ハロウィンの飾りがあちこちの家に飾られ、こちらはすっかり涼しくなりました。これ(下書き)を書いてる今日の最高気温は12℃だったので、東京なら冬ですね。
さて、初海外のアイオワでの思い出を綴っているうちに、日本では自民党の総裁が高市氏に決まり、公明党が連立を離脱、代わって維新が連立に加わりそうな雲行きに。政策で連携できるかどうか議論するのはいいことだと思いますが、国民民主も維新も自民の方ばかりにすり寄っていて立憲民主と組む方向には初めから全然消極的だった印象を受けるのは私だけ?自民と維新の連立じゃあまり変わり映えしなさそう。というか高市氏がかなり保守的なので公明との連立より保守的になるかも。ここ2回ほどの選挙でノーをつきつけられたはずの自民党の金権体質肯定(推進?)派が力を盛り返しそうですね。
それはおいといて、今日は地下鉄新線のお話です。日本では概ね鉄道の新線建設、延伸などは地元の悲願。新幹線など駅間が長い高速鉄道では県内を通るのに受益が少ない、(より乗降客を見込める)隣県ばかりが得をする、などの理由で計画の足を引っ張る困った動きをする自治体も見られますが、都市圏の地下鉄などは沿線地域の反対は大きくないようです。地下鉄が通れば住民にとっては自宅の利便性が大きく向上。駅周辺は人の往来が多くなり、小売店、飲食店など商業活動も活発化、周辺の地価(所有不動産の価値)も上がるのでメリットはおおきいですよね。
ところがーー米国、特に北東部では20世紀前半までに建設された一部大都市の地下鉄網以来、新線建設は低調でした。人口密度は十分あるし、道路はめちゃめちゃ渋滞してるのになぜ新線建設、延伸の機運が盛り上がらない?都市計画の観点なんて取り上げなくても全然理解不能。で、社会学者の友人に疑問をぶつけてみました。米国の大都市ではなぜ地下鉄が新設・延伸されない?それでわかってきたのは、地下鉄延伸に反対する住民が多過ぎること。住民の反対の声が大きければ当然税金の投入は憚られ、資金不足で計画は頓挫するわけですが、いったいなぜ受益者であるはずの住民が反対?
原因には米国の根深いレイシズムが深くかかわっていました。建前の反対理由は環境とか時価高騰は必要ないとかいろいろあるのですが、どうやら本音は地下鉄駅ができると「芳しくない人たち」がその街へ多く訪れるようになるーーそして大都市中心部から少しはずれた「私たちのきれいな街」の雰囲気が壊される、街がよごれる、治安が悪くなる、ということのようです。でこの「芳しくない人たち」って?そうです。お察しのとおり、有色人種。
一部の白人に「有色人種→低教育水準→低所得者→高犯罪率」という構図ができあがっているのです。米国では珍しくないよくあるレイシズム。そして雑多な見かけの人たちで街が賑わうことに対する嫌悪感。都市圏ではレイシズムに凝り固まった人たちは相対的に少ないのですが、こういった公共プロジェクトは(いいか悪いかは別にして)推進するより阻止するほうが簡単なため、少数派でもプロジェクトをブロックできてしまうようです。近年完成した新線・延伸区間は若年層の流入などで圧倒的多数の住民が賛成するようになってやっと動き出したという印象です。
ちなみに私の住む都市圏での地下鉄の新線・延伸プロジェクトはここ40年間で一つだけ。完成は数年前ですが、構想から営業開始まで100年かかっています。わずか数㎞の地下鉄延伸なのに。とりあえず次の計画はないので今世紀唯一になるかもしれません。完成した地下鉄の延伸部分はすでに大繁盛してます。もっと早くできていればよかったのに。ほかにも延伸すべきエリアはあるのですがそちらは全く動きはありません。
レイシズムと似ていますが、日本でも一部の外国人居住者による犯罪、一部の外国人観光客の非常識なマナーがその国出身者全員あるいは外国人全てへの評価となり風当たりが強くなる傾向が強まっています。「外国人の投機目的マンション購入が多すぎるから外国人の購入を制限する」のではなく、「投機目的の購入を購入者の国籍にかかわらず制限すべき」では?「中国人観光客が奈良の鹿に暴力をふるうから中国人観光客を取り締まる」のではなく「奈良の鹿への暴力は国籍にかかわらず取り締まるべき」では? 一律に外国人を批判するのではなく、外国人にもものすごくいろいろな人がいる、ということを常に念頭においてほしいなと思います。マイノリティとしてこちらで暮らしている身としては日本人のマイノリティに対する感情にも関心をもたざるを得ないのです。