今日、仕事中に直属の上司から声をかけられた。

「〇〇さんから聞いたんだけど、ロッカールームの鍵を靴のなかに入れてるんだって?

ほかの人の分かる場所だと盗難に遭うから持ち帰ったほうが良いよ」


との指摘だった。


私はその瞬間、すごく嫌な気持ちになった。


同僚から上司に密告された怒り、


上司に私の杜撰な管理がバレた恥ずかしさ、


「鍵を靴のなかに置くのは仕事休みの日だけなので、ロッカーに貴重品も無いし大丈夫です…」と自己弁明したくなる自分の未熟さ…


自分のメンツを潰された事に対する異常な程の感情の揺らぎ。


これこそ、「自分スゴイ」だなぁと思った。


上司や同僚の前では良い顔して、「私仕事ちゃんと出来ますから!」と主張していて、

現実の私は、鍵の管理がズボラ。雑。


それが他の人にバレてないと思っている時点で愚かだ。バカだ。


そして上司に告げ口した同僚に対しての怒りも、「上司からの私の評価を下げやがって!」というメンツを潰された怒りだ。


(そもそもそんなに評価されてないよ、私。

期待されてないから。)


同僚に罪は無い。


聞くと、ロッカーでの盗難被害が過去にもあるらしい。


同僚は、直接私に言うと差し障りがあるから上司に伝えてくれたんだろう。


…冷静になると、「鍵の管理はちゃんとしてね〜」という忠告を受けた。


ただそれだけのこと。


それを大事のように自分の中で騒いで、恥じて、怒って。


どれだけ自分を良く見せたいと望んでいるのか…と自分が恥ずかしくなった。


私は元々、雑な人間なんだ。


それが周りにはバレているんだから、今更なんだよなぁ。


私の現実の姿を、ちゃんと見よう。

理想を手放そう。

かよさんのブログ拝見しました。

この方と私は似ているなぁ…と思いながら、ずっと読んでいました。


私も夫をポンコツにさせていました。

夫には、妻である私が世話を焼く存在であって欲しい

=出来ない夫であって欲しい


そういう根っこの感情を見て見ぬふりをして、夫の世話を焼いていました。


だから夫も依存していた。


私達夫婦のことを書いているように感じました。


夫婦の対話が出来た相談者さん、すごい勇気ですね。

とても強いなぁと思います。


自分に向き合う強さと夫に伝える勇気、私も見習いたいです。


私も日々振り積もる塵を払いながら、生きていきます。


かよさん、相談者さん、貴重なエピソードを共有くださり、ありがとうございました。

なぜ私は否定されるのが怖いのか?

自分自身を拒絶されたように感じるから

相手からの拒絶=私は生きていられない、という絶望、空虚感

相手の評価に依存している証拠

私は相手に依存しているから、否定されるのが怖い。



幼少期、何を言っても父母には伝わらなかった。

私の言葉が届かなかった。


父は私の話を聞いても顔色一つ変えずに見当違いな返答をした。もしくは黙っていた。


母は私が話そうとすると「私のほうが大変だったのよ。」と被せてきた。


最後まで黙って話を聞いてくれることはなかったし、思いを汲み取ってくれる事も無かった。


私はそれが悲しくて悔しかった。


喉から手が出るほど、傾聴を求めていた。

共感して欲しかった。


その気持ちは父母に伝わる事は無かった。


もどかしさ、絶望、悲しみ、無力感は、怒りに変わった。


父や母を愛していた。大好きだった。

だから私を見て欲しかった。気持ちを共有したかった。


でも父母は私を見なかった。

私のスペックだけで関わりを保っていた。


スペックなんて関係なく、私を見て欲しかった。


私は自分の父母に対する真っ直ぐな愛情を憎んだ。

愛さなければ、傷付かない。


見返りを求めていた。だから苦しかった。


ただ愛するという事が、子供の私には出来なかった。


父と母なりのデコボコな愛情を受け取らなかった。


「私の望んだ通りに愛してくれないなら、愛してあげないから!」


愛情を出し惜しみするようになった。


愛情に値札をつけて、トレードするようになった。


私は、無償の愛を捨てた。

価値のないものだと、不要だと判断した。

傷付くだけの愛情なんて、私には必要ない。


そうやって、父と母を否定して生きてきた。


確かに父母は、私を愛していた。


それに、私は気付いていた…?


なのに、拗らせていた私は、否定した。

否定しながら、求めていた。


理想が高いから、受け取れなかった。


だから今も、受け取れない…


否定されるのが怖い=自分の理想通りの反応が返ってこない事に対する不満と怒り