LGBTQ の世界では Binary、 Non-binary、といった言い方が頻繁にでてきます。文字通り Binaryは物事が二者択一であるであること、 Non-binaryはそうでない場合を指します。LGBTQ関連ではノンバイナリーという言葉は性自認について、特に性自認が男性でも女性でもない場合を指して使われている場合がほとんどのようですが、私はその(どちらでもないという)考え方は性的指向にも当てはまると思っています。
それはさておき――私も性自認というのはバイナリーで割り切れるものではないと考えています。つまりいろいろなケースがあって、例えばトランスジェンダーとシスジェンダー、あるいはMTXとMTFの間の線引きなどは微妙なんじゃないかなって。つまりシスとトランスの間という人たちが大勢いても全く構わない、トランス当事者かそうでないかがはっきりしていない人がいても全くOK、ということですね。そしてそういう人達の多くがノンバイナリーやクエスチョニング、クィアと自認している、あるいは呼ばれているんじゃないかと思っています。
性自認が女性か男性か、あるいは女性と男性の間のどこか、というのは性自認を一つの軸として見ると分かり易いと思います。一方の端が女性、そしてもう一方の端が男性。もしあなたの性自認が女性だったら女性側の端があなたの性自認の位置。男性の場合は男性側の端。これだけたっだらバイナリーの考え方だけで済みます。
図にしてみました。いわゆる性自認のスペクトラムという考え方ですね。
男性でも女性でもない、あるいはその間、という人がいたらそれは軸の上のどこかになります。男性側に近い人もいれば女性側に近い人もいる。この軸上どこかピンポイントで性自認をできる人だけでなく、軸上を動く性自認の流動的な人もいれば、場所をピンポイントできずふわっとこの辺、という人もいると私は考えています。
あなたの性自認が軸上どこにあってもOK、動いててもOK、幅広くカバーしててもOK、てことですね。
私たちの社会は今まで性自認をバイナリーで解釈してきました。でも性自認が軸上のどこにあっても障害ではない、悪いことではない、という認識を持てる人が多くなれば、ノンバイナリーであると自認する人はもっと増えてくるかもしれません。私は実は純粋なバイナリーの人は多数派であることに変わりはなくても圧倒的ではないかもしれない、と思っています。社会全体が性自認はスペクトラムである、ノンバイナリーである、という考え方にもっとオープンになっていったらいいな、と思っています。


