凄いとか凄くないとかどういう基準で判断しているのか考えたことありますか?


あなたがそういう視点でみているから偉ぶるんでしょうね。

あなたが夫の何を引き出して創り上げるか、関与しているんですよ。
夫の何がすごいのか…言語化してみます。

私の融資事務は、
ほぼ決められた事務作業と、金融の知識を秩序立てて説明する
=正確な処理能力と経験によるスキルがあれば誰でも出来る
そして、私はパートなので、決められた時間内で終わらせる事が出来る業務しかしていない。

それに対して夫の業務は、
データを分析し、理論を組み立て、それをもとに新しい製品を開発する
=分析スキルだけでなく、思考力と判断力が必要。
私には夫のように、一つの物事を突き詰めて考える能力はありません。

そして、出張に行ったり、夜遅くまで残業したり、私には出来ない事をしている。

だから、私より優れているなぁ=すごいよな、と思います。
私には、夫のような業務は出来ないから。



息子に対しても同様です。

「スゴイね」何に対してどう考えて使ってるの?
息子に対して「スゴイね」と使うのは、
・スケボーで新しい技が出来るようになった
・公文で満点取った
等…
出来ない事が、出来るようになった時に使っています。
成果主義ですね…。

これはつまり、
「出来る」=◯
「出来ない」=✕
の二元思考なのでしょうか…?

この褒め方が、息子を追い詰めているのでしょうか…

日常に「生きる喜び」がないと、ドーパミン的依存を求めるのは自然なことです。


あなたもそうだったでしょ?
点数で褒められてドーパミンだしたでしょ?
はい、そうです。
それ以外に生きる喜びが無かった。

家族でお出かけもしていたけど、ギスギスした雰囲気で、楽しくなかった。
父も母も兄も心が通じていなかったから、家族みんなで居ても、孤独だった。

成績で褒められた時だけ受け入れてもらえた気がした。



コンクリートジャングルで、あれもダメだこれもだめだと言われた子供に、「生きる喜び」を見つけることは難しいです。
そうですね。
私も夫も子ども達の行動にいちいちケチをつけている。
夫は「公文で満点取ったら〇〇円」等とお小遣い制を取っているし、私達の都合の良いように子ども達を操作しているのでは…?と、最近は思い始めました。
子どもの為だと正当化しているけど、私達夫婦の自己満足になっている。

私に出来る事は、毎週末子ども達を登山などの自然に連れ出したり、外の世界を見せることくらいかな…ゲームから遠ざけたい。
と思っていますが、日常の態度(考え方)から改めないと根本解決にならないな、と気付きました。

普段から「あれもダメ」「これもダメ」と口うるさく言い、子ども達をコントロールしようとする、日常の夫婦の態度も改めないといけないな、と思いました。



「もったいない」といって物事を勝手に定義づけし、頭ごなしにバッサリ相手を否定してしまう親だという自覚の無さを自覚する。

まずはそこからですよね。
はい。夫が「勿体ない」と言ったことに、私も同意しましたから同類です。

「せっかくの旅行なのにゲームなんて」とバッサリ否定するのは親の都合で、息子の気持ちに寄り添っていない。
私も夫も、権威を振りかざして子ども達に言うことを聞かせる身勝手な親だ。

まずは私たち夫婦を観ます。
「そんなにゲームしたいなら、旅行行かずに家でゲームしてれば?」

皮肉ではなくて、その通りです。

「家族と旅行するよりゲームのほうが楽しい」の息子に育てたのがあなたたち夫婦なのですから。

ひとりで家に居れるようになったらおいて行けばいいんです。
「家族と旅行するよりゲームのほうが楽しい」の息子に育てたのがあなたたち夫婦、その通りです。

朝起きても「ゲーム持っていけないから眠れなかった」とグチグチ言っていた息子ですが、今は一緒にノリノリで新幹線に乗っています。

ゲームの事を一度考え出すと固執してしまう。
やりだすと止まらない。

依存するように育ててしまったのは私達夫婦ですから、それを息子のせいにする考え方は改めようと思いました。

私も夫も、もっと楽しい事、夢中になれることにフォーカス出来るように。

私自身が夫婦関係、子供達との関係をどうしたいのか。
ちゃんと考えて、夫婦で話し合いたいと思います。