最近読んだ本の一節が、ずっと心に引っ掛かっている。
「怨み辛みなんてものは、本当は捨ててしまうに越したことはないんです。
本人だって辛いだけなんですから。
ですが、怨みが強いと視野が狭まって捨てるなんて考えられない。
執着する…というんですかね。
削がれて初めて、捨てたほうが楽なんだと気付く…」
執着を捨てられないのは私だ。
息子はここ最近、ちょっと指摘した事にも怒りを露わにする。
例えば、「AIで調べたから間違えない」という息子の主張に、夫が「AIでも間違える事はあるよ」と指摘すると、「そんな事ない!子の心親知らずだ!」と、過剰に憤り、反発する。
そんなに強く否定したつもりは無いが、一時が万事そんな感じ。
息子は怒りを抑えきれず、しばらくの間は手が付けられない位、怒っている。
夫は冷静に「そんな怒る事じゃ無いんだけどなぁ。」と息子を放っておく。
でも私は夫のように冷静でいられない。
息子に言い返してしまう。
感情を強く揺さぶられてしまうから、息子と言い合いになる。
先日は夫の作った激辛カレーを息子が食べられずにいるので、「白いご飯に替えようか?」と私が息子の返事を待たずに取り替えようとしたところ、息子は地団駄を踏んで怒った。
「僕は食べられないなんて言ってない!」
「ママは酷い!!」
私はとにかく動揺してしまった。
自分では悪気がなかったから、息子の反応に傷付いた。
悲劇のヒロインの劇場に入ってしまったんだろう、辛くてキッチンでポロポロと泣いた。
夫は私の涙に気付いても何も言わず「一緒に洗い物しよう」と隣に立ち、食器洗いをした。
私は母親として情けない、
やり切れない…
無力感が募る。
私は息子の感情をコントロールしようと必死だ。
なぜ息子が怒るのか冷静に考える事が出来ない。
息子や娘が機嫌良く過ごす事で、私は母親として上手く機能していると確認できるから。
相手の反応で自分の価値をはかる。
私は変わっていない。
息子がこんな風に爆発するのが耐えられない…
でも気付いた事がある。
癇癪を起こす息子は、過去の私にそっくりだ。
ずっと母親の期待に応えようとしていた小学生時代の私。
テストの成績が良かったり、先生に褒められて母親の機嫌が良い時は、母はニコニコと私に接してくれた。
でも、ふとした事で母の機嫌は急変し、ジロッと睨まれたり「本当にグズなんだから!」となじられる。
私は態度の一貫しない母に振り回されていた。
安心出来ない環境を、私は必死でコントロールしようと藻掻いた。
何とか母に機嫌良くいてもらおうと苦心したが、そんな努力は砂の城のように崩れてしまう。
…私は期待と絶望を繰り返し味わった。
「私の事をありのまま見て欲しい!」
という、期待。
でも現実は、
「母は理想通りの私でいないと、愛してくれない」
と絶望する。
その度に悲しみと絶望、怒りが湧いてきた。
それを抑圧して頑張っていると、怒りが抑えきれなくなる。
小学校の高学年から、だったろうか?
私は癇癪を起こすようになった。
私の思うように愛してくれない母に期待しては裏切られ、母の些細な言動にも、怒りが爆発する。
自分にも止められなかった。
私は自分が狂っているんだと思った。
常に心の中は嵐のように荒れ狂う。
ずっと抑圧してきた結果。
母に執着してきた私は、母への怨み辛みを未だに消化できていない。
だから、息子の癇癪は過去の私を見つめるようで、身を切られるように痛い。
未消化だった自分の感情を見せつけられるようで。
息子の辛さが、過去の自分に重なる。

