かよさん、コメントありがとうございます。


小学生時代にそんな出来事があってショックを受けない人はいませんよ。


「ショックだった」「辛かった」

と思っても、良かったんですね。


「相手を怒らせる私が悪い」

「嫌がらせさせてしまう私が悪い」

と自責してしまう気持ちがあったので…



>でも、そのあとのことが大事で、それを親に言って「それはつらかったね、、うちの子になんてことをするんだ!!」という態度を見て、守られていると感じ、その出来事から立ち直れるんですよ。


それを親に言うという選択肢は、私にはありませんでした。

何故なら、父も母も子どもの感情を受け止められるだけ成熟していなかったし、心の余裕が無かったから。


母はいつも、不満と怒りで膨れ上がった風船のようでした。

私が学校から帰宅すると、

「お父さんはお酒と煙草ばっかり!」

「お祖母ちゃんにまた意地悪された!」

「向かいの奥さんが煩くて…本当に腹が立つ!」


いつも愚痴の嵐でした。

私は相槌を打ちながら、母の憤懣が収まるのを待つしかありませんでした。


私が学校の出来事を話す機会は与えられるはずもなく。

勇気を出して、母に学校で起こったことを話そうとすると、母はまるで蚊が耳元を通り過ぎたように顔をしかめ、

「…それでね、」

と何事も無かったように愚痴を再開するんです。


私の話は無かった事にされる。


父に話しても、

「おーおー、そうか。」

と言われるだけで、逃げていってしまう。


おそらく父は共感力が無かったので…


本当は、母や父に私の話をちゃんと聞いてほしかった。

「それは辛かったね」と共感して欲しかった。


でも、私の両親は共感力を持ち合わせていなかったし、自分の感情を自分で処理する事が出来ない未熟な存在だったんだと思います。



出来事そのものより、そのあとの親の態度が大事ですね。

これは、私自身も息子たちに出来ていないと思います。

自分の感情が未処理だから、息子や娘に感情をぶつけられた時に受け止められない。


きっと、私の母が私にしていたように、無かった事にしてしまっているか、

父のように相槌を打って逃げている…


私は最悪です。

自分が母にされて嫌だった事を、子どもたちにしてしまっている。


そんな自分に無自覚でしたが、今、痛いほどに自覚しました…


被害者だった私が、加害者側に回っている。

↑かよさんのブログを読みました。

相談者さんが、
>やられた時に孤独を感じる

と書いていますが、分かる気がします。

私は高校時代に、軽いイジメ(男子によく嘲笑されていた)を受けていました。

当時、クラスの男子数名のうちで流行っていたのは、「好きでも無い女子に罰ゲームで告白する」というもの。

私も男子に呼び出されて告白され、罰ゲームの存在を知らずに困惑して断りました。

後で他の男子が嘲笑って来たので、嫌がらせだと気付きました…
ショックでした。

私は「嫌がらせされた惨めな私」にフォーカスして、「他のクラスメイトにも同じように嫌われているのかな…」
「みんな、私を嘲笑っているだろう。」
と、猜疑心に駆られました。

特定の人からの嫌がらせを、その人個人の問題だと思わず、「私が嫌がらせを受けるだけの問題を持っているからだ」と思い込んでいました。

私が元々持っている潜在的な不安と恐怖
=私は皆から嫌われるような出来損ないである
という信仰。

自分の中で揺るぎない自己無価値感があるから、全ての出来事を、信仰に結びつけて考える
=ストーリーを生成する
癖があったんですね。

何故かというと、
母からいつも叱責されていたから。
全ての行動を監視され、目くじらを立てられ、小言を言われる。
私は行動するのが怖くなった。母の目から逃れられない。
「私が何かすると批判される」
という恐怖。
だから動けない。
相手の目を気にして、相手の出方を伺うしかない。

かよさんの言う
>頭の中に攻撃された私しかしない
>自分から見た視点しか育っていないから、視野が狭くなりパニックになる

まさに、私です…!
思い込み(被害妄想)が激しいと、夫からもよく言われます…


>ちゃんと自分の感情の声を聞くことが出来ないと、自分が考えてる本音を聞くのは無理

…そうですね。
私は私との間に信頼関係が無いのか…

母の監視の目が内在化している。

それを良しとしている。

私は自分と対話するのを、求めているのに、拒んでいる。

だから私は、私に本音を言えないんですね。

フェイクで生きてる。

私を受け止められるような私になるのが、とても怖い…
拒絶反応がとても強い…

かよさんのブログ「クソ女子問題」から「一番の問題は自分」まで、連続して読みました。


もうね、私の事を語ってくれてるようで…

頷きながら読みました。


母との生活で扁桃体が過剰に働いていた幼少期、その問題に無自覚なゆえに対処せず、生きてきた私。


>扁桃体に問題がある人=暴君は精神的に不安定で予測不可能


私は40にもなって、精神が未熟で不安定です。

見た目は大人でも中身は小学生。


日々の出来事に一喜一憂する悲劇のヒロイン。

物事を俯瞰する事が出来ない。


…これが、今の私。


「バカ」や「メンヘラ」と言われる事に対する痛みや拒絶反応が減り、このような事を自覚できるレベルまでこれたのは、かよさんとのセッションのお陰です。


家庭環境により暴君化した私は、コントロール欲が強い。

自分で制御できない程に。


だから家で子供達を思い通りにしようと、支配している。


拒否されるのが怖いから先に支配する。


なんて幼稚で未熟なのか…

でも、それが私。


扁桃体の過活動を止めるための行動、私には必要だと思いました。


かよさんが私にくれたアドバイスも同じでしたね。


「過去の経験(Xでの投稿)を言語化して整理し、今と昔と違う事を落とし込む」

「今ここに危険はあるか?」立ち止まる


前頭葉の活動を活性化させる為の行動も、とても参考になります。


★WHYを問う習慣=「掘り下げ」

★退屈に耐える(ぼーっとする)=瞑想

★感情を一拍置いてから行動する=俯瞰

★視点を変える=俯瞰


なのかなぁ、と自分なりに噛み砕いて理解しました。

(ズレてるかもしれませんが…)


>一軍グループにいること自体が自分の価値という幻想

>大衆に分かりやすい自慢できる価値


これは私で考えると、「肩書」「資格」ですね。

わかりやすく自慢できる価値。

まだ幻想の中で生きている。


何故なら、「スペック=価値のある自分」だと思い込んでいるから。

賞賛される事に、まだまだ飢えている。

求めている。

称号を得る為に、レースに自ら参加している。


>価値感が同じだから支配される

相手は変えられない。

母は変わらない。

私の価値感を変えれば、レースに参加しない事も出来る。


でも私はまだ母と同じ価値感の土俵で戦っている。

勝ち負けにこだわってる。


まさに一番の問題は自分、ですね。