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9./5から9/6は先週から続いて2週連続となる東京遠征を敢行。非常に楽しい思い出となる二日となった。

詳しくはシーザーブログの「ちゃらんぽらんとは言えない楽屋裏」という日記サイトに記載したので、リンク張っておく。


9/5は六本木で舞台「転校生」を観る

9/6は黒フェス参戦 あまりに楽しすぎるイベント


転校生については、本ブログで感想記事(「舞台 転校生」を観ての感想というより妄想) も書いている

黒フェスは非常に楽しいイベントだったというステキな思い出だ。来年は平日だけど、またやって欲しいな、きっと参戦したいという思いしかない。
8月最後の週末はAEイベントのために千葉市 の幕張メッセへ遠征した。
これよりほぼ一ヶ月毎週末は遠征続きの日々が始まる。

その記事については、シーザーブログのちゃらんぽらんとは言えない楽屋裏にアップ

8/29 AEイベのために幕張メッセへ

会員番号が若いので良い席を期待しすぎていた反動も強かったのは否めないが、イベントしてはとても楽しいファンクラブらしい緩いイベントで楽しめた
「舞台 転校生」千穐楽前日(2015/09/05)のマチソワで観た2回が観劇の全てである。しかも昼間の部は正直多賀麻美さんと伊藤沙莉さん等幕が上がるの面々ばかり注目していたので、全体の中身が最後までいまいち入ってこなかったと言う失態だった

で、パンフレットも一応目を通して、また登場人物たちの名字ではなく、名前に注目して、2回目に挑むことにして、到達したのが....

このワシの勝手に思いついた適当な感想、いや妄想を簡単にまとめると、以下の2つ。
その1 異世界の高校で同じ日を繰り返している世界を救う転校生説
その2 どんなwhyよりも大事な現実を取り戻せ転校生説

もう勝手に思い至った単なる物凄い妄想なので、取り扱い要注意のおつもりで。


まずは妄想その1

役者で現役JKが転校生役の子だけだというメタ的な事実から、「転校生」舞台の富士ヶ丘高校は実は異世界(幕が上がるとは明らかに別世界だ)。
実は延々と毎日同じ事を繰り返すだけのSF的な次元の狭間の世界なのではないかという妄想をした。
つまり過去に迷い込んだ高校生たちが知らぬうちに肉体的な歳だけは取ってしまった世界というわけなのだ。

そこに新参の現役JKの転校生が迷い込んだのではないか?

だからこそ転校生の大西さんは朝起きたら知らないうちにこの学校の生徒になっていたという理解に苦しむ事を言うしか無かったのだろう。
そうしてイレギュラーの転校生を迎え、予定調和の崩れた異次元世界の高校では、これまた繰り返した毎日と違って、生徒間が活発に話をする日常に変質していた。

そこで交わされる会話は、溝口先生の赤ちゃん、生物の実験解剖、自殺など暗い死の話が多い世界の高校生の話など。
生と死が絡んだ話や「どうして」というより何故のwhyの話が多く、なんともあの教室世界が異次元世界だけに不安定な世界という演出をしているように見える。

そもそも転校生が来る前は、いくら意識がないとは言え、繰り返される毎日の前に無意識に刺激は失われ、おそらくこのような活発な会話が行われることもなかったのだろう。だから実際には教室は今回のようではなく、まるで死の臭いがするような暗さだったのかもしれない。

しかし転校生は、なぜか自席に座ることもできない不安な立ち位置のままながらも、教室の皆の話に興味津々だった。
不可思議な転校という状況に負けることもなく、whyに束縛されすぎることもなく、理不尽なwhyにも押しつぶされてしまうこともなかった。
つねに前向きにこの学校にいたいと考え続けていた。まさにこれこそが不安定な世界からの脱却とつながっていく流れだったのだ。

最後には何よりも大事なこと、現実の居場所を取り戻そうとした。転校生がこの異次元世界の学校へやってきたのにも何か負の理由があったのかもしれない。
だが、劇中ずっと立ちっぱなしだった転校生も、最後はなぜか最初から自分のために用意されていた自席に自然に座ることが出来たのだ。
それはこの不安な世界に腰を落ち着けるというよりも、安定した世界、現実への回帰。
それでいて、転校生の影響を受けて前向きの考えを取り戻したもう一人のキーパーソン小百合というこれから転校する子も、待望の明日を見据えることが出来たのだろう。
この小百合と転校生の大西さんとが手をつないだのが、繰り返される後向きの負の異世界からの脱却を意味しており、この世界には必ず明日が来る、何が起こるかわからない明日が。という感動的なシーンになっているのだ。

と自分で書いておきながら妄想が過ぎる。
それに21年前は全キャスト現役だったので虚偽で有安という物凄い妄想1になりそうだw



よってマイルドな妄想2を考える。

転校生は自分の存在そのものがwhy、赤ちゃんや自殺高校生など作中の様々なwhy、世の中にはわからないこともあまりにも多すぎる
だからなぜか誰にも気づかれないまま存在する自分の席にも座ることも出来ない。

しかしそれでも最後になって、実在することを確認するかのように自席にすわった転校生は、これから旅立つ転校生となる小百合と手をつなぐ。
まさに現実の握手。そうwhyなんて二の次だ。明日への不安なんて二の次でいいのだ。
今存在する現実こそが全てじゃないか。大西さんは現実を取り戻し、明日への希望を見出すことに成功した。おめでとうと言わんばかりの感動のフィナーレ。



どちらにしても妄想だ。少なくともしばらくは観れないので妄想を抜け出すのは難しい


(以下、2015/09/15追記)
本公演は「幕が上がる」と共通して富士ヶ丘高校という設定になっている。そもそも後向きの演技も見れるようにカメラが配置され、両サイドの大型モニタで映像を確認の出来るのだが、そのモニタを使って富士ヶ丘高校の様子も流れ、そもそも生物教師だった演劇部顧問(この「転校生」世界では不明)の溝口先生についても赤ちゃんが出来たというところで出てくる。吉岡先生も名前が出てくる。

ハッキリ言って、この富士ヶ丘高校という設定は、マチネの1回目の観劇の際はとても嬉しい演出に映った。それは演劇部員の高田(伊藤沙莉)についてそうだ。

しかし今思えば、ちょっとノイズ気味にも思えてしまっている。集中する点が分散してしまうことにより、ただでさえ難解なのに、いっそう本公演の意味するところをぼかす役割を果たしてしまっているように思えるからだ。2回観させるという効果はあるのかもしれないが。。。




参考までに
ちなみに舞台版「幕が上がる」の感想記事はこちら
静岡県で開催されたももクロ桃神祭2015の遠征記事を3回に渡って、シーザーブログのちゃらんぽらんとはいえない楽屋裏にアップした。

7/31の記事
8/1の記事
8/2の記事

ライブが行われたのは最初の2回分の記事で2days分を記載している。3回目の記事は後日の浜松、袋井あたりの聖地巡りの記事となる。
8/15は実家の福岡にて、両親と姉夫婦とジュラシックワールドを観に行った。
期待度が大きかったせいか、そこまで絶賛できない内容に、辛口なコメントを残してしまった。しかし前作をちゃんと覚えていればこの評価はどう覆ったのだろうか? アップしたのか? ダウンしたのか? 全体的には冷静にコメントしたのが以下の感想。なおKINENOTE にも記載している。今年観る10本目の映画だ。


主役のキメラのように掛け合わせたティラノサウルスはもちろん、オオカミのように飼い慣らしたヴェロキラプトルの活躍やプテラノドンなどの翼竜、超大型海生は虫類のモササウルスなどにはさすがの迫力を感じさせた。

ただシリーズものの宿命だろうか、20年前に観た設定もしっかりしている前作の楽しかった印象のみが残っている状態だったからか、どうにも新鮮味を感じる点がほとんどなかった。ちゃんと予習していれば楽しい点も多く見つかったに違いないだけにもったいないことをしたとも言える。

決して残忍性を求めているわけではないが、主人公達のリアリティに欠ける安全性も臨場感をそいでしまうのも難点。パニックものとしても中途半端に終わってしまった感がある。

ラストについても納得しがたい。妙に物わかりがいいものだと考えてしまうのは大人の悪いクセなのだろうか?

また3Dを優先したがゆえに、字幕ではなく上手いとは言いがたい吹き替えで観てしまったのもマイナスになってしまったのも付け加えておく。

期待が大きかっただけに多少拍子抜けしたということで、万人受けする楽しくわかりやすい映画であることは間違い無いだろう。
8/10は「進撃の巨人」との映画ダブルヘッダーだったが、前者がガッカリ作だったのに比べ、本作は拍手したくなるような出来映えだった。素晴らしい。

KINENOTE にも登録した感想を以下に記す。


主に知識としては知っている史実の流れなけど、まさに特に後半は怒濤の流れで、放送局でのやりとりなどは奇跡的なやりとりではないか。

俳優陣の演技力が鬼気迫る如し。
特に本木雅弘の昭和帝の難しい役とか圧巻だったし、当時の陸軍を思わない限りは狂人にしか見えないほどの純粋だからこその松坂桃李の演技、したたかな鈴木貫太郎を演じた山崎努、もちろんもっとも顔を使い分ける役割を果たした阿南惟幾の役所広司などなど。

これが間違い無い事実だと鵜呑みにせずあくまで事実を元にした小説ということさえ頭の片隅に入れることができさえすれば、美事な映画というしかない。
8/10に進撃の巨人を映画館で観てきた。
とても残念な出来だったというしかなかったというのが率直なところ。

以下KINENOTE にも投稿した感想を貼り付けておく

全体を乱暴に評すれば、想像を絶する酷さというしかないのが観た直後というか観ている間、特に後半の壁外調査以降の率直な感想だった。

ストーリーが原作と全然違うといった改変については展開が読めないと言う意味で全く問題なく楽しめる点でもあったが、そのオリジナル展開がどうにも設定も理解してないような展開だったのは伏線なのだろうか? すでに後編見るのが辛い状況となっているわけだが。。。

一方で特撮については素晴らしかった。しかし特撮というか進撃する巨人だけを撮りたかったんだろうな。と思うしかない構成だった。
だからこそなのだろうが、人間描写不足に、説明不足。そのせいだろうが、そもそも進撃の巨人の設定を理解しているのか疑問すら感じてしまったからどうにも不愉快になってしまうという悪循環。なぜ20分長くして110分にしてでも丁寧に作らなかったのだろうか! って、その答えは先述したとおり、ただただ進撃する巨人を連続で描き続けたかったからか? それにより途中の説明を含めた人間模様は蛇足として切り捨てられたということかものかもしれないが。
18世紀末にナポレオンに屈してしまって滅んだヴェネツィア共和国の最期を描く。史上もっとも長く続いた共和国、その長さは1000年をも超える海の都の物語の最終巻を読み終わった。


海の都の物語6巻を読む


このシリーズを通じて、魔女裁判とか何かと暗いイメージしか無い中世欧州に、このような近代的な考えを先取りした国家が存在しようとは。恥ずかしながら知らなかっただけに、大変知識欲を満たせたシリーズだった。
古代ローマ人に対してもそうだが、この近世まで生きていたヴェネツィア人は、今はいったいどこへ行ってしまったのだろうか。
もう12年前の作品になるのだが、書店でたまたま積まれて目についたので購入していた探偵小説を読んだ。
正直暗黙の了解を覆されるような驚きだった。

そのネタバレ無し感想記事を
探偵小説読書記録:葉桜の季節に君を想うということ/歌野晶午/文春文庫
に書いた。
探偵小説好きにもそうでない人にもお勧めしたい。小説ならではの驚きが待っているのは保証する。