仕事と趣味

テーマ:
6月2日 月曜日 幸せになる”心のあり方”


~フトした気づきとキッカケになれば・・・~


教育者 丸山敏雄師の純粋倫理の言葉をヒントに

No. 1272


● 仕事と趣味





仕事と趣味や娯楽とが別々であって、


その意味をはっきり自覚して、

『楽しみにおぼれないこと』(=それに引きづられ、

のめり込んで、抜き差しならず、

没頭して本職を忘れないこと)というのが、

人の正しい暮らしぶりである。





この意味から、人は豊かな娯楽を持ち、


高い趣味を持ち、おおらかな、明るい、うるおいに満ち、

香り高い生活をしたい。





恩師は私に
『心に空所を持て!』と教えてくれた。



人も一日のうち一度、


自分の仕事とは関係の無い時間を持て・・・

といった意味であろう。



何もない
空(くう)なところというのは、

まるで無関係な別の事をするということである。





心に空所を持つということは、

まるで違った別の世界に住むので、

自分の本業のことが、

自然にハッキリ見えてきて反省される。



自然にわかるのである。





この趣味のある生活により、

心を豊かに高くすることは、


生活に芳香を焚き込み、

味わいを深めることになるのである。






趣味のある生活は、家庭生活を

円満、愛和に
満ち満ちたものに引き上げ、

社会生活を明朗、歓喜にあふれさせる

無上の妙法である。



<丸山敏雄 「青春の倫理」 p44>






◆ 我が家の中で、あえて趣味のある生活とは、

家庭を守ってくれる家内の活け花だと思います。



玄関にはいつも、その季節ごとの花を生けてくれます。



しろGが気がついたときには、このように写真に撮りますが、

気がつかないまま、変わっていることが多いようです。





◆ 家内は、自分の世界で活けているだけで、しろGには

一切声をかけません。



「あり合わせの庭の花でやっているのだから、

ブログには恥ずかしいから載せないように!」と

厳命されていますが、




今回は、趣味のある生活というテーマの丸山敏雄の

言葉に合わせた我が家の実践として、


無断掲載させていただきます。







ブロンズの人形は、宝飾・アクセサリーをディスプレイする50年前のオブジェです


本来の機能は、両手にだ円形のガラス板を抱えているのですが、割れてしまって

手を広げただけのオブジェですが、玄関でのお客様出迎えとして飾ってます

作者はイタリアの彫刻家です

















家内は、いたるところに あり合わせの草花を活けてくれます


3月頃 kayoちゃんに頂いたクリスマスローズの記念撮影です


日々の生活場面のその時、その場に意識を向けた時、

学び、教わることが多いですね。



ありがとうございます

~しろしろジイチャン~



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5月20日 火曜日 幸せになる”心のあり方”


~フトした気づきとキッカケになれば・・・~


教育者 丸山敏雄師の純粋倫理の言葉をヒントに

No. 1271

● 短歌の作り方


短歌は難しいなぁ、
と思っていらっしゃる方も多いでしょうが、

ちょっとしたコツですぐに作れるようになるのですよ!




「短歌による日々の生活の浄化と、個性の発揚」


目標にした全国組織の歌友の集まりの


「しきなみ短歌会」
で勉強して教えてもらってます。



自分で解らないことは、参加してみることだ


と思って実践しています。


全国に約376の支苑があり、毎月一回歌会があっています。



来月は 6月14日(土)10:00 ~ 12:00


福岡市博多区博多駅前4丁目の家庭倫理の会事務所です。



興味のある方は見学にどうぞ、まずは、

一歩を踏み出して、「見る」ことから

何事もすべては始まります。

きっと、いい学びになります。

もちろん無料です、しろしろジイチャンにご連絡下さい。






短歌は永い歴史と伝統に生き続けている日本の文化芸術です。


しきなみ短歌は、春夏秋冬の心情を自然を見つめて詠みます。

歌はわが友である、という心境で、



人生の楽しさ、美しさを五・七・五・七・七の
31文字の音数で調べ出し、


見たまま、感じたままの感動を歌にします。



友人や、家族と愛和し、言葉とは違った感謝の心を

日常生活の上で歌にするのです。





愉しい言葉遊びそのものです。

ノートと鉛筆一本があればいいのですが、

しろしろジイチャンは、携帯電話の「メモ帳」欄を活用して、

携帯電話で、意識して、作っています。

加筆・訂正・推敲がいつでも出来るからです。





下手で良い、下手が良い、気楽な、楽しい短歌づくりです。


  • 家族・友人・恋人など人間関係
    ● 自然の美しさ・厳しさ
  • 自分の思考や精神的な悩みやよろこび


などのようなことが、短歌を詠む切り口となることが多いようです。




◆ さて、18日は中学校の古希を迎える同窓会でした


思いつくまま、情景や心情を、駄作ですが歌(短歌)にしました。



心情が伝われば幸いです。






l同窓会は、まずは小中学校連携モデルとなっている

新設母校の見学から始まりました



校長先生は小中校合わせて一人です

職員室は小中校一緒ですから広いです

1F~2Fが小学生の教室、3F~4Fが中学生の教室


児童生徒数は、昭和36年当時(しろしろジイチャン時代)
と平成26年比べると

小学生 児童数 3,500名 ⇒ 466名
中学生 児童数 1,950名(38学級) ⇒ 206名(9学級)

しろしろジイチャンの時代は10組までありました

驚くほどの減少です



 


●恒例の中学校の同窓会

古希に集いて六十四名も




●卒業後五十六年過ぎたるも

古稀まで続く素直な心






旧 福岡市立舞鶴中学校
(校区:天神・大名・舞鶴・赤坂・すの子・大手門・港町)






●わが母校統廃合の憂き目にも

遭えども残る学校の名




旧 すの子小学校と大名小学校の110年の歴史は終わりました





●時は過ぎ生徒の数の激減に

統廃合の市街地の母校




新 舞鶴小学校・舞鶴中学校 モデル連携校




●学び舎は巨大な校舎に変貌す

母校は小中連携校




階段には 舞鶴中学校の歴史が年代ごとに刻まれています




1Fには 授業が終わっても、すぐに自宅に帰れない子どもたち用の広場があります




小学校・中学校共有の運動場は、一般ビルの3Fの高さに広がっています






<校長先生からの説明授業が終わり、

海ノ中道ホテルのバス2台で会場移動しました>




博多湾と玄界灘を分ける海の中道のリゾートホテル7Fで

同窓会はありました





●遠くより故郷に来る友思い

海のリゾートホテルに集う




●幼き日友らと遊びし博多湾

古稀を迎えてまた蘇り





●眼前に一望開ける博多湾

望む景色に幼き思い出




●歳取るとお洒落な会でありたいと

同窓会もイタリア料理


最上階のレストランが懇親会会場でした






●語り合う同窓生の会話には

皆も加わり話しは尽きず




●出る話題これまで生きた有り様を

われ先語る古稀同窓会



最前列右から3人目の白のTシャツに赤柄模様がわが関取(席取り)です






日々の生活場面のその時、その場に意識を向けた時、

学び、教わることが多いですね。



ありがとうございます

~しろしろジイチャン~



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5月9日 金曜日 幸せになる”心のあり方”


~フトした気づきとキッカケになれば・・・~


教育者 丸山敏雄師の純粋倫理の言葉をヒントに

No. 1270


● 二宮金次郎(尊徳)から学ぶ  第七話



二宮尊徳の道歌(みちうた、どうか)




偉人たちの言葉は生きる勇気と力と知恵を与えてくれます



道歌について


道を教える道歌とは、随分古い時代からあった。

最初から道歌として作ったものと、普通の短歌を道歌として借用する場合がある。
借用する場合文句が変化することもある。

短歌は日本人の口調に適し、暗誦しやすいので親しまれた。
道歌そのものは以前から作られていたが、
室町時代につくられた運歩色葉集という写本に道歌という字があったという。

[1]
江戸時代の心学者が盛んに道歌を作った。
その後道歌が盛んになった。

(ウィキペディアより)




※ 5・7・5・7・7の調子の言葉数で詠んでください
何度か繰り返していくうちに、歌の意味がだんだん解かってきます
「心の実践」です



● 父母(ちちはは)も その父母も 我身(わがみ)なり

 
われを愛せよ 我を敬(けい)せよ


意味:父母や祖父母や先祖代々の心は、皆我が身に集まっている。
なぜならば、およそ天下の父母という父母で、我が子の死を喜ぶ者はない。
我が身をもって我が子の死に代わろうと
願うのが父母の心なのだ。

そうであれば、父母の心は我が身のうちにあるわけではないか。
だから人の子たるものは、よろしく我が身を愛し、わが体を敬って父母の心を奉ずるべきではないか。




● かわいくば二つ叱って三つ褒め 


五つ教えてよき人にせよ


意味: 教育に関する至言。 
「叱ること」が罪悪のように言われる中で、また「叱ること」に対して恐怖感さえ持つ親、指導者にとって、この道歌は、安らぎを与えるものではないでしょうか。




●  
この秋は 雨か嵐か 知らねども 

今日の勤めに 田草取るな
り 


意味: 今年の秋は、雨や嵐で被害を受けるかも知れない。
しかし、ただひたすらに、今日出来る雑草取り(仕事)をするだけである。




●  丹精(たんせい)は 誰知らずとも 自(おの)ずから 

秋の実(みの)りの まさる数々 



意味:  丹精込めて育てると、誰が見ていなくても作物は正直で自然と豊かな実りが得られる。




·  
身を捨てて ここを先途(せんど)と 勤むれば 

月日の数も 知らで年(とし)経(へ)ん 


意味: 身を捨てて、ここが運命だと励めば、月日の経つのも忘れてしまうものだ。




尊徳先生たちの生きざまから、今の自分の姿勢を正して、生きたいと思います。


● 何事も事足り過ぎて事足らず 

徳に報(むく)ゆる道の見えねば

意味:人は現在の生活環境が全て当然だと考えて、
「まだ不足だ」「まだ不満だ」と訴える。
しかし、天地、社会、親等に対して恩を感じても、徳を知り尊敬する人はなかなかいない。

色々なことがあっても、現在無事に生きて生活していることを今の自分として尊重し、それを基礎としてわきまえた生活を計画し営んでいけるのであれば必ず今以上の生活が送れるようになる。
という普段忘れがちになりそうなことを強調したうたである。


● 何事もおのがあゆみに異ならず 

右進めば左とどまる

意味:すべての現象は、長短・大小・遅早の差はあっても、1つのものが永続していることはなく歩行という動作でも、左足右足と交互に動かしている。

今の時代は、社会や国家や隣人よりもまず自分が生きることを優先してしまいがちだが、家族・隣人・社会・国家・世界

があってこそ個人があることを忘れてはならない。


● 己(おの)が身をうち捨ててみよそのあとは

一つのほかにあるものはなし


意味:自分と他者は対立するものではない。

自分と他者は、融合し、ひとつになるものである。

ただし、そのためには、「私心」が強すぎてはよくない。
 「自分が、自分が」と、自己の欲望が、先立ってはいけない。


● 火の車造る大工はなければも

おのが造りておのが乗り行く

意味: この道歌の意味は、世の中の人は、よく火の車ということを言いますが、さて、その火の車というものは、果たしていかなるものなのでしょうか? 
世の中に火の車など造る大工などいないのに、一体誰が造ったのでしょうか? 
それは、怠けてばかりいる者が、自らの手でいつしか火の車を造っているというわけなのです。


● 道徳なき経済は罪悪であり、

経済なき道徳は寝言である


この格言は彼の言葉と伝えられている。
明治時代に作られた可能性があるが、西洋を見聞し、日本の近代化のための殖産興業を訴えた渋沢栄一の「論語と算盤(そろばん)」の著書と同じ思想である。

次郎は、「行動にこだわる実践家」であり、

「徹底的な現場主義者」でありましたので、

彼なら言いそうです。


<参照 : 現代版 報徳全書 『解説 二宮先生道歌選』他より>




日々の生活場面のその時、その場に意識を向けた時、


学び、教わることが多いですね。



ありがとうございます

~しろしろジイチャン~



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