こんばんは。


僕の会社には質問箱というものが置いてあって、スタッフの悩みや質問の投稿には出来る限り回答しています。


「こんなことがあって落ち込んでいま
す。どうしたらいいですか?」

「メンタルが弱いのですぐに落ち込みます。」みたいなのが多くて、みんな落ち込んでいるんだなあ、と思った次第です。


「メンタル強そうだよね」と言われている僕も、実はメンタルが水気の多い豆腐くらい弱いのです。なんか老舗の旅館とかで出てくる豆腐みたいな感じです。あれおいしいよね。


でも「メンタル強そう」と言われるのは事実なわけで、まわりからそう見えるのには何か理由があるはずです。


さっそく結論から言ってしまうのですが、

・ぼくのメンタルの強さ=「凪」

・テンションが上がらなくてもいい。平穏が続くのがいちばん大事

・無風を保つための努力はたくさんしていた

という感じなのかなと。


僕のメンタルの強さって?と考えると、たぶんそれは「凪」なんですよね。たこじゃないですよ、「なぎ」です。風がやんで、波が立たなくなった海面のこと。


無風で、穏やかで、上がったり下がったりしない。それがぼくのメンタルの強さなのかなと。


これは自分でも自覚しているのですが、テンションが上下する状態があんまり得意ではありません。もちろんライブに行って爆上がりするのも飲み会でぶち上げるのもたまにはいいんです。でも、テンションの上がる非日常がずっと続くと、なんとなく自分が自分でなくなる感覚に陥ってしまいます。


もっと最悪なのはテンションが下がっているときですね。失恋したり、嫉妬したり、イライラしてストレスが溜まっている状態。最初に書いたとおりぼくは豆腐メンタルなので、心に負荷がかかっている状態に耐えられないんです。眠りは浅くなって、肌が荒れて、自己嫌悪が止まらなくなっちゃう。


だからぼくの理想は、テンションが一定で穏やかなメンタルが続くこと。非日常なイベントが次々起こらなくてもいいので、自分が自分の枠に静かに収まっている感覚。それが続いてほしいんです。(伝わるかなこれ?)笑


というわけで、落ち込まないための工夫をちょっと紹介していきたいと思います。

(単に歳をとって気にしなくなっただけでは・・・という意見は一切受け付けておりません)笑



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悪いことを思い出しそうになったときには、視点をずらすということをやっています。なんか昔にあったいやなこととか思い出して、再度いやな気持ちになってしまうことってありますよね。


あれ無駄だなーって思って。


なんか本当かどうかはちょっと眉唾だなって思っているんですが、人は「過去を思い出す時は、視点を左上にする」というのを聞いたことがあります。


なので視点を右上にする、ということをよく行っています。悪いことを思い出しそうになったらこうするのです


右上を見るときは、未来のことを想像したりするときに使われるということを聞いたことがあります。なので、悪いことを思い出しそうになったら右上を見て「明日何にしようかな」とか、「次に何食べようかな」みたいなことを考えます。


これを慣れていくと悪いことを思い出しそうになった時に、思い出さなくなります。そうすると、そのこと自体の記憶の反芻がなくなるので記憶が定着しなくなって、結果的に忘れちゃうのですね。


これを繰り返していると以前あった悪いことは、全然思い出さないということになるのでおすすめです。



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悪いことを考える時に意外と多いのが、同じことを頭の中でぐるぐる何度も再生しているということです。


つまり悩んでいるわけでも、迷っているわけでもなく、単に同じことをリピート再生しているだけということがあります。


これは単に気持ちが落ち込むだけなので、無駄ですよね。


こういう時におすすめなのは、一度、紙とかに書いてアウトプットしてしまうことです。


脳の中から、外に吐き出すことで情報が視覚化することになります。そうすると、悩んでいる内容のたいしたことなさに気づきます。たとえば「文字にすると400文字ぐらいだな」みたいなことがわかります。


そして悩む時には、その紙を見ながら悩む、ということをします。


そうすると思考のループはしなくなります。紙を見ながらやるので、頭の中をぐるぐるは回らない。


悩みは、箇条書きにするとこの3点だな、とわかるので、それぞれに解決法などを考えていくと、すごい悩んでいたものもそこまで大した問題じゃないような気がしたりします。もちろんすべての悩みが消えるわけではないのですが、経験的にいうと7割くらいは割とどうでもいい悩みだったりします。


「とはいえ、自分で悩みを紙を書くのが難しい」

という人は、いい方法があります。それは自分の親しい人や尊敬する人にメールで相談するというやり方です。


「いやいや、そんな相談できるなら悩まないよ!」と思うかもしれませんが、コツとしては、「メールは送信しない」ということです。


大事なのは他人に説明が分かるように、詳しい中身を書くことで、客観的な目線が入った文章を書くということです。そうすると、アウトプットがしやすいのでおすすめです。



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「自分でコントロールできること」と「自分ではコントロールできないもの」をわけておくのもオススメです。


この2つを区別しないことによる悲しみというのは結構多いです。


例えば、「大地震が怖い」という悩みがあったとします。


地震が起きること自体はどうにもならないことですよね。だからといって「もう地震が起きたってしょうがない!なるようになれ!」と考えていては地震が起きた時に困ったりします。


なので、「自分でコントロールできること」と「コントロールできないこと」をわけて紙かなにかに書いておくのがオススメです。


自分でコントロールできることは、例えば災害の予防グッズを用意したり、水などを用意したり、実際に地震が起きた時の備えを本などで勉強する、といったことです。コントロールできないことは、地震が実際に起きることです。


メンタルを追い詰めるのは極端な思考です。「全部自分でコントロールできる。だから何が起きても全部自分のせいだ」という極端な自責思考や、「僕が今こういう状況なのは、全部、生まれた時代が悪かったからだ。」という極端な他責思考は、極端な結論にたどり着きやすいです。そういうことを避けるために冷静に分けておくと良いと思います。



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何かをやるときに「これは練習だ」と思うこともオススメです。


メンタルが弱い人が陥りがちなパターンとしては、一度失敗するとすごい傷を負ってしまうことです。


たとえば、自己紹介でめちゃくちゃ失敗すると、傷つきますよね。しかし、これをずっと引きずって「自分は自己紹介ができないんだ、新しい環境に馴染めないんだ」と思ってしまいメンタル追い込んでしまいます。


冷静に考えると、数回しか練習していない自己紹介を本番でいきなり成功する可能性は少ないわけです。


なので、まず、自己紹介をする回数を増やします。たとえば、新しい場所にいく回数を増やしたりします。新しい習い事の体験でも、朝活でもなんでもいいんですが、自己紹介をしないといけなそうな場所に頻繁にいきます。


そうすると、一度失敗したくらいでは、たいして気にならなくなります。「次に活かそう」となります。失敗しても「まあ、ここで失敗しても、次の新しい環境だとみんなそれを知らないしな」となります。


ということで、僕は「人生、常にリハーサルだ」と思って行動しています。リハーサルだとすると、行動量を多くして経験値を貯めたほうが有利だからです。そうすると、失敗が怖くて行動しない、みたいなことが減りますし、失敗しても次がある!って思えるようになります。




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「悪口が気になる」という人とか「上司に、それは逃げだと怒られる」みたいな悩みもよく見ます。


これは簡単で「意見を聞いたほうがいい人と、聞かなくていい人をわけておく」というのがいいです。


たとえば、ブラック企業で働いている時に、やめようとしたら上司から「おまえ、それは逃げだぞ、そんなんじゃ社会じゃ通用しないぞ」と言われたりしたときに、真面目な人ほど「そうなのかあ」と思って受け入れてしまったりするんですね。


あと、「起業しようとしたら親に反対されて」みたいなケースもあります。


で、たぶん、ちゃんとしている人は「人の意見を素直にきかないとダメ」と思ってたりするんです。でも、アドバイスには当然、聞いた方がいいものと、そうでないものがあるのです。それなのに、アドバイスを過剰摂取することで、相手にとって都合いいところに追いやられてしまうのです。


起業で成功したことない親からの意見は聞くべきか?というとたぶんNOでしょう。
ブラック企業程度の会社につとめている上司が社会についてどれだけ熟知しているかというとそうでもないはずです。


というので、自分の中で「この人のこのへんの意見は聞いておこう」「この人の意見は無視していいな」というのを決めておいてそれで運用する、というのが楽です。


自分の尊敬する人からのアドバイスは素直に聞いて、そうでない人のアドバイスは、聴いているふりをして無視する、くらいの心持ちがいいかなーと思います。


僕もアドバイスするときは「話半分に聞いてください」「使えると思ったところだけ使ってください。使えないと思ったら無視してください」というのですが、言っている側もそんなに聴いてもらえると思っていないので大丈夫です(アドバイスを聴かないと怒る人はそれだけでやばい人なので全部無視したほがいいです)笑



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というわけで、まだまだある気もしますが、こんなところを気をつけたらいいかなーと思うところを書いてみました。


話が飛び飛びになっちゃった気はしますが、どこか参考になる部分があれば嬉しいです。ではでは!













こんばんは。

10月10日からバリ島に行き、今朝帰国しました。





今回は亡くなった叔母との約束で、叔父と同じバリの海への散骨がメインですが、自分の心の休養を兼ねての旅。



チャーターした船で沖まで行き、ゆっくりとしたテンポのインドネシア音楽が流れる中、遺灰の入ったヤシの実とお供えの花を海に流す。

黙祷していると、叔父と叔母の笑顔が浮かんできて「ありがとう」という声が聞こえたような気がして、涙が溢れてきた。



叔父さん、叔母さん、大好きなバリ島で大好きなサーフィンを二人でおもいっきり楽しんでね!

















バリ島の魅力は、なんといってもゆっくりと流れる時間。

晴れたらビーチでビールを飲んだり、海でサーフィンやシュノーケリング。
雨が降ればスパでのんびり、お腹がすいたらご飯を食べ、眠くなったらベッドで昼寝。

これにつきると思う。

バリ島レポートは機会があれば書いていきたいと思います。




旅の後半は、叔父の親友でサーフィン仲間のワヤンさん宅でお世話になる。

ワヤン家のリオとヴィノの兄弟と触れあう中で、屈託のない笑顔で純粋無垢でいつも自然体な二人を見ていて、僕の思っていることを綴っていこうと思う。




「 僕はあなたが思っているほど浅い人間じゃないし、あなたが思っている以上に深く考えているよ。」


そう思うようなときがある。自分としてはとてもこだわっていたり、深く考えているはずの部分を、その深度までは理解してもらえずにむしろ軽薄なイメージを持たれてしまうとき。


もちろんそう思われてしまうのにはこちらの伝え方みたいなものが良くなかったり、そもそも伝えていない場合がほとんどだったりするんだけど、なんだかこうゆうときは悲しくなるんだよね。みんなもあるよね?



10割分のわたし

たとえば僕があなたと「初めまして〜」って出会ったとして、 そのときに何割分のあなたが見えてるんだろう? って考えたわけさ。


すべてのあなたが10割分あったとしたら、「初めまして」の時点でコッチが得ている情報としてはせいぜい外見、雰囲気、声、服装、人あたり、表情、とかそんなもんだと思うんだよね。たぶんこの時点で分かるのはその人の1〜2割くらいだとおもう。


でね、そのときにあなたが胸の内で考えていることとか、生い立ちとか、大切にしていることとか、密かにやりたい野望とか、好きな空気感とか、そんなものまでは全然わからないわけさ。


だからその1〜2割の情報量でその人を推し量ってしまうのはもったいないと思うし、「浅はかだな」って思うわけ。あと8 割分くらいあるその人を知らないのに「あのひと苦手」って言っちゃうのはなんだか違うなって。


もし逆の立場だったら「わたしの1〜2割しか見てないのになによ。プンプン。」ってなると思うんだよね。心外だったりするよね。「アンタにわたしの何がわかるのよ」って言っちゃうヒロインの気持ちもこんな感じなのかもなって。



人は深い

人は思っているよりもずっとずっと深くて、たぶん初めて知り合ってから、一緒に遊んだり、飲んだり、シゴトをしている一面を見たり、スポーツをしたり、弱い部分を見たり、そうやってその人のいろんな一面を見ていくことで、その人を理解している割合が増えていくと思うんだよね。


で、お互いに8〜9割分のソイツを知っていたりすると、いわゆる「親友」みたいになるんじゃないかな。


逆にこのことを理解していなくて、「自分が知っているその人の割合」と「相手が見せている割合」がズレたときにコミュニ ケーションのすれ違いって起きるのかなって。


「あいつは分かってない」「わたしのことを理解してくれない」「あの人には分からないよ」みたいな感じにね。


だから僕は出会ったひとのいろんな一面を見てみたいと思うし、初めましての段階ではその人の1割しか見ていないと思っているから、理解した気になったような発言はしないようにしていたりね。ぼくが思っているよりもその人は深いのだ。




人とすぐに打ち解ける人

そのなかで、人とすぐに打ち解けてしまって親友みたいになっちゃう人っていると思う。たまにいるよね、この人誰とでもすぐ仲良くなるなあ、って人。


そんな人は最初から「8割分」くらいの自分を見せちゃえる人なんだよね。めっちゃ見せる。自分のあんなところもこんなところも、ダメな部分も見せちゃう。


つまり自然体なんだよね。自分をさらけ出すことに抵抗がなくて、なにも隠してない超自分オープンで、つねに本心で生きてる。


どんどん自分から見せていくから、相手も本来の自分を見せやすいし、自然体でいられたりする。だから最初からお互いに「見せる割合」が多いから一気にある程度の深さまでその人を理解できて、仲良くなっちゃうんだよね。すごい。


たぶんそのコツって、「自分」を生きることなのかなって思う。


自分に素直に生きて、本心で生きて、人と本音で語ったりしていくことで、つねに8割を見せちゃってる自然体な自分に成長していけるのかなあ、なんて思いながら過ごしているワンダフルな毎日でして。いやはや楽しい。



あなたの知ってるあなた



もうそろそろまとめに入るね。 いろいろと書いちゃったけど何が言いたいのかっていうと、僕はあなたの10割分を知らないし、あなたは僕の10割分を知らない。


だから僕があなたのことを分かりきったような口調で何かを発言するのは申し訳ないし、あなたが僕のことを分かりきったような口調でなにか悪いことを言っていたとしても、それは気にしなくていいってことだ。それはみんなも同じ。


あなたが何か嫌なことを言われたとしても、その人はあなたの10割分を見て言ってるわけじゃない。だからいちいち真に受けてヘコむことではないし、あなたはもっと深いんだよってこと。10割分のあなたは、あなたしか知らない。


でもそれだと自分と人とのあいだに溝が出来ちゃうから、なるべく多くの割合の自分を見せていく努力はしなきゃなって思う。


ぼくは人に弱みを見せるのが死ぬほど苦手で、今年一年はソレばっかりしてた。人に弱みを見せる努力。そうすることで今は自分を見せられる割合が増えて、自然体でいられるようになった。


「自分のやりたいこと」と「大切にしている想い」と「好きな人たち」の中で生きていきたくて、その着地点をずっと探していたんだけど、実は着地点なんてなくて、我慢せずに自分を抑え込まずに、ただそこに身を任せてフワフワと溶け込んで「一体化」していけばいいのだと気付いた。



なるべくなら、10割分に近いあなたを世界にさらけ出して、「自分」のまま生きて、一体化して溶け込んじゃったほうが、ラクなのかもしれないね。







この度の台風19号による日本各地での被害状況をネットで知り、心を痛めておりました。

帰国して、改めて被害の甚大さを知りショックを隠しきれません。

お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りすると共に、被害を受けられた方々には心よりお見舞い申し上げます。

一日も早い復興と、被災地の皆様が平穏な日々を取り戻せるよう、心よりお祈り申し上げます。







どうもどうも。


ぼくは、けっこうハードな「生きづらさマニア」であり「幸福マニア」なんだけど、それに関して最近ブームになってることがあって。


「このひと凄いな〜」とか「楽しそうに生きてるな〜」っていうひとを見つけたときに、だいたい「どういう時に、一番幸せを感じますか?」っていう質問を、わりと素でしちゃうのね。
(めんどくせ~奴だなと思われてるだろうな)


みんな優しいから、けっこうちゃんと答えてくれるんだけど、その答えが千差万別で非常におもしろい。


「持ち家で大型犬を2匹飼う」

「仕事終わったあとに従業員みんなで温泉に行くときが一番幸せだ」

みたいな具体的なレベルの話から


「とにかくいいアイデアが出た時」

みたいな抽象的な話や


「歴史に残る作品をつくるという実感に近づいた時」

みたいな壮大な話もあり


みんな、いろんなレベル感の幸福観をもっていて、超面白い。


「趣深ぇわ」と感嘆しつつ、それをおかずに「じゃあ僕は?」と思索をめぐらせる。しあわせについて考えることは最高の娯楽だからね。


で、やっぱりおもうのが、人生みたいなレベル感で語られる「幸せ観」を見出すのはけっこう難しいってことね。


「わたしは何かを成し遂げ、最終的にどんな状況であれば究極的に幸せといえるのだろうか?」

問いがデカい(汗)


こういうのは、とっても壮大なお話で、人生経験を積み重ね、やってきたことの棚卸しや内省をしながら、一生かけて完成させていくものであり、それこそがキャリアの本質である、と尊敬するエドガー・シャイン大先生は言っておる。


そういう、一生かける勢いで追求していく「幸福哲学」みたいなものを「マクロな」幸せ観とすれば、それとは別に、もっと小さな、日常の具体的なシーンレベルでの小さな幸せ、よろこび、好きっていうのがある。



以前、友人たちと「アメリ」というDVDを観たときに、そんなことをぼんやり考えた。


さすが、世界中の内気女子たちの背中を押した名作。


シーンの随所からしあわせになるためのヒントがいっぱいあったのだけど、映画を見終わったひと同士で感想を言いあってたときに、登場人物を説明するときそいつの「好きなこと」「嫌いなこと」を、超細かいレベルで羅列してたの面白かったね〜、って話になって。


ああいうのちょっとやってみたいね、ってことで、日常の中の小さな「好きなもの」をあげつらってみる遊びをしてみた。


こういう、目盛りの細かいミクロレベルでの「スキ」を道端の小銭みたいにいっぱいひろっていく感じはなかなか良くて、けっこう「幸せ上手」なやり口だなとおもった。


日常のあるスナップショットに、ちょっとポジティブな感情が紐付いている。それを「スキ」と改めて認識することで、心の針がよりポジティブに振れやすくなるし、その機会も増えるだろう。


こういう「幸せのスナップショット」的なものを集めて触れることが、じぶんのハピネスについてを考えるきっかけになるから、積極的に重ねてったら最終的にマクロレベルのしあわせ観を体現するのにも近づいていくんだろうね。


あらためて、小さいスキはいい。


背筋がゾクゾクするような強烈なハピネス体験ってのはそうそう訪れるものじゃないからね。それに、強烈な快楽体験はちょっとやっかいだ。


ぼくらが強烈な幸福感を感じているとき、快楽を感じるホルモンであるドパミンが「ドバァー」と出ているんだけど、ドパミンが切れたあとに感じるむなしさがすごいのね。


「快」と「苦」は連続したものだから、強烈な快楽だけを追っかけていくとよくないよって、どこかの偉いお坊さんが言っておった。ありがたや。


というわけで、壮大なハピネス観を探求しつつも、小銭をひろうように小さなスキを集めるっていうことも並行してやっていきたいな、とおもったお話でした。





なるべく小さな幸せと

なるべく小さな不幸せ

なるべくいっぱい集めよう

そんな気持ちわかるでしょう




「♪情熱の薔薇」THE BLUE HEARTS



いい唄やなあ。


このときのヒロトは超絶に尖ってて超屈折していた(サビが最後の1回しかなかったり)、っていうエピソードを後からきいて、そういうのも含めてなお良いわー。いとあはれなり。





おしまい。

そうそう!
明日から20日まで、4月に亡くなった叔母さんの希望であった大好きなバリの海への散骨をメインにバリ島に行ってきます。

叔父もバリの海に眠っているのですが、愛する叔父さんの元に届けてきます。

この間、ペタ等出来ないかもしれませんが、ご了承ください。

猛烈な強さで大型の台風19号が接近しています。

この週末、三連休は大荒れになりそうですが、皆さんくれぐれもお気をつけくださいね。



それじゃ、また。