。


それを避けたいなら、イヤなことをされたときに、その人に罰を与えようとしなくていい。Oくんが指摘したり罰を与えたりしなくても、必ずその態度はいつか本人に返ってくるからと言った。


それではどうしたらいいのか、


答えは「自分はしない」という方法だった。


ただ飲み込むガマンや無関心になるのではなく、負の連鎖を止めるための挑戦だ。


Oくんは僕のことを「まーるい柔らかいポヨポヨのゼリー」みたいと言う。


「なんで?」と聞くと

「なんか安心するから」だそうだ(笑)


きっとイヤな気持ちにさせる子たちも同じようにイヤな気持ちだっただろうから、
Oくんもまーるく柔らかくいたら、すこしずつともだちも安心して寄ってきてくれると思う。


僕はOくんに、全員と仲良くするよりも、どんな相手でもひとりひとりのことを思いやれる人になってほしい。


なぜなら、それはおとなになってもまったく変わらなくて、ひとはだいたいにおいてわかりあえないからだ。


わかりあえない前提で、それでも相手のことを思うことはできる。無関心や思い込みで判断するのではなくて、どんな人もまず受け入れられるようになってほしいし、僕もそうありたい。


おしまい。


不機嫌とは無関係のこいつも、まーるい柔らかいポヨポヨのゼリーU^ェ^U






こんばんは。


先日、こんな本を読みました。



パパは脳研究者 子どもを育てる脳科学
池谷裕二著


ヒトの脳の進化には順序があります。赤ちゃんの未熟な脳にとっては見えるものだけが真実らしい。


視界から消えると存在自体も無いことになるらしく、ママが視界から消えると泣いたり、後追いしたりするのは、「ママが見えない=ママが存在しない」から。見えなくても他の部屋に存在していることが信じられないという脳の構造。なんて難儀な。


そんな状態なので、赤ちゃんにとって「ウソ」なんて高度なものはありえないんです。



子どもがすぐばれるウソをついて親が叱る…ってよくある風景ですが、ウソをつくようになるのは3歳前後。まだウソの初心者です。子どもからしたら「本当のことを知っているのは自分だけだからウソをついてしまおう」と本気で思っている。


「このウソは程度が低いからバレるだろう」と考えるほどには、まだ脳が発達していないんですね。バレバレなウソを自信満々でついちゃうなんて、かわいいにもほどがある(笑)


そして自分がウソをつくのに慣れると「自分以外もウソをついているのではないか」と疑えるようになり「それ本当?」「ママウソついてない?」といったセリフも出るように。疑われるようになったら、子どもの脳がまた一段階進化したと喜んでください(笑)


脳の発達って面白いですね。



昨日、4歳になったばかりのOくんから「リア、人はなぜウソをつくの?」と聞かれて、めっちゃ高度な質問をしてくるやん!脳が進化してるんだなあ!と感動しました。


世の中には本当ではなくウソもある。


自分はウソをつく。


人もウソをつく。


人がウソをつくにはいろいろなパターンがあるのでは?


このあたりまでしっかり考えられるようになっているんですね。4歳おそるべしです。その時はこんな会話をしました。


リア「Oくんはご飯食べてないのに食べたって言うときあるね。なんで?」


Oくん「早く遊びたかったから」


リア「そうやって、やりたいことをやるためにうそをつくことがあるね。あとは、叱られたくないときもある。リアは、友達が買ってきたお菓子を内緒でちょっとだけ食べたとき、食べてないってうそついたことあるよ(笑)Oくんも怒られたくなくてウソをつくときある?」


Oくん「ない」


リア「おてて洗ったよ、は?」


Oくん「きゃははは(なぜかOくん、めっちゃウケてる)それはね、お菓子食べたかったから。ママはおてて洗わないと鬼になるから」


リア「あとはね、恥ずかしいときもウソをつく。リアは、おならしたのにしてないって言うことある」


Oくん「くさいね!きゃはははははは!おならぶーぶーだよ!しつれいこかせていただきます!ぶー!リア、おしりたんてい観たい」

(ここで会話終了、「しつれいこかせていただきます」はおしりたんていというアニメのネタです)


こういう会話をして、僕自身も改めてウソについて考えるきっかけになりました。ウソは自分が持っていきたい方向へ事を進めるためのツールなのかな。


あ~あとはあれだ、心配をかけたくないウソもありますね。今度説明しよう。ウソは悪いことばっかりじゃないですね。思いやりのウソもあるって今度教えよう。



今はまだ、Oくんのウソもかわいいものだけど、だんだんとウソも進化していって、見分けがつかなくなるんだろうな。来年ママの元に戻ったら、しっかり本音で語り合える親子関係を作っていけたらいいな、なんてことを願う僕なのでした。


おしまい。