コロナウイルス怖いねーって。


話のネタはそればっかりですが、個人的にはインフルエンザもウイルス性胃腸炎も溶連菌も、怖いんだよ!!


同じなんだよ!?(人にうつるという意味で)



とりあえずみんな落ち着こう。


落ち着いて手洗いうがいしよう。




福島に住む友人と先日電話で話したのですが、2011年3月11日、あの時も人々は、よく知らない、そして目に見えない放射能というものに怯えていました。


そして他県に逃げた子どもは転校先の学校でいじめられるということもありました。


福島ナンバーの車はガソリンスタンドに入れてもらえないということもありました。


当時、福島ナンバーの車で他県に行くのは危険だと言われました。


とてもショックだったでしょうね。


日本人の本性はこれなのか、この世界は残酷だ、とその時ばかりは本心で感じたそうです。


実は子どもたちの世界は、想像するよりも残酷で窮屈なんです。


きっと、小さな体で僕たち大人と比べ物にならないほど我慢をしていたことでしょう。



コロナウイルス騒ぎでも、親から間違った情報を教えられたり、適当に伝わったことが原因で中国人に対する差別的な見方や、咳をしている子どもに対する心ない言動に繋がります。


子どもは素直ですからね。


大人はそこまで考えて、しっかりと正しいことを伝える。


そして、恐怖心を煽ることや、他の人を傷つけることに繋がらないよう、言葉を選んで伝えることが大切です。


知らないから排除するのではなく、正しい知識を持って、社会の様子を俯瞰で見て、冷静に行動しましょう。


多くの人が動いているということは、そこに"考える力"が働いていない場合があります。


自分で考えて慌てずに行動できる姿を、子どもたちにも見せていきたいですね。  





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「言いたい事も言えないこんな世の中じゃPOISON」と、俳優の反町隆史さんが歌っていたのは、何年前のことだろう。毒をPOIZONと表す反町さんの言葉選びには敬服する。今の若い子たちは、この名曲を知っているのだろうか?



先日、教育分野のプロが集まる交流会に参加させてもらった。それぞれが興味のある教育テーマについて話し合い、シェアをし、理解を深める。


リアルな教育現場の話が聞けて視野が広がった。


その中で、現役高校生と交流のある方が、

「最近の若い子って、すごく空気を読むんですよ」

と、教えてくれた。


「多様性」が叫ばれるこの時代でも、子どもたちはまだ空気を読まなければいけないのかと、驚きながら話に耳を傾ける。すると、92年生まれのMさんが

「ああ、わかります。高校生の頃、“KY“って言われるのが怖くて、私もすごく空気を読んでいました。ちょうど、私たちの世代からです、”KY”って言葉が流行り出したの」

と言った。


“KY”。もはや死語じゃないかと思うほど懐かしい響き。


「言いたい事も言えないこんな世の中じゃPOISON」もそうだけど、今の高校生たちは、“KY“という単語を知っているのか?


DAI語ではない。念のため、コトバンクの解説を引用しておく。


KY(読み)KY/けーわい

K=「空気」、Y=「読めない」で、「空気が読めない」という意味である。あるいは、直接「KY」と忠告すると「空気を読め」という意味になる。2006年ころから女子高生言葉として使われ始めた。



学生時代の僕は、空気を「読まない」選択をすることの方が多かった。


人の悪口を言って盛り上がっている子がいれば「やめた方がいいよ」とか言っちゃうし、自分たちが楽をすることで誰かに迷惑をかける人がいれば「おい、ちゃんとやれ」と言ってしまう。嫌な気持ちにさせられることがあれば、「〇〇されるのは不愉快です」とばっさり告げる。


いや、僕だって、わかってる。その場でノリを合わせた方が良いってことは。関係性をぶち壊して、ゼロから積み立てるのも面倒だし。それなら、その場でニコニコ笑って頷いていた方がずっと楽だ。


でも、しょうがない。思ったことは口に出さないと気が済まない性分なんだもん。言わずに居られるんだったらとっくにそうしている。主張しないと、身体中に大量の虫が這っているような気持ちになっちゃうから。


でも、意見を述べたせいで、トラブルになることの方が多かった。学校の先生にまで「空気を読みなさい」と言われたし、哀れに思った友達からは「おまえがどう立ち回ればいいのか教えてあげる」なんて言われたこともあった。


空気を読んだら読んだで居心地が悪くて、でも、空気を読まなくても後ろ指を刺されて気分が悪い。学生時代は、本当に、生きづらかった。


でも、学校を卒業して社会に出たら、途端に生きやすくなった。


相変わらず空気は読めなくて、新入社員のくせに慰労会を断って帰宅したり、苦手な社員さんの車に乗りたくなくて勝手に電車で帰ったりしてものすごく怒られたこともあったけど、それでも、会社の人たちにはとても大切にしてもらった。


たぶんそれは、僕が「自分の意志や意見」をはっきりと口に出して言えたからだと思う。会社でも、空気を読んで意見を言わない人が多かったからか、「こう思う」「こうしたい」と意見のある僕を歓迎してくれたのだ。意見のない人と仕事をするより、意見のある人と仕事をした方が数倍楽しい。


だからこそ、上司や営業さんも僕に仕事を任せてくれた。トラブルがあった時も、上司が率先して話を聞いてくれたのは、僕が周囲に怖じけることなくものを言えたからなんじゃないかと思う。


学生の頃は「みんなと合わせることが良い」とされていたかもしれないけど、社会に出たら「自分の意見や気持ちが言える」ことの方が大切だと思う。


そのためには、相手に“伝える”練習をしなくちゃいけない。今までずっと空気を読んできた人間が、いきなり上手に意見を伝えられるようにはならないから。


振り返ってみると、学生時代の僕は、伝えることが本当に下手だった。なんでもストレートに物を言うから、相手の気に触った部分もあったんだと思う。もっと上手に気持ちを伝えることができていたなら、あんなに人間関係で苦労しなかったかもしれない。


でも、そんな経験があったから、今、ちゃんと自分の意見が言える。「僕はこう思います」って、誤解なく相手に伝えられるようになったのだ。


「こんなことを言ったらどう思われるだろう」「本当は違う意見なんだけど、今の関係を壊したくないから」


と、怖気づいて、みんなと同調してしまうこともあるだろう。


空気を読んで、顔色を伺って、その時その場所に合った選択をすることが間違っているとは言わない。でも、学生のうちに、自分の気持ちをきちんと伝えられる術を身につけてほしいと思う。それは、これから社会を生きる上で、きっと役に立つ力だと思うから。



……なんて偉そうなことを書いたけど、僕だって大人になったから、言っていいことと言っちゃいけないことがあるのはわかっているし、ぐっと飲み込む時もある。そんな時、頭の中で、「言いたい事も言えないこんな世の中じゃPOISON」と反町隆史の切ない歌声が聞こえてくるのだ。


これは20年以上前の歌だ。20年以上前から、僕たちは言いたいことを胸の中に押しつぶして生きてきたし、それがこの20年間ずっと変わっていないと思うと、なんだか末恐ろしい。人々の胸に溜まり続けた不平不満が腐敗して、毒として世の中に流れ出ているような気さえする。


その毒を掻き分けて我々は生きている。

……のかもしれない。



今、若い子たちに人気のアイドルグループ“欅坂46”。学校や大人、友達など様々な抑圧からの解放を謳うセンセーショナルな歌詞に共感する若者も多いらしい。


不協和音を

僕は恐れたりしない

嫌われたって

僕には僕の正義があるんだ

殴ればいいさ

一度妥協したら死んだも同然

支配したいなら

僕を倒してからいけよ!

(不協和音/欅坂46)

彼女たちの歌に共感するってことは、本当は何か、大声で言いたいことがあるんじゃないのかな? それ、言ってみてよ。ただ共感して歌を聴いているだけじゃ、何も変わらないから。


実際に僕たち大人は、20年間変わってこなかった。これからも空気を読み続けるし、忖度し続けるだろう。言いたいことが言えない世の中は毒だって、そんな思いだけは、ご立派に隠し続けて。


君たちは、そんな大人になりたくないだろう?








もうすぐ…

膨らむ蕾

輝きの中で

ひなたぼっこ


今日も読みにきてくださり、ありがとうございます。

素敵な週末を。









おはようございます。

昨日、買い物をしていたときに、隣のレジで50代前後くらいの男性が店員に対して、ひどく詰め寄っていた。


理由は分からないけど、聞こえてくるものはいちゃもんのようなものだった。


「お前は〇〇人か?」というような差別的な言語を聞き、はっと顔を向けたら
その男性が「気持ち悪い顔しやがって」と、言ったのが耳に入った。


店員さんはじっと下をむいて、申し訳ありませんと小さくつぶやく。
目に入ったのはアトピー性の皮膚炎を持っている女性だった。


とっさに「は?今のあなたの顔のほうがよっぽど気持ち悪いんですけど?彼女のどこが気持ち悪いっていうんですか?」と本当に何も考えずに口に出てしまった。


男性はものすごい剣幕で僕に怒鳴りかかってきたけど、やっぱり許せなくて
「ひどいものはひどいですよ。何も気持ち悪くない。さっきから聞いていたけどひどいことばっかり言ってたじゃないですか」みたいなことをたぶん言ったんだと思う


胸ぐらをつかまれ、さらに怒鳴られた。
腕力は自分のほうが勝っていると感じたけど、絶対にここは手を出したらダメだと自分に言い聞かせ、ずっと相手の顔をにらんでいた。


そこにセキュリティの人が来て、その男性は連れていかれた。
女性店員さんは泣いていた。


その後、事情を話して店長にも女性にもお礼を言われたけど、お店には本当に申し訳のない、大人げない行動をとってしまったのだと反省せざるをえなかった


完全なる迷惑行為だったと思い、再度謝罪の連絡を入れた。


帰ってからも「どうしてそんなことを言ったの?」と周りからはさんざん言われた。


「危ない目に合っていたかもしれない」とか。「梨亜だって相手の男性にひどいことを言っているでしょ」とか。
何が正しい答えだったのか分からない。
ただただ僕の中の正義感のようなものが爆発して怒りになった。ただそれだけなんだと思う。


「正義感が強すぎる」


幼稚園の面談で母親に先生が言っているのを横で聞いていた。
守ってあげなくちゃ、ひどいことをするなんて許せない、そうした感情が強いんだと思う。


今となれば一つのパーソナリティーだなと思えるが、その時に先生は「そうした正義感の強さは輪を乱す原因になるので、、、」と言っていた。


今でもその時の景色が頭に焼き付いていて「僕は正義感が強すぎるのだから気を付けなくては」とどこかでいつも思い返している。
今回はこうした正義感の強さを自分で痛感することとなった。


人の正義というのは、それぞれ持っている者が違う。
何が正解なのかというのはとても難しい問題だと思う。


改めて辞書で正義とは何かと調べると
「正しい道理。人間行為の正しさ。」と出る。


一体正しい道理とは、人間行為の正しさとは何なんだろう。
僕は強い信念を持って、思いやりの心を忘れず生きていくことだと自分で思っている。


子どもの頃は、相手の顔色だとか社会の仕組みなんて知らないから
「悪いと思ったことは悪い」だった気がする。
ルールがあるなら守るべきだし、タバコのポイ捨てを見て「いけないんだよ!」と素直に言えていた気がする。


大人になったことで空気を読み、周りの目を気にすることで、正義を持たない人も沢山いるような気がする。


面倒なことに巻き込まれなくない。
徹底的に避ける。それも一つの選択肢だ。


今、僕自身、自分の正義を持つことで人生は大きく変わっていくのだと感じている。


4歳の僕は「正義感が強すぎる」と言われたけど、泣いている年下の子を慰めざるえなかったし、原因を伝えたくて仕方なかった。
「あなたの言ったことで泣いてるんだよ」って。
破れた本は、その本人が直さなくちゃ、大切さなんて分からないから「やぶったでしょ?直して」とけんかになった。
だって言わなきゃ分からないでしょ。自分が傷つけているのかどうかなんて。


「すぐ文句言うから、梨亜くん嫌い」
別に好きになってくれなくてもいい。間違っていると思うことに、きちんとそれは違うんじゃない?って。悲しんでる誰かのために僕は言いたかった。


人それぞれの正義があるからこそ、僕たちはぶつかっても前に進んでいけるんじゃないだろうか。


少しの正義感はきっと誰かを救う日が来ると思うから。


今一度大人の正義感について、僕は自分を振り返ってみようと思います。    





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世界各地、そして日本でも感染が拡大している新型コロナウイルスに恐怖を感じています。

先日、知人の医師に対策を聞いてきました。


【今すぐ始める!コロナウィルス対策】

1 不用の外出を控える
*ウィルスに触れないのが一番です!


2 防御する

<具体的な対策>

手洗い

うがい

鼻うがい

洗眼


3 体内環境づくり

*同じ状況でも感染する人としない人がいるのは、体内環境の差!

ウィルスに触れても侵入させない高い免疫力、侵入しても増殖できない体内環境をつくっていきましょう!


そして、笑うこと!

ウィルスを殺してくれるNK細胞というものが、皆の体の中にあります。

これ、笑うと増えるんです。

ガン細胞も殺すんだそうです。


笑おう!!!

できることをやったら、楽しもう!!!





最近、お友達になった子犬のカンくん。
それにしても、ダイが子犬だった頃にそっくり!兄貴風吹かせてます(笑)


素敵な日曜日を。

それでは、また。



 





早朝の日を受けて輝く水面と、刺すような冷たい北風に揺れる木立。


何年も何十年も、下手すれば百年単位でずっとそこにある景色を見ていたとき、ふと人が自然にアイデンティティを感じる意味がわかった気がした。


海育ちの人は海を、山生まれの人は山を、平野育ちの人は野原を。


『地元』という言葉を想起する際に浮かぶものは、なぜか自然の一部であることが多い。


かくいう僕も、海の近くに住んでいたので、幼い頃から大海原に身をまかせサーフィンをしていた子なので、世界のどこに行っても海を見るときが一番心安らぐ瞬間だ。


自分のちっぽけさに気づかされたり、素直に今日生きてること、楽しくサーフィン出来ていることに感謝が出来たり心に余裕を与えてくれる大海原は、僕の心の拠り所だ。


あっというまに変わりゆく世の中で、唯一変わらないもの。


今、レジャーやスポーツの一環として自然が愛されるのはきっと、それが不動のものだからなのだと思う。


僕たちは表向きには自由を求めながら、実は無意識のうちに人生の重石もまた求めている。


たとえ自分が変わっても、変わらずそこにあるもの。


そして自分をいつだって、無言で受け入れてくれるもの。


何があっても、ただそこにある。それ以上に慰められることってあるだろうか。



人が不安になるのは、こうした『自分にとって不動のもの』を手放してしまった瞬間なのではないだろうか、と僕は思う。


特に都会に住んでいると、気づけばあらゆるものが可変になってしまう。


それが便利だし、合理的だから。


住む場所も人付き合いも街の景色さえも、変わらずにいてくれるものはほとんどない。


結婚したいとか家を買いたいという欲求も、もしかすると『不動のもの』を求める気持ちが根底にあるんじゃないかと思う。


毎年の季節ごとの行事も、変わらずにあるためのマイルストーンのような気もする。


僕たちは飽きっぽくて、すぐに新しいものに飛び付きたがる生き物だ。


でもそれは、戻れる場所があるという安心感があってこそのものなんじゃないだろうか。


すぐに目移りしては次々と消費していく僕たちにとって、不動のものは心のセーフティネットたる所以なではないか、と思うのだ。


昨日、心の拠り所である地元の海に行き、亡き父の友人であり、サーフィンの大先輩の「茂じい」と呼んでいるおじいちゃんに会って色々な話をしてきた。


「ウサギとカメの話を知ってるか?」と茂じいが急に言い出した。


もちろん知ってるよ、と答える僕。


茂じいは無類の本好きで、年間300冊以上は本を読むし、自分で俳句を書きもするので、茂じいがこういう話を始めると、自然と僕は「どんな知識を教えてくれるんだろう」とワクワクする。


「梨亜の思う、ウサギとカメの解釈を言ってごらん」と問いを出された。


えーっと。足の速いウサギと足の遅いカメがいて、競争を始める。もちろんウサギが勝っていたけれど、余裕だと思ってサボって昼寝をしたら、その間に遅い足で休まず努力したカメがウサギを追い越し、最終的にカメが勝った話でしょう。つまり、能力が低くても、愚直に努力をすることで能力が高い人をも超えることができる……ということを表す物語じゃないの、と、僕は答えた。


すると茂じいが、「それも正解なんだけど」と、ウサギとカメの寓話の「もう一つの解釈」を教えてくれた。



この寓話は、「ウサギとカメが"どこを見て"走っているのか」がポイントなんだよ、と茂じいは言った。


ウサギは競争相手であるカメばかりに気を取られ、「ゴール」を全然見ていない。ゴールを見て、そこに辿りつくために走っているならば、ウサギは休まずにゴールを目指して努力するはず。けれどウサギが見ているのは自分の競争相手であるカメなので、そのカメが走るのが遅いから、つい「まだ大丈夫だ」と思ってサボってしまうのである、と。


一方カメは、「ゴール」を見て走っている。ウサギが速いからといって焦るわけでもなく、ウサギが寝たからといって自分のペースを変えるわけでもなく、自分がゴールをするために、努力をして走ってる。だから止まらないんだ、と


ウサギは他人を基準に生きていて、カメは自分の目標を基準に生きている。その「生き方の違い」がこの寓話の解釈の本質だと思っているのだ、と茂じいは言った。


ウサギの生き方になっちゃダメだよ、と茂じいは続けた。


誰かがゆっくり走っているから余裕だと思ってサボったり、また、誰かが速いからと言って自分が焦ってしまったり、そうやって、「他人を見て」走って生きるのはダメだよ、と。


カメのように、ゴールを見据え、ゆっくりでもいいから周りのことは気にせずに、マイペースで頑張ったらいいんだから。そうやって努力していると、きっと誰かが見てるんだから、少なくとも俺は見てるから、と言う茂じいの言葉に、思わず涙腺が緩んだ。


こう言ってくれる心の温かい人達が周りいることが、何よりも僕の誇りであり、マイペースに生きていこうと思える理由なんだといつも思う。


カメのようにノロくても、ちゃんと自分なりの歩みを大切に、これからも頑張りたいなあとあらためて思う休日なのでした。



早咲きの河津桜が綺麗でした。




皆さんも素敵な連休を。

それでは。