見えるもの | I love ホットケーキ☆

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夢の中に訪ねて来たら、
一緒にご飯を、食べよう。
「美味しいね。」って言おう。
「愛してる」って言おう。
「ありがとう」って伝えよう。

ある時から突然にイエスの姿が見えるようになった、と言って顔や姿が見えるわけではない。彼が実際に私の実生活の中に影響力をもち、感情をしめし、様々な手段を通じて言葉を交わし始めたのです。驚くほどに小さな小さな祈りによって、人の目から不可能と想えるようなことが次から次からへと叶えられました。私は奇跡が単なる神の力の偉大さをしめすものではなく、神の働きであることを身をもって実感させられたのです。
只ひとつだけ、夜毎ひれ伏して泣きながら祈っても聞かれない祈りがありました。泣き、祈り疲れて眠る日が幾日も続き、泣きながら目の覚めることさえあったのです。私は眠りの中に逃げ込もうとし、睡眠薬が手放せなくなり、まるで夢遊病者のように深夜徘徊するようになった。薬が切れて我に返ると現実のすべての事がが夢を見ていたように錯覚した。。正気の中では絶えず神が聖書の言葉を示し語りかけてくるにもかかわらず、苦しみが襲ってくると私は我を忘れました。その頃つけていた祈りの日記を今読み返してみると、しっかりとした字のこともあるが、まるで寒さでかじかんだ指が書いているような字もある。そのなかで私は死を、一番望むようになっていた。最後の日記にはこう書いてある。「滅び行く者であった私をここに生かしてくださっているのはあなたです。このような者にさえ使命を与えてくださるのはあなたです。生きるのが使命ならば生きます、死ぬのが使命なら死にます。けれども必ず私を一粒の麦としてくださいますように、私の生死によって、死んでいるものが生き返りますように。私にはあなたに捧げるものも、供え物もありません。私の全てはあなたのものだからです。御心のままにお取り下さい。」けれども私はまだ、この世から取り去られてはいない。ひれ伏して祈ることしか、只、それしか出来ないのに。その頃はまるで「苦しみ」が私の使命の様だった。
この苦しみゆえに私は神の前にひれ伏すのかも知れない。死の陰に慣れ、叫びつかれた時は悪魔の時かもしれない。神の御前で祈る時、悪魔も潜んで聞き耳を立てているのに違いないから。
『主は与え、主は取られる。(けれども)主の御名ははほむべきかな。』ヨブ記1:21『私の顔は泣いて赤くなり、私のまぶたには死の陰がある。しかし、私の手には暴虐がなく、私の祈りはきよい。地よ。私の地をおおうな。私の叫びに休み場所を与えるな。』ヨブ記16:16~18