MONDOともう一度掘り下げ。


私が自責したいのはなぜ?

自責することでコントロール不能な現実を制御可能にしてきたから

自責をやめたら何が起こる?

自責をやめたら他責になる。その2択しかない、と思っている。

その2択の他に何かあるとしたら?

どちらのせいでもない。仕方ない。

仕方ないの響き、引っかかる?

はい。

何に引っかかる?

誰かのせいにしないと納得できない。

何が納得出来ない?

マニュアルがないとどうすれば良いのか分からず、混乱してしまう。

マニュアル、いつから必要だった?

子供の頃から。

どんな状況だった?

父も母も兄も、話し合って何かを決めたり調整した事がなかった。コミュニケーションがない家庭だった。

誰かを悪者にすることで次に何をすれば良いのか見える。その為のマニュアルが必要。


つまり、

自責したいのではなく、混乱を収めるために、誰かを悪者にする必要があった。

それが今も動いている。

MONDOと、私が自責したいのは何故か掘り下げた。


私が自責したいのはなぜ?

自責する=私に原因がある、という考え方

私が頑張れば、世界は安全である

という思い込みがある

頑張らないと、無防備でいると、攻撃される

という恐怖があるから警戒する

幼少期の体験(兄が家で暴れ、父と祖父が兄を取り押さえる。家の壁が崩れ、ドアは壊れる。母は兄に掴まれ、腕にアザを作り泣いている)により、

自分を守る方法として警戒モードを続ける事を選ばざるを得なかった

常に警戒することにより私は自分を守ってきた

無力感、恐怖、消えてしまいたいという絶望が、自分を責める方向へ働いた

母や兄から離れた今も、無力感、絶望、恐怖が身体から消えない。

コントロール出来ない現実を、自分のせいにして=自責して、乗り越えてきた…?

MONDO三日目で気付いた事について書きます。



私は「できそこない」だ。


母との生活の中で私はそう思い込んでいった。


母は私を認めてくれなかった。

いつも批判し、イライラし、監視の目を光らせていた。


私が家で寛ぎたくても、学校での事を話したくても、母はいつもセカセカと動き回っていた。

「あー、私ばかり忙しい!あんたも宿題したら?!」

とイライラしている。

…母が私の話を聞いてくれることは無かった。


そんな生活で母に対する「愛して欲しい」という願望は失望になり怒りに変わった。


でも母を憎み切れない。


だって、私ができそこないだから。


私がうまく出来ないから、悪い。

私が不器用だから、悪い。


自分に原因があるから、母に、愛してもらえない。


誰にも愛してもらえない…



そうやって自分を責めてきた。

大人になり、自分が母親になっても。


「私が神経質だから」

「私が思い込みが激しいから」

自分を責める。


世界に私1人しか、いない。


それに、耐えられないから、今度は

「でも、息子が…」

「夫が…」


と、相手を責める。



完璧を求めるから、

現実そのものを冷静に見つめられない。


「ただすれ違っただけ」

「ただ価値感が違っただけ」


世界には、自分と、相手と、たくさんの人がいる。


それぞれが影響し合って生きている。


それに気づいた。



自責する人生は、もう、やめたい。