メンタルコーチ 赤坂葉子です


 


今日の東京は涼しいね~


25度くらいまでしか上がらず


 


ほんじゃ鳥取も涼しい?


と、天気をググってみたら・・


いやん、32℃! 


 


鳥取、まぁまぁ暑いやんな~


もうしばらく30℃超えは続くみたい


 


さて


 


道 み ち


 


昨日の クロスロードに続いて


人生の道 について書いてみる


 


いつからだろう


私の前に道がはっきりと見えるようになったのは


 


やりたいことがわからず、


何が出来るのかもわからず、


 


どこへ進んでいいのか、


見当もつかなかった若い頃に比べると


 


今、はっきりと見える道は、


心強く、頼りになって、確かさの証で


 


そこを進んでいけることにワクワクする


どんな進み方をするかは自分で選べる


 


道が見えるようになるために、


必要なことがある


 


それは、自分の 才能 を見つけ出す


ということ


 


そして、それを使って出来る


好きでたまらないこと を見つけ出す


ということ


 


私の人生のラッキーは、


それが出来た、というところだと思う


 


30歳くらいの時に


自分の本棚に読めない本を並べていた


 


心理学、カウンセリング、


そういったワードの入ったタイトルの本たち


 


読みたくて買う


けれど、何冊買っても読めない


むずかしくて


 


読みたいのに読めないまま、


本棚に忘れられて、約15年が過ぎた


 


45歳の時、ふとしたことから


その本たちを手に取った


 


今度は読めた


意味がわかった


スルスル~ッと心に入ってきた


 


あ~読めるようになってる!


 


その頃から、


私のNLP心理学の勉強は始まった


 


大阪、東京へと講座に通い、


夢中で勉強した


 


面白かった


学びの階段を一気に駆け上がった


 


自分の心の痛みと向き合い、


学べば学ぶほど、私は変わった


 


自分を実験台にして、


私は「人が変わって行く様」を視た


 


 


私が得たものは・・


 


心が変わった


性格が変わった


 


人の生まれつきの性格などというものは


ほとんど無いと知った


 


単なる思考の習慣、感情の習慣


それだけだとわかった


 


矯正できる


 


人前で話すことが好きになった


 


言葉の才能が見えてきた


 


出来ることが案外多いことに気づけた


 


やりたいと思うことはすべて出来るようになった


 


 


人の可能性の大きさを知った


 


心理学は面白い


言葉の使い方で、人は変わる


相手を影響し、導くことも出来る


 


私は、自分の才能を見つけ出せた


 


人の才能を見つけ出すことが


楽しくて、幸せでたまらない


 


人を幸せへと導くことに心が踊る


 


少々困難なハードルがあるとしても、


そのトライがまた楽しい


 


この才能を使って、私は


ガシガシと進んでいける


 


私の目の前には、


そんな道が見える


 


そこを進んでいけることにワクワクする


どんな進み方をするかは自分で選ぶ


 


私が人の心理を扱う道を歩き始めたのは


45歳から・・と思っていたけど


 


どうやら、その15年前の30歳の時


そこから道は始まっていたみたい


 


まだ続く


 


長い長い道だね


 



 

クロスロード


 


泣きそう・・・


 


メンタルコーチ 赤坂葉子です



 


映画 カーズ を観てきた


 


今の私にピッタリすぎるくらいピッタリの


心に染み入るストーリーだった


 


ピクサー映画の素晴らしさ


アメリカはやっぱり心理学先進国だよね


 


軽いタッチで深いことを表現してくる


真理を突いてくる


 


日本映画でこれを表現しようと思ったら


重めの根性論になってしまうんじゃないかな・・


 


あ、日本映画の悪口言ったら怒られる!! 笑


 


 


私は今、52歳


 


ビジュアル的にも


仕事のスキル的にも、


これまでの延長線上では「古さ」にまっしぐら


 


女性として、仕事人として、


実は 危機区間 に入ってる


 


それに気づかず、


何も変えないでいると、死ぬ


 


そう、死ぬの


 


そう察知しているから


自分の外見も内面も今の自分に合う


新しい自分らしさを探してもがき、


 


仕事の仕方も大きく変革させようと


必死になって学んでいる


これまでの学びのペースを2倍速にして


この危機区間を走りぬけようとしているのだ


 


 


若いやつらは素晴らしいものを持っている


見たことも聞いたこともないやり方があるはず



これは映画の中のフレーズ


 


 


私は今、


若い人を巻き込んでいくスタイルを


準備しようと手探りしながら進んでいる


 


自分では到底及ばない新しいやり方に


到達しようと、実は苦しい最中なの


 


この映画は、


それを言い当てられたようで・・・


 


泣きそうになった


 


 


こんな風にして


時折私は苦しいところ通り、次へと進む


 


昔と違うのは、


トラブルが起きてあらびっくり!


ではなくて、


 


早めに察知し、自ら選んで


次のステージへと突入していくということ


 


自分で選び取るのは


トラブルというお知らせに従って


変えていくのよりうんとましだ


 


初めから納得して出来るから、


苦しくても楽しい


 


 


鼻歌まじりに行ってみよう


リズム取りながら行ってみよう


行ったことないとこに行ってみよう


 


これは、エンディングの歌の一節


素敵だった


 


泣きそうなのをこらえて


映画館を出た


 


 


カーズ 観てね


 


☆ ☆


 


「ヨーコ物語☆52の話」は


過去のことと、現在の生々い想いを織り交ぜて書いていく


 


過去の体験が私を作り


今の自分が未来を作っていくことを


深いところで感じながら


 


前のヨーコさん物語は時系列だった


手法を変えると、書く感覚もまったく違うから面白い


 



PHOTO BY SAMMY

メンタルコーチ 赤坂葉子です

 

ヨーコ物語を書き始めて・・

今さらだけど自己紹介をしようかな 笑

 

考えてみたら、前に書いた

ヨーコさん物語を読んでくれてた人に向け

私を知ってもらってる前提で書いている

 

あのヨーコさん物語も

けっこう真面目に書いていたよ

 

自分の人生のたな卸し的な意味で

自分のために書いていたから、

別に私のことを読みたい人なんていないだろう・・

 

と思っていたら・・ 

 

ぎゃおん!大間違い!

 

あちこちで会う人会う人、

「読んでます」って言われ、

 

スッピン買い物の時、温泉で裸の時まで

「赤坂葉子さんですよね、ブログ読んでます!」

と言って頂き、びっくりしちゃって

 

ちょっと腰が引けてしまって・・ 中断

 

結構、暴露的に書いてたからね

あはは・・

 

 

ちなみ、手繰ってみたら

2015年9月に第1話を書いていた

2年前だ~
 

ご興味あったら読んでみてね^^

↓ ↓

https://ameblo.jp/maple316/entry-12075799938.html

 

で、自己紹介

 

 

今さらですが、

私は 赤坂葉子 と申します

 

昭和40年3月16日生まれ

今年52歳になりました

 

鳥取県在住

鳥取と東京を半々行き来しながら暮らしてます

 

好きなことは

文章を書くこと、読書、物語、

映画、舞台、音楽ライブ、ダンス

写真(撮られるほう 笑)と、写真をみる事

心理学、伝えること、話すこと

 

熱い想いを持った人が好き

夢や目標に向かっている人が好き

 

やりたいことをひとつずつ叶える人生を歩いています

新しいトライを繰り返していくのがたまらなく楽しい

 

私の未来は、

多くの人の笑顔に囲まれている

 

私と関わった人たちが才能にあふれ、

夢を叶えて望みどおりに生きる

 

それをサポートするのが私のミッション

ライフワークです

 

☆ ☆

 

赤坂葉子は、

いくつかの顔を持っています

3つ書いてみます

 

1.

保険コンサルティング のプロです

心もサポートしてます

お客さんの望む未来を一緒にみる

ガチのライフプランナーです

 

2.

メンタルコーチ です

LNP心理学をベースに、

コーチング、カウンセリング、セミナーで

クライアントが望む未来に行くサポートをします

 

特に好きなのは、

「愛情問題」 「子育て」 「起業サポート」の分野

 

3.

人育てプログラム

企業研修や、大学での講義、PTA講演など

人を育てる現場に呼んでもらってます

 

地域の、いや、日本中の子どもを育てることに

私の才能を使って貢献したいと思っています

 

私の才能は、言葉

人の才能探し、やる気に火をつける

 

 

NLP心理学の世界的権威から学んだ

素晴らしいアプローチで、人の才能を引き出します

 

私のコンテンツは、

各種セミナー、プライベートセッションで

皆さんに提供してます

 

☆ ☆

家族は、

あ、私、24年前に離婚して

シングルになりました

 

息子28歳

IT専門、保険会社勤務、

読書好き、勉強好き、最近はジムで泳いでいるとか

 

娘 26歳

お菓子メーカー営業、トップセールスタイプ

今年お嫁さんになった、夢はお母さんになること

好きなことはスポーツ、アスリートの妻(アメフト)

 

娘 25歳

保険会社勤務、社会人2年生

生き物好き、旅行好き、料理上手

ニューヨーク旅を企画している模様

いい恋してください・・と言ってるけど・・

 

☆ ☆

 

ざっとこんな感じです

 

後は物語の中で少しずつ書いていきます

 

私がいかにネガティブな人生から

本来の自分らしさ、ポジティブな自分へと

変わっていったか

 

どうやって?

 

何をしたの?

 

どんな気持ちで?

 

そしてどうなったの?

 

そんなことを書いてみたくて

つたない物語を書いています

 

読んでくださってありがとう

 

 

 

メンタルコーチ 赤坂葉子です

新幹線の中です
あと少しで新横浜に着く

東海道新幹線のコーヒー美味しくなったよね

今日の車内販売はお姉さんじゃなくてお兄さん
珍しい

帰省ラッシュと思いきや、14日はまだなんだね

名古屋以東の新幹線は立ちんぼさんはいない
車内販売のワゴンが通れるの
お陰でコーヒーが買えた


旅の相棒の娘が名古屋で降りたあとは、いつもの一人旅モードです

旅の移動時間は、だいたい文章書いてるか、人の文章を読んでるか
あ、本ね 


今日は木暮太一先生のビジネス本をパラパラ読みながら、ブログ書いて、また本読んで、長旅をしのいでる

今日のブログは2つめなんだけど

娘と一緒にいて、ちょっと古い出来事を思い出した

 

それを今日のヨーコ物語としよう

 

 

母を守る

私が20代の頃だったと思う

 

目の前で母が泣いた

それをかばったことがある

理不尽をした相手は..

ここではもうお馴染みの、父


父がどれだけ封建的だったのかは、

前のヨーコさん物語の時から散々書いている


決して父を非難しようと書いているのではない

そんな父によって、私が体験した数々のこと

それがどれだけ後の私に気づきを与え、

今の私を造っているか


それをこうしてなぞっている
確認作業のようなものだ


特に今年春に父が旅立ってからは

過去の物語として、余計にしれ~っと書ける

 

で、物語 

 

も一回、、、 笑

 

 

母を守る

 

その夜、母はいつものように食事の支度をしていた
仕事を終えて帰宅した父は、玄関から食卓に直行するのが習慣で、その日もいつも通り、まっすぐに食卓の自分の席についた

父は食事の好みは偏っていたけれど、ごちそうがないとか、味がどうとか、そういった文句をつけるタイプではなかった

母が亡くなってからは、「妻の料理上手」をみんなに自慢していたくらい
母の料理が好きだったのだと思う


母は献身的だった
いつも父の好きなものを選んで作っていた

その日は、特に父の好きなもの、記憶によると、多分あれが一番の好物だったと思う

白イカの刺身

それはいつも父の前だけに置かれるごちそう

子どもの私たちには無い、父だけの「一家の主の証」みたいなものだった

大人になってもそれは変わらず、特別な皿

それがある日は少し父が威厳を帯びて見える

機嫌も良くなる

その日も、白イカの皿が置かれ、父は機嫌がいいはずだった

 

母は他の料理に取り掛かっていた

母の背中に向かって、父は何やら話しかけ、
母が答えている

突然、空気が変わった

 

父が・・・
母の顔めがけて、皿の中身をぶちまけた

 

左手は母の髪を掴んでいる

まるで、動物園の動物の口にエサを流し込むみたいに
母の頭の上で、その皿は傾けられ


母の髪も顔も、エプロンの胸も、白イカとつまの大根やキュウリを浴びて、ひどいことになっている

 

何が起きたのかわからない

 

その光景が私の心にひどく鋭く突き刺さった


母は泣き崩れている

あり得ない!と思った

 

大人の男が乱暴な行動を取った時、

女も子どもも、どうしていいかわからない

 

怯えるし、途方に暮れる

いたたまれなかった
 

訳もわからないまま、

怒りと悲しみで全身が痛かった

 

 

もしかしたら、

母が不用意なことを言ったのかもしれない
きっと何か下手なことを言ったのだろう

 

でも

 

もし、そうだとしても、

理由は何であれ、私は母が愛しかった

守りたいと思った


男は敵だ、そう思った

普段、母に暴力を振るうような父ではなかった

でも、この時、本当に許せないと思った

 


泣きじゃくる母を車の助手席に乗せて、あてもなく家を出た

泣きたいだけ泣かせて、とことん付き合おうと思った

しばらく車を走らせ、夜遅くまで開いているカフェを選んで入った
母はまだ泣いていた

ケーキ食べる?

母がなんて答えたのかも、ケーキを食べたかどうかも、もう、覚えていない

とにかく、泣かないで、悲しまないで

痛い目にあわないで欲しい

 

そんな思いで自分の心が痛んだ

 

カフェでしばらく泣きじゃくるのに付き合って

もう夜中の12時くらいになっていただろうか

 

母が帰ろうと言い出した

 

ようやく泣き止んだ母をまた助手席に乗せて

車を走らせて家に帰った

 

そこまでしか覚えていない

 

もう30年も前のことだ

 

☆ ☆

 

ふと思った

 

末娘の里奈が、20歳かそれくらい

大学生の頃、帰省した時に2人で食事に出かけた

 

カウンター席で、美味しい料理を頂きながら

2人話をしていたら、隣のおじさん2人組みが

ご機嫌で話しかけてきた

 

美人親子だね~などといい調子

 

何やら、そのおじさんは一人が東大出で、

もう一人はどこかの役所の重要な仕事をしてて・・

みたいなキャリアの話に花が咲く

 

名刺をもらったので、私も差し上げた

 

私が会社の代表であること、

NLP心理学を専門として・・みたいなことが書いてある

 

おじさんが言った

 

『あなたのような女性は男性から求愛されることはないでしょう』

 

もしかしたら、半分は誉めているつもりなのか、満面の笑顔で

 

そして、娘がきっぱりと言った

『お母さんをいじめないで下さい』

 

はじめはジョークかな?と思った

 

ら・・ どうやら本気で言ってる

 

うそぉー と思った

 

 

険悪にこそならなかったけど、

後で聞いたら、かなりムカついてたらしく

 

本当に失礼だわ! と怒ってた

 

当の私は、そういう言われ方にはもう慣れっこで、さして気にはならない

 

またか、浅はかなおっさんだわ、

私だって乙女の心はあるわよ、ふん

 

とか思って終わる

この手のことは頻繁すぎて、今さら傷つくこともない

 

 

ただ、娘はこういった類のことを許さない

 

女としての私が傷つくことを許さないのだ

 

そして、私の仕事を阻害することを起こす人も許さないのだ

 

私を危険なめにあわすも事態を引き起こす人も許さないのだ

 

 

たまにプンプン怒っている

笑える

 

 

何だか、かつて母を守った私と

今こうして私を守ろうとする娘が重なった

 

娘とは、母を守るものなのだろうか・・・

 

ん。

 

この娘が、かつての私のような「男苦手」を

抱えてなきゃいいのだけど・・・

 

いい恋してください

そう願ってるよ

 

 

※私の「男苦手」、今は治ったからね。あしからず。笑

 

 

 





 

メンタルコーチ 赤坂葉子です

今、私の膝の上には娘が眠っています
と言っても、幼い子ではない
社会人2年生の25歳の、もう大きい娘


お盆休みを終えて名古屋まで帰るのに
私もつきあうことにした

娘は名古屋まで、私は新横浜まで

明後日に東京で受けるセミナーのために、いつもなら飛行機のところを、お盆最中の特急列車スーパーはくとに乗ってみる

さすが始発駅
大行列だったけど席の確保に成功!
途中の駅々で乗ってこられた方々は通路に立ちんぼ

姫路で乗り換える新幹線は、おそらく座れないだろうな

普段ならこんな列車に乗ることはない
が、考えてみたら、明日15日の方が帰省ラッシュピークよね
今日でよかったのかもしれない

が、が、が、..
実は気がかりもある

さっき、アメリカに住む友人から連絡が入った

父の初盆にとお花を送ってくれたそうで、今日届くって

えーー! そんな〜 お花たち..

FBに上げた「サバイバル旅に出ます」の記事を見て、急ぎ連絡をくれた

トホホ... ごめんね だけど
ありがとう

受け取り人を探してみる

☆ ☆

とか何とか書いてるうちに、膝の娘が起きた

まもなく姫路、新幹線への乗り換え

混み合う通路を出口に向かいながら、本当にこの駅?合ってる? と、いつものプチ不安

カラダをかがめて電車の窓から外を見る

ホームの柱に、縦書きの黒い文字

「...めじ」と見える

 

最後の2文字だけが見えてる

 

振り向いて、娘に
『しめじ駅 だったらどうする?』とにやけてみた

『なんでおんなじ事考えるん?もぉ..』と苦笑いされた

 

え、あなたもそんなくだらないこと思ってたんだ

 

 

無事に新幹線ホームに着いて、お弁当一個買って、半分こしよーね、座れなかったら名古屋に持って帰りな、なんて話しながら待つ

あ、満席だ〜

しゃーない
今度は私たちが立ちんぼしよー

お弁当は神戸牛のだよ
おばちゃんに穴子を勧められたけどね

何気ない、ただの移動だけど
娘と二人ならサバイバル旅も楽しい

てか、スーパーはくと座れたし、大したサバイバルじゃなかった〜 笑

☆ ☆

膝枕しながら、昔のことを思い出した

母を守る って話

若い頃母を守りたかったシーンがあったなぁ
そして、娘も私を守ろうとするよね

ヨーコ物語4話はそれにしよう♬

今、新神戸
娘たちがソフトボール選手だった時の街です
このあと、NLPに通った大阪、子どもたちが大学時代に居た京都、滋賀あたりを通るでしょ〜

そして今は、名古屋での思い出を作る真っ最中

娘たちが住む街で私の仕事も広がっていくしね

あちこち懐かしい街が増えていくのだよ
(╹◡╹)♡

あ、席空いた〜
新大阪♬

メンタルコーチ 赤坂葉子です

 

お盆休みに入って涼しくなった

 

鳥取は連日35度、36度、37度と

異変が起きたかのような猛暑!酷暑!

 

だったから、

人間界に戻れたみたいな・・変な感覚

 

生き延びれそうです 笑

 

帰省した娘なんかは、

「鳥取はやっぱり涼しいね~♬」

なんて思ってるんだろな

名古屋もうんと暑いからね~

 

今は、エレクトーン弾いてます

 

それをBGMに こうして文章を書く

私のお気に入りスタイルのひとつです

 

大体ね、帰省したってのに、

友達に会うでもなく、温泉に行くでもなく

 

ただひたすら一人、

エレクトーン弾いてピアノ弾いて

カエル捕まえて遊んで

 

アイス食べてのんびりしてる

 

命の洗濯・・ みたいな?

昔よく聞いたフレーズだよね 笑

 

幸せそうにしている

 

彼女は子どもの頃から一人が好きだった

いつも何かに没頭して、集中で遊んでいた

 

かと言って、友達がいないわけでもない

 

今、名古屋の部屋に行ってみても

どこからかお友達のお土産が送られてきたり

結婚式の招待状も届いたり

 

だから心配はしていない

これが彼女のペースなんだと思う

 

子どもの頃から無理せず守り続けてきた

自分のスタイルなんだと思う

 

そういう彼女をずっと見てきて、私も気づく

 

私、赤坂葉子という人間も

本質はそうなんじゃない?って

 

1話・2話で書いたように

モノクロな世界に生きて、

寂しかった子ども時代を経て

 

若いころはみんなと遊ぶのが途方もなく嬉しかった

グループでいることが幸せで

一員でいること、役に立つ自分でいること

そんな努力が好きだった

 

テニスだスキーだと

よく大勢で出かけていた

 

ペンションに泊まったりして

合宿みたいに過ごすことが仲良しの証

 

あんなに寂しかった自分が

こうしてみんなといることに

信じがたいような夢みたいな感覚があった

 

ゆえに・・

あの頃の私は、やっぱりまだ寂しかった

 

みんなと一緒にいながらも

どこか他人事のような

心が解放され切っていない

 

竜宮城のように、

いつか冷めてしまうような儚さを感じ

 

それは、仲間との時間だけでなく

恋をしてもそう

 

愛され続けることなどない

だって、私、いい子じゃないから

魅力もないから

 

無意識の中の自分が怯えているような痛さ

 

もっとも、当時の私には

それがスタンダードで、当たり前の感覚

 

人との繋がりなんてそんなもの・・

言葉にならない不安定なものを

固定オプションみたいに抱えていた

 

人生の中で、そんな感覚しか知らないのだから

それがおかしいとも思わない

 

お腹の中にオバケを飼っていたのです

 

後にオバケなんていないんだ!

と気づけたときには衝撃だった

 

オバケを飼っている間の私の人間関係、

仕事でも、恋愛でも、残念なことに結婚でも

 

すべてにおいてオバケに蝕まれていくわけです

 

一つ、救いだったのは

わが子との関係においては

 

親との関係を反面教師にして

まぁまぁ屈託のない関わり方?が出来ていた

 

そこだけは、心からの

幸せと安心を感じる体験ができたのです

 

本当はね、

私の親だって私を愛してくれたよ

友達だって私を好きでいてくれたよ

結婚していた当時のパートナーだってそうだと思う

 

それを受け取ることができなかったのは私で

未熟同士、愛を育てていくなんて芸当には

到底及ばず、無駄に苦しみを招いていた

 

そんな人生前半戦だった

それが今ははっきりわかるよ

 

原因が幼いころからの育ち方で

どうやったら、心を開かない子が育つかとか

やる気のない子が育つかとか、全部わかるよ

 

未熟すぎて、辛すぎた自分が

学びへと進んでいけたのは本当にラッキーだと思う

 

人が才能を見つけて、活かして、

やりたいことをやって幸せに生きていく

 

その手伝いができるようになった

私の人生の幸せの根源は、そこ

 

ほんと、ありがとうだよ

 

すべての出来事、

関わったすべての人、

 

全部が私の経験となって、財産となって

余すことなく活きている

 

子どもを育てるママたちのサポートをしたい

 

今、進もうとするあなた自身のサポートをしたい

 

間に合うよ

何歳になっても

 

だって、私もあんなに苦しかったから

 

笑顔でそう言える自分がいるのです

 

もし、あなたの中にオバケがいるのなら

一緒に退治をしてあげる

ってか、本当はオバケなんかいないって

見せてあげるからね

 

 

 

私もね、オバケた退治をした後は

安心して一人を過ごせるのです

 

好きなことに没頭していられる

心行くまで文章を書いて、楽しんでる

 

一人でいるのが好きで、

安心して楽しむからこそ、

 

誰かといることも、

みんなでいることも、

うんと楽しくなったのだと思う

 

人は多彩、多様

色んなHAPPYがあるよね

 

☆ ☆

写真は 大山 本宮の泉 by Sammy

 

 

メンタルコーチ 赤坂葉子です

 

今日は不思議な感じで

人がうちに集まってきた

 

大人と子ども混ぜっこで

昼と夜、入れ替わりで全部で15人くらい?

 

おばあちゃんちじゃあるまいし・・

って感じで、まぁ にぎやかだった!

 

帰省中の娘も、チビ達と遊んで

ピアノ弾いて、じゃれて、楽しんでいた

 

昔から我が家には変な習性があった

高校生が住みついちゃうの

 

年下の妹分みたいにしてたいとこ、

年上のいとこの子どもや、

 

なぜかいつの間にか住みついて

私の家から高校に通ってた

私、弁当作っていたもの

 

今日はなぜか一斉に、

彼ら、彼女らからLINEが来て

 

「帰省してるよ、行ってもいい?」

って、立て続けにやってきた

 

みんなもう大人

本人たちもそうだけど、

その娘がもう19歳にもなってて!

えらい美人で、どちら様ですか?って

マジでわからなくて・・

 

ひゃ~

月日の経つのは早いなぁ

 

ほんの10年ほど前にうちにいた

男子高校生はもう36歳

今夜6人の子供を連れてきた

 

6人だよ、びっくり!

びーーっくりしたっ!

 

高校生の時、

私の誕生日に透明な石のついた

ペンダントをプレゼントしてくれた時

あの顔、はっきり覚えている

 

しおらしくありがとうなんて言っちゃって

 

東京の大学に行っても

我が家に帰省してきてた

 

親がいない子ではないんだよ

 

お盆やお正月あたりになると、親から、

「うちの子、もしかしてそっちに帰ってる?」

って問い合わせが来てた

 

面白い関係だった

 

楽しかったなぁ~

 

そうそう、彼らはうちの子どもたちを

可愛がってくれていた

 

野球を教えてくれたり

遊んでくれたり

 

その彼らが、今度は自分の子供を連れて

会いに来てくれる

 

そして、私の娘がもう25歳で

その子たちと一緒に遊ぶ

 

何とも幸せな、素敵なつながり

 

 

うちの娘、里奈のように個性派?

な、小3の女の子に聞いてみた

 

「何が好きなの?」

 

「作ることが好き♬」って教えてくれた

 

絵をかいたり、物語を書くのが好きなんだって

 

パパは、友達と遊べない・・

一人でこもって遊ぶんだよ・・

 

と心配げに言ってたけど

私は、問題ないと思うな

 

目をキラキラさせてやりたいことを話してたもの

 

国語の教科書の「続きの物語」を書いたりしてるんだって

 

ステキだねって言ったら

ニッコリしてた

 

ノリノリでいっぱい話してくれた

 

こっそり約束したよ

「今度その物語読ませてね♬」

 

「うん、いいよ」

5割増しの笑顔になった

 

あれは、本当に読ませてくれると思う

 

子どもは目がキラキラじゃなきゃね

 

いいんだよ、

みんなとおんなじにしなくても

 

あの頃、一人でこもってばかりいて、

自分の好きなことに夢中で

友達と遊ぶ時間はほんのちょびっとだった

うちの娘、里奈も

 

今、本当に楽しそうに、意欲いっぱいで

保険会社の仕事に打ち込んでいる

 

幸せそうだ

 

持ち前の集中力は

きっとあの頃に培われたんだと思うよ

 

 

子どもの集中を止めないで~

 

パパ ママの参考になるといいな♬

 

 

 

 

 

メンタルコーチ 赤坂葉子です

 

ヨーコ物語☆52の話

第2話です

 

閉じていた私・・☆

 

 

第1話は

私の人生、前半戦はモノクロ

後半戦でやっとカラーになったよ

 

って話を書きました

 

第1話「モノクロ人生→カラー人生」 

↓↓

http://ameblo.jp/maple316/entry-12300473072.html

 

 

そう、今から6年ほど前、

46歳あたりから徐々に、徐々に変わり始めたんだよね

 

私が90歳越えまで生きるかどうか?

それはわかんないけどね、

多分、人生の真ん中あたりだったんだろうな

 

時間の長さで測るのか

幸せや感動の濃さで測るか・・

それもわかんないけど

 

とにかく真ん中あたりから私の人生は

 

色がついて、温度がさして

心の中がキラキラと輝くようになった

 

なんでか

 

それは、

 

自分、出来ることあるじゃん

なんだ、イケてるとこもあるじゃん

 

恐る恐るだけど、

そう思えるようになったからに他ならない

 

 

あまりに辛かったよね

自由のない子ども時代は

 

生きてる実感みたいなものがなかった

感動とか、はじける喜びとか、

子供のくせに妄想を描くこともしなかった

 

 

私という小さな女の子は

父の愛ゆえ、大切に閉じ込められ、育てられた

 

何も見ず、体験せず、冒険せず

文字通り箱に入って、箱入り娘という

父の宝物だったのだと思う

 

お嬢さんというわけではない

 

事業を立ち上げた父の野心は波乱万丈の歩みで、

私は、荒い道を進むトラックの荷台に乗せられた小さな女の子と想像してもらうといい

 

ゴロンゴロンといつも大きく揺れる

父は運転に必死で余裕などない

母は必死で捕まり、父を気遣い、子どもを守る

 

私と弟は狭い荷台で転がりながら仲良く育った

 

行先はすべて父が決める

母も私も弟も、希望を言うことはできない

 

揺れるトラックの荷台は、

ゆっくり話を聞いてもらえるような環境ではない

 

封建時代みたいで笑える

 

荒かった

言葉や、接し方や、色んなことが

 

あの時代の特徴でもあるのだけど

身内のことは褒めない

 

身内であることの証として

愛情の表現として、

 

とにかく けなされ、否定され

ボロカス言われながら育った

 

お前は、

 

頭が悪い、ぶさいく、運動オンチ

 

の3拍子

 

父は毎日晩酌をし、ニコニコ嬉しそうに

この言葉を私に浴びせる

 

人間は、大体7歳くらいまでに

「自分の真実」というやつが出来上がる

 

いわゆる 刷り込み です

 

親や信頼する大人から聞いた言葉を

そのまま自分の無意識へと刷り込み、

 

ほとんどの場合、それを

疑う機会もなく一生を過ごすのです

 

私は、自分のことをこう思っていた

 

バカで、役に立たず、ぶさいくで、

何もできず、価値がない

だから、人前に出てはいけない

迷惑がかかる

 

日が当たらないというか、

ちびまる子ちゃんの のぐちさんの役回り?

みたいな・・

 

しずかちゃんになんて絶対なれないし

はなざわさんにだって、ドキンちゃんにさえ

私はなれっこない・・ 笑

 

そんなモノクロな世界に生きていた私

 

中学に上がったときのこと

別の小学校から来た男の子が

教室の入り口で私を呼んでいる

 

優し気な雰囲気の男の子

たしか中田君っていったと思う

 

私を呼ぶなんて・・何の用事だろう?

 

廊下と教室の境目のドアレールを挟んで

向こう側の中田君と、こっち側の私

 

かろうじて自分の側がホームで

安全なような感覚、今でも忘れない

 

中田君はにっこり笑って言った

 

「君、かわいいね」

 

次の瞬間

 

私の右手は中田君のほっぺを・・

 

パシッ! と、 ひっぱたいていた

 

一瞬で優しい笑顔は消え、

豆鉄砲を食らった鳩のような顔になっていた

 

 

私の心の中で何が起きていたか

 

バカで、ぶさいくで、

価値がない私なのに!

 

なんで? なんで? 

 

な、なんで!?

 

 

 

ただただ、恐怖でしかなく

反射的に手がそう動いてしまった

 

ショックだった

 

でも、私よりもっとショックだったよね、

中田君

 

それから2年生、3年生と進んで

一度も口を聞くことはなく

 

ごめんも言えないままに

中学を卒業したのでした

 

トラウマにならなかったかな・・

 

本当にごめんねって思ってる

 

今となっては笑い話だけど、

いや、やっぱりごめんねだよね

 

 

ひどく自分の価値を貶めていた私は

人のまっすぐな思いも言葉も、思いやりも

受け取ることができなかった

 

おかしな話だけど、

人からのポジティブなコミュニケーションが

恐怖でしかないのだ

 

人から好意を持たれたり、

求められることなどあるはずがないと思っていた

 

いや、そんなことを考える機会もない

ただ、それを前提に生きているだけ

 

だから、突然コミュニケーションをとられると

恐怖で過剰反応してしまうのだ

 

そんな風にいびつで、

色などない、温度などない、

 

何とも表現しがたい状態の

モノクロな少女だった

 

 

生きていることの喜びとか

意欲とか、夢、希望、ワクワク

 

そういう言葉の意味が分からなかった

 

ワクワクしないねって思うのは

ワクワクした経験があるからでしょ

 

夢が持てるのは

経験や、見たものの記憶があるから

ああなりたい、自分も!って思えるからでしょ

 

経験がほとんどなかったの、私には

 

心の中で、熱くなったりドキドキしたり

そういうのがない子どもだった

 

想像がつく?

 

つきにくいと思うので一生懸命説明してみた

 

 

あ、

 

父が悪魔みたいに思われるのも何なので

断っておくと・・

 

悪気はないのです

とにかく女の子は大切に、

傷がつかないように、安全に

 

外に出してはならない

 

そんないびつな形に、父なりに

愛してくれていたのです

 

 

モノクロだった私が、

人生の後半戦にカラーに変わっていったのは

 

NLP心理学のおかげ

 

自分のやりたいことを存分にやって

子どもたちの幸せを願って全力で育て

 

そして今は、

 

少し広い世界に向かって

女性たちの幸せを、世の子供たちの幸せを

真剣に叫んでいる

 

みんな、素敵だよ

あなたのその才能を生かして幸せになろうよ

手伝うよ♬

 

本気でそう思って生きている

 

人生後半戦、

NLP心理学で私は変われたのです

 

自分を探って探って

扉を開けて、問答し続け、

 

自分、出来ることあるじゃん

なんだ、イケてるとこもあるじゃん


って思えたから

 

自分の やりたいこと才能 がわかったの

 

今は、NLP心理学のスキルを使って、

セミナーで、セッションで、みんなを手伝っている

 

私は、みんなのやりたいことと才能を見つける天才なのだ

 

 

 

 

メンタルコーチ 赤坂葉子です

 

始めます

 

またまた、ヨーコ物語を

 

前に書いたのは

「ヨーコさん物語」だったでしょ

 

今回は、

『ヨーコ物語☆52の話』 にする

 

52歳だから

 

来年はね、53歳だよ

当たり前だけど

 

53歳は母が亡くなった歳なの

 

今から21年前ね

胃がん

 

がん、余命6か月と宣告されて

 

でも、6か月持たなかった

2か月で逝ってしまったの

 

人生に思いを山ほど残しながら

 

看護師だった

入院していた父と知り合ったのは20歳

 

27歳の若ぞうと 20歳の看護師

可笑しなエピソードを母からいっぱい聞いた

 

結婚し、そして

母が21歳の時に私が生まれた

 

父は子煩悩で、いつも私を抱いていたと

家の前のベンチに座り、

赤子の私と夕暮れを眺めていたと

 

それも母から聞いた

 

家族を愛しすぎていたのか

父は少しいびつだった

何でも自分の思うとおりにしようとした

 

それはのちに娘の私を苦しめることになる

というのは、前にヨーコさん物語にも書いた通り

 

今は、話を私が生まれた当時に戻す

 

出産をして病院から実家へ帰った母を

まだ充分に産後の休養をせぬ時期に

自分たちの家に戻るようにせかした

 

妻が出産の間に、小さな家を建てたのだ

 

赤子を連れて新築の家に戻るという

父なりのサプライズだったのだと思う

母が喜ぶと疑わなかったらしい

 

母にしてみれば

産後の体で、新築の家を掃除し、

赤子を抱えて引越しというとんでもない負担

 

人でなし~!

と思ったという笑い話

 

父は何でも思う通りにした

母は、昭和19年生まれの昔の女

 

父に従順だった

看護師の仕事も諦めた

 

看護師は天職であったと

亡くなってずいぶん経ってからわかった

 

日記に記されていた数々の想い

 

マヤ暦占いで出てきた母の人生の意味

「命」に向き合う、そんな人だったようだ

 

看護師として働き、

様々な境遇の子供たちを見ては泣き、

世界中の子供たちへの想いをよく語っていた

 

そして最期は自分の命と向き合った

 

無念だったと思う

やりたいことが山ほどあり、

心に熱い想いを秘めた人だった

 

親というものは、亡くなって

時間が経てば経つほど、

その存在の意味が浮き出し、見えてくる

 

父に仕え、様々な思いを封じ、

自分らしさを押し殺して生きたのだと思う

 

胃がんになった

 

そして、嘆きながら、悔いながら

あっという間に逝ってしまった

 

その後20年父は寂しい想いをして

今年の春にようやく母の所へ逝けた

 

無念を残した母が53歳でこの世を去ったので

私にとって、53歳は鬼門なのだ

 

たったそれだけのことで、

この52歳という歳をドキドキで過ごしている

 

が、きょう鍼の先生にその話をしたら・・

 

大丈夫だよ

あなたは元気!

 

と笑われた

 

1年くらい通っている鍼の先生が太鼓判押した

 

なんだかホッとするね

 

 

そんなこんなで、

私にやりたいことが山ほどあるのは

きっと母の怨念ではないかと思う

 

しかも、いい怨念

 

前向きで楽しい、いい怨念だよ

 

母も私も、ついでに娘も、

マヤ暦でいうところの

『黒KIN』ナンバー

 

黒KINというのは、

生まれ日からはじき出すのだけど、

こういうこと

 

元気でエネルギーにあふれて

やることがいっぱいあり、周りを影響する

 

そういう係として生まれてきたらしい

 

黒KINの数は少ないんだよ

なのに母娘3代続いてるって面白い

 

その中で、

母は、「命」がテーマ

 

私は、「豊かさ」

そして、「育てる」「プロデュースする」

 

確かにね、ピッタリなんだ

本物の豊かさを手に入れるマネークリニック

なんてやっちゃってるし

 

育てる、が使命で

子育て終わったらスタッフ育てて

セミナーやセッションでクライアント手伝って

 

全部好きでたまらないことだからね

 

楽しい人生生きてます

 

ただね、

 

すごい苦しいことがいっぱいあったんだな

 

未熟さや弱さが原因ではあったけど

とにかく、苦しいところをもがいてもがいて

 

ようやく広くて明るいところに出られたの

 

苦しい経験がなきゃ

きっと赤坂葉子じゃなかったと思う

 

わかるもの、クライアントが泣く意味が

怖がって進むのに時間かかる気持ちが

 

自分を信じられない情けなさも

人より劣っていると思い込むみじめさも

 

未来が怖くて震えることも

 

実はこっそりお腹の中にオバケを飼ってて

人間のお腹にはオバケがいるものだと信じ込んでる

その感覚、わかるもの

 

どんなふうに育てたら、

そんな怯えた人間に育つのかも知っている

 

なかなか興味深い自分の

モノクロ人生

 

後半戦はカラーになったのよ

45歳か46歳くらいからかな

私の人生はカラーになった

 

ガシガシ行くよ

 

最近急ぎ気味

もう52歳でしょ

 

指折ってみたらさ・・

そんなに長そうにもないじゃん

 

ちょっとだけ速足で行こうと思っているの

 

という感じで始まります

 

『ヨーコ物語☆52の話』

 

第1話 

読んでくださってありがとう❤

 

 

☆ ☆

PHOTO BY SAMMY

「さ、そろそろ行こうか・・靴はいて・・」の写真

東郷湖畔 あやめ池

 

 

 

 

 

 

メンタルコーチ 赤坂葉子です

 

一週間ほど書くのをお休みしておりました

通常の出張など、体がバタバタの時は書ける

移動中などはかえって書きやすいからね

 

が、脳みそがバタバタの時は…

書けない

 

スパッとお休みしちゃいます

 その時必要なことに集中っ‼

 

それにしても、暑い夏ですね

 

お体いたわってね

 

ママも、パパも、お姉さんも、

お兄さんも、じいちゃんばあちゃんも、

店員さんも、運転手さんも

ワンコもニャンコも、インコもね

 

みんな ほんと、

いたわってくださいませ

私も気を付けています

 

 

さて

 

この夏は、これでもかってくらい一生懸命勉強しました

 

ひとつは仕事をうまく進めるための「ビジネス」のスキル

もう一つは私のライフワークである「NLP心理学」をみっちりと

 

脳みそパンパン!ですが、学べることの幸せを深く感じています

周りのみんなへの感謝も心に温かく染みています

 

今回の学びの中で、印象に残ったことを書きたいと思います

 

皆さん、スマートホンはお持ちですか?

私ももはやスマホなしの生活は考えられないくらい頼り切って、活用しまくりの毎日です

 

このスマホ、ネットで繋がっているからあらゆる情報が得られますよね

いつでも誰かとの通信ができますよね

今更ですが、『ネットワーク端末』です

 

もし…これが繋がっていない端末だとしたら?

 

『ただの電卓』だよね

 

ん? ん~~そうだわ、ただの電卓。笑

 

 

私たち人間も、人と繋がってこそ機能する端末

単独で考えても実はあまり機能しない

 

困ったときはWi-Fiオン!

煮詰まったらすぐにWi-Fiオン!

 

人と繋がることで自分の持ってるものが活きるんですね~

自分だけで頑張らなくていいんですね~

 

その方がうんと人の役に立つんですね~

 

みんなでやるってHAPPYなこと♪

 

【愛あふれるエネルギーの高い場を作る】ことを頑張ってみようと決心しています

 

 

☆ ☆

電卓のくだりはNLP-JAPANラーニングセンターの足達先生より。ロバートディルツ先生のお話とおっしゃっていましたよ^^