「好き、嫌い」がやたらと激しい性格の人がいて、結構な人数をブロックしてる。そういう人は、実生活でも将来的に損するだろ。
敵を作りやすいし、周囲に気を遣わせる羽目になる。仲間がだんだん離れていく。
人生における人との繋がりの中で、損することに気づけないのか。
苦手な人や、そりが合わない人でも、挨拶くらいの関係で当たり障りなくいれば、波風立てずにすむのに。
ふと、そんなことを感じたのであった。
これは子どもの頃から強く感じていたことだ。診断を受ける前、言語化できない段階でも、モヤモヤとしたコミュニケーション上のつまづきが多かった。
何で同級生と仲良くなれないのだろうか?
みんなができることが、自分には出来ないのかな?
人と違う何かがあるけど、何でこんな目にあわないといけないのか?
発達障害当事者として、講演活動を始める前、当時の振り返りをするため、学生時代の先生たちに連絡を取って聞き取りをした。特に印象的なのが、
"年齢の近い男子とのコミュニケーションが苦手なのは、何故だろうか?"と、小学5年・6年時の担任は感じていたらしい。
同級生とのコミュニケーションがうまくいくようになったのは、中学進学後から。キーパーソンになる同級生が複数人いて、何とか同級生の輪に入ることができた。
しかし、自分は明らかに変人。変わり者。疎外感や違和感、孤独感が消えることはなかった。
今も引きずっている問題だ。
表面的には人とのコミュニケーションができるようになったけれども、根本的には苦手なのだ。
マイノリティ関係のことに取り組み、気づいたことがいくつかある。
その中で、「孤独死リスク」について考える機会があった。
都市部のようなゲゼルシャフトな社会において、孤独死のリスクが上がってしまうのは、やむを得ないことなのか。地域コミュニティとのつながりの薄い多くの住民が住む地域では特に・・・。これも経済原理だろう。
閉鎖的な地方で生きにくさを感じたマイノリティが、都会に自由を求めて吸い寄せられる。
そうなると、孤独死のリスクが高まる。
ここで断言できる。
独身者やLGBT当事者、発達障害当事者、DV被害者など、さまざまな理由で都会に流入して、地域社会や親戚などとの繋がりが希薄化した人達が、あと10~20年もすれば中高年層になり、孤独死のハイリスク群となる。
社会保障や人権、格差問題、地域コミュニティ再生の問題、高齢社会などの問題について、もっと本腰を入れて対策を打つべきだと思う。
「孤独死の時代」は、確実に迫っているのだから。
いや、もう突入しているのかもしれない。
安倍政権が長期政権となり、ほころびがたくさん出てきている。
改造内閣が組閣されて短期間で、相次いで大臣が辞めている。
でも、現時点で政権交代可能な状況は見いだせない。
立憲民主党が結党され、先の衆院選ではそれなりに期待を集めたが、今年の参院選ではれいわ新撰組に票を食われるなどして、やや失速。野党第一党の支持率が10%に満たないのは残念。旧民主党・民進党勢力の再結集がはかられるも、バラバラ感は否めない。
現実的な対案を出し、穏健保守から社民リベラル左派までを基盤とする、大きな野党勢力が結集しないと難しいだろうな。
自民党一強を許しているのは、弱体化した野党に問題がある。国民民主党内は特に、保守派を抱えているので、共産党との協力にアレルギーがあり、野党統一候補を衆院選でどこまでまとめきれるか・・・。
55年体制の時と大差がなくなってきた。民主党政権の失敗が引きずっているね。
ドイツ社民党やイギリス労働党、カナダ自由党、スペイン社会労働党など、現実的で中道志向の大きな塊がないと、バランスが悪いのではないか。政権担当能力のある、穏健な中道左派政党が日本にないのが残念。
中道右派の自民党と、中道左派の野党が競り合って、政治状況が良くなると思うのだ。