4月21日 火曜日 幸せになる”心のあり方”


~フトした気づきとキッカケになれば・・・~


教育者 丸山敏雄師の純粋倫理の言葉をヒントに

No. 1264




 ● 短歌のすすめ





短歌の目的とは何でしょうか。









強いて言えば「そこに短歌があるからだ」と


申し上げてもいいかと思います。










それはちょうどニュージーランドの養蜂家であり、


登山家として有名なヒラリーは、

世界の最高峰のエベレストを、

世界で初めて征服したあとの記者会見で、










「あなたはなぜ山に登るのですか」という


記者団の質問に対して答えた、有名な話があります。











それは、「そこに山があるからだ」と。












この言葉はある意味では非常にスナオな言葉です。












そして恐らく彼としては他に言い方が無かったのでありましょう。












これと同じように、


一度短歌(うた)の道に入りました者にとっては、

短歌(うた)はもう無くてはならない、

面白いものだという気がいたします。













道具は要りません、場所も要りません、相手も要りません、


人数が揃わなければということもありません。













ペンとメモ用紙、または携帯電話のメモ帳が


ありさえすれば、

いや、「心のうち」だけで作れるのです。












赤ん坊をおぶっている時も、料理をしている時も、


仕事中の車の中でも電車の中でも、

人との待ち合わせの待たされている時間でも、

所在ない時間にでも、心を向ければ

短歌は出来ます。












短歌(うた)をやっている人には、退屈する時がありません。



時間の無駄がありません。












心配事やイライラする代わりに、歌が出来るなら、


かえってその無駄な時間が生きてきます。










心穏やかな、和やかな有益な時間となります。













旅行される方は、よくカメラを持って行き、


行く先々で写真を撮るのとまったく同じです。











行く先々の見たまま、印象を、写真に撮ったように


そのまま、5・7・5・7・7の31文字に表すのです。











上手だ、下手だ、才能がある無いなどは、


まったく関係ありません。











心のうちを、見たままに、感じたままに


言葉にするだけです。












短歌(うた)は、人間の「表現本能」に基づいており、


その時その場の様子で、よろこびの歌、悲しみの歌、

淋しさの歌、感嘆感動の歌・・・・・













すべて短歌(うた)は、人間の生命の流れであります。













「言葉は神である」と言われるように、


言葉は生命の流れであり、

生命そのものであります。



<しきなみ短歌会 田島壮平著 「短歌入門課程」 p9>









◆ 20日日曜日、那珂川町の”相撲甚句愛好会”の


家族懇親会に、甚句を趣味でやっている友人に誘われて

那珂川町市ノ瀬から山深い渓谷を登りつめたところにある

”松尾山荘”という

地鶏、イノシシ、を焼肉や鍋料理にして食べさせてくれる

ひなびた料理屋に参りました。








市ノ瀬の中之島公園から登り始めます





30余名の見知らぬ方々ばかりでの参加でしたが、

相撲甚句の練習を聞きながら

楽しいひとときを過ごすことが出来ました










◆ 素晴らしい大自然の中でしたので、


ひとり付近を散策していると、短歌が浮かんできました。




下手ながら、純粋倫理を学ぶ者の「心の浄化」と


その実践として、ご披露させて頂きます




シャクナゲの盛りは過ぎていました











渓流の音と鳥の声に静かに聴き惚れていました







● さくら散り青葉若葉の色深く

渓谷登り山荘近し







● 人けない谷あいにある山荘に

咲き乱るるはシャクナゲの花








● 山深き静寂のなか聞ゆるは

鳥の鳴く声谷にこだます








● 那珂川の源流たどる山道は

右に左に渓流の音








● 山荘で友ら集いてかも鍋を

つつき合えるは自然の姿








● 山深き山荘に生ゆ筍(たけのこ)を

おみやげにとぞ茹で上ぐるなり







日々の生活場面のその時、その場に意識を向けた時、


学び、教わることが多いですね。





ありがとうございます

~しろしろジイチャン~





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4月10日 木曜日 幸せになる”心のあり方”


~フトした気づきとキッカケになれば・・・~


教育者 丸山敏雄師の純粋倫理の言葉をヒントに

No. 1263




 ● 捨てて、得るこころ




本当は人間は、モノを得て幸福なのではなくて、

これを捨てた時、幸福である。




いや捨てて何も持たないのが、人の自然であり、

本当の”ありよう”であり、本性である。




かえって持てば、また執着すれば面倒である、

悩まされることが多い。




「持たず」にではなくて、「持つ」がために、

また執着するがために、

命をちぢめ、ついにはこれを失うことにもなる。





人間は無くなるようなものなんか、

持っていないのである。





無くしたように見えるのは、

実は自分の本当の姿に返ったのであり、

ほんとうの自分の真面目に返ったのだから、

それが、ウソのない自分である。





捨てるということは、得ることである。





不純を捨て、不浄な心を去らなければ、

新たなモノを得ることが出来ない。






何も持たない人は、すべてを持った人である。




<丸山敏雄 「永遠の輝き(下) p16」>





◆ 丸山敏雄の短歌に



捨てに捨て 捨ててまた捨て 捨ててこそ 

まことの我は 現わると知れ


がありますが、
今日の言葉を言ったものでしょう





何も持たない心、執着しない心でいることこそ、

新たなモノや自分に変革することが出来るのだと

教えてくれています






◆ 今日は、久しぶりに逢う子どもの時からの

友人に誘われて、

昼間から近くの温泉に行きました。






人は誰もが、お風呂に入る時は、何も持たずに素っ裸です

こんな時こそ、気負うことなく裸で、心からの本当の話が

じっくり出来るのではないでしょうか





◆ 一日、自分都合のすべて捨てて、

文字通り裸の付き合いをすることで、

そんな素晴らしい一日を過ごすことが出来ました



こんな時間こそ至福の時ですね



風呂上がりのランチも、とても美味しかったです


休みも取れないほど多忙な産婦人科の院長を引退して、

やっと今は、自分の時間を大事にしている

中学からの特に親しい友人です




お互いに70年間よく無事に生きて来れたなぁ~と、

5月に開催される中学校の古希同窓会の企画運営のお世話役の相談でした




とても爽やかな日差しと微風の中で、ゆったりとした時間を過ごしました
















日々の生活場面のその時、その場に意識を向けた時、


学び、教わることが多いですね。



ありがとうございます

~しろしろジイチャン~



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4月1日 火曜日 幸せになる”心のあり方”


~フトした気づきとキッカケになれば・・・~


教育者 丸山敏雄師の純粋倫理の言葉をヒントに

No. 1262





 ● 作歌の道 (短歌づくり)




短歌とは、何を歌うのであるか。

「感動」を歌いあげるのである。





形象(けいしょう)に触れて、発動した心の動き

――自然(物)と心の融発、交響、燃焼――



これが筆に託されて絵画となり、

ノミに削られて彫刻となり、

言語に調べ出されて文芸となる。






短歌は、鳴りとよもし、三十一文字に結晶した

物心未分、天人一如の息吹である。





歌の出発は、そのモノ(対象物)を見ることにある。

ただ、ひたすらジッと見ること。





見たままの感動をいかに如実に、

言語に表現するか。





すなわち、感動のまま偽らず、殺さず、粉飾せず、

誇張せず、直写正描する。





これが、歌の道を進むすがたである。


<丸山敏雄 「永遠の輝き(下) p189」>





◆ やっと春がやって参りました

今日の言葉が、生活の浄化は芸術にあり


と丸山敏雄師は教えてくれています




その中から、
「しきなみ短歌会」に入会して、

自分を見つめなおしています。





◆ 気分もいいので、駄作ですがつくってみました



私が見詰めた情景写真もご覧いただけると、

下手な歌も分かりやすくなると思います


退屈しのぎに、遊び半分でご覧いただけると嬉しいです






●対岸の杜(もり)から顔を出す朝日

水面(みなも)いち面春のきらめく





● 大池に朝陽きらめく水面には

鴨の家族の散歩の波紋





● 目の前を我がもの顔で泳ぎ行く

鴨の群れにも春の訪れ





我が家の対岸にある地元の氏神様の「照天神社」の杜
イサナギ・イザナミが祀られています




● 家の前池に遊びし鴨たちに

見る見るうちに子らの増えおり




● 親の行く後に続けと子鴨らは

遅れまいぞと大池渡る







我が家のテラスより







● 鴨の翔ぶ池のほとりに建つ学校

名前の由来も福翔高校



● 学校を囲む桜の古木には

満開の花咲き乱れおり










我が家のぼけの花



● 池に涌く小さな虫の大群を

求めて群れる鳥のさえずり



家の裏の学校の土手にも桜が満開!




● さりげない新緑の葉の生け花も
窓辺にありて日差しに生きる






五木の子守唄に出てくる庭の「さんしゅうの木」です




● 待ちに待つ春の陽ざしの狭庭(さにわ)には

こぼれるごとく花の咲きおり



● 柔らかい春の朝日を浴びながら

色とりどりに花は咲きおり




ショカツソウ(ダイコンの花)

九千部の山懐から庭に移植
たくさん咲きました



ユキヤナギの迫力






手作り花壇には
クリスマスローズをたくさん植えています





日々の生活場面のその時、その場に意識を向けた時、


学び、教わることが多いですね。



ありがとうございます

~しろしろジイチャン~



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