パーヴォ・ヤルヴィ N響 |  ヒマジンノ国

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昨日はNHKホールで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮、NHK交響楽団を聴いてきました。曲目はベルリオーズの「イタリアのハロルド」、プロコフィエフの交響曲4番。

 

ヤルヴィの実演は初めて聴きます。彼の音源は少しですが、持っていて、オーケストラから色彩的な音を出す人という印象です。その辺は実際に聴くとどうなんだろうと思い、興味深く聴きました。

 

確かに実演を聴くと、メリハリの利いた、艶のある音を出して、歌心もあって良かったです。先日聴いたヤノフスキの指揮が禁欲的だったのに比べると、開放的にも聴こえます。

 

1曲目のベルリオーズの「イタリアのハロルド」は好きな曲で、デュトワとズーカーマンの録音を愛聴してきました。デュトワの演奏はちょっと立体感に乏しい、平面的な演奏ですが、感性が優れていて、瑞々しい響きがします。実際コリン・デイビスみたいな感じだと地味すぎて、曲の美しさが出ないと思います(こちらの独奏はメニューイン)。

 

この曲は、管弦楽を地中海風のカラッとした感性でやって、ヴィオラの独奏は天から降ってきたように、フワッと弾いてくれると、ベルリオーズの鮮烈な感性に触れるようで、全体に艶やかな美しさが出ると思っています。

 

今回はかなり自分の理想に近い演奏で素晴らしかったです。タメスティの初めのヴィオラの入り方も魅力的で、ヤルヴィはN響から、瑞々しい音を出していました。明確で、鮮明です。これぞ「イタリアのハロルド」、という感じがしました。しかもヤルヴィはデュトワと違って、立体感も出せるので、フィナーレの迫力も理想的でした。ラストのオケの咆哮もバッチリ決まります。

 

個人的には第3楽章が美しく、牧歌的な雰囲気の中、セレナードの懐かしい美しさなども良く描き分けられていて、うっとりできました。

 

ヴィオラを弾く、タメスティは一所にじっとせず、オーケストラ内をうろうろしながら場所を変えて弾く様子は、ちょっとした小芝居で、原作のハロルドがイタリアの山々をうろつく様子を表していたようです。

 

 

↑、アントワン・タメスティ。今回のコンサートで初めて知りました(汗)。世界的にも有名なヴァイオリニストだそうです。「イタリアのハロルド」ではヴィオラの独奏部を彼が演奏しました。アンコールはバッハを披露(ヴァイオリンでやってるのか、と思っていたら、ヴィオラ版だそうです)。

 

後半はプロコフィエフの交響曲4番。自分はプロコフィエフの交響曲はほとんど聴いてこなかったので、今回は音源(マリン・オルソップのもの)を買って2度ほど聴いてから出かけました。録音を聴いて、割と聴きやすい曲だと思いながらも、意味は分からない曲だと思っていました。

 

ヤルヴィの演奏はテンポが良く、メリハリが効き、プロコフィエフの作る多彩な、変わった響きをテキパキと創造していきます。第1楽章はオーケストラが面白く鳴る部分が多数あり、聴き応えもありました。

 

第2楽章ぐらいまでは予想通り、響きは変わっているが、そんなに感動しない曲なんだなという印象でした。

 

大体プロコフィエフという作曲家は、存命当時、前衛といわれた作曲家で、一見聴きやすいメロディかと思わせて、そこに不協和音をつっ込んできて、和音で終わってほしいと持っている大衆を、裏切るような響きを作る人です。しかしそんな響きの音楽も、全体として聴いてみると、決してそこまで崩れ切っていなくて、まとまりがあるように書かれています。結局彼は、常識の範囲内で音楽を崩すのですが、その響きの反古典的な面白さが魅力かと思います。そして、この肩透かし的響きが上手くいくと、ヴァイオリン協奏曲1番のような、掴みどころのない幽玄な美しさとなったりします。

 

この交響曲4番も、掴みどころのない曲のように思えて仕方ありませんでした。

 

しかし第3楽章に入って、割と聴きやすいメヌエット風の音楽が繰り返し登場し、「ああ何かやっているな」と感じます。プロコフィエフはこの曲に自作のバレエ音楽「放蕩息子」からの引用を行っているようで、後で調べてみると、メヌエット風の音楽がその引用部分のようです。(イタリアのハロルドのハロルドと共に、放蕩息子も旅に出るキャラクターのようです)。

 

そして、この幾分滑稽さを湛えた、メヌエットの描写的な音楽を聴いているうちに、自分は引き込まれて、なんだか楽しくなってきました。

 

そして第4楽章、フィナーレですが、複数の変わった響きのメロディがリズムよく繰り返されていきます。ここでもその響きは「肩透かし的」で、聴き手を舐めているとしか思えません。「この人、人を小バカにしているな」という感じが自分の心中で浮かんできます。そしてそのメロディが、次々と継ぎ合わされて、リズムに乗って、遂には陶酔的な響きを作り上げていきます。ヤルヴィの指揮はきびきびとして、楽相の彫りも深く明確です。

 

この第4楽章の後半から自分はおかしくてしょうがなくなってきました。明らかに作曲家は人を小バカにしながら、自分に酔っている風なのです(本物の放蕩息子です)。滑稽な音楽なんですが、熱量が高い。ラストはオーケストラが大音量で鳴りますが、連続で聴いてくると、ここはそんな滑稽な作曲家そのものへの賛歌であることがはっきりします(プロコフィエフは自分で自分を褒めている)。「何この音楽」って自分は正直思いました。言葉にしづらいですが、人をバカにする自分を肯定する音楽、といえば良いのでしょうか?プロコフィエフはそんな変わった音楽を、心から喜んで書いているようです。何だこれ?

 

これは一種の狂気なんでしょうが、こんな音楽を堂々と描くプロコフィエフのシニカルな思考は完全に変わり者のそれです。

 

帰って来てから録音でこの部分をもう1度確かめたのですが、同じ感動は得られません。やはりあの快活なテンポと、メロディの性格を明確に描ける指揮者じゃないと、音楽の意味は浮かび上がってきませんね。

 

まあ、こんな変わった音楽、日常聴く人はほとんどいないとは思いますが。多くの人が思っている、クラシックの理想とは異なる音楽だと思いました。

 

ウーム、なんていって良いのやら。

 

・・・ということで、正直かなり面白いコンサートでした。情報量が結構あって、イタリアのハロルドは理想的な演奏だと感じましたし、プロコフィエフのシニカルな音楽を発見できたのは、ヤルヴィのお陰です。