<躓きの石としてのブルックナー>
あんまりブルックナーの話題に偏るのもなんですが、当時の評論界の趨勢について語るには便利なので、もう少し続けます。
↑、吉田秀和(1913-2012)。いわゆる、戦後の代表的な日本の音楽評論家。終戦直後(1950年代)、ヨーロッパや米国などの諸外国へ、日本国一般市民が自由に旅行できる権利はなく(一般市民の外国旅行自由化は1964年)、その権利を行使できるのは商用、留学、研究など公式な目的を持つ人物に限られていました。不思議と日本は古くから西洋音楽が盛んで、戦前・戦中では堀内敬三氏や、野村光一氏、渡辺護氏などが欧米での留学経験がありました。しかし、戦後敗戦したばかりの日本で、そのような留学経験のある評論家がいなかったために、この吉田秀和氏や、山根銀二氏、遠山一行氏などが公の目的で、欧米への留学や視察を行いました。当然彼らは非常なエリートで、優秀な人材でした。そこで彼らはフルトヴェングラーや、トスカニーニ、マリア・カラスなどを聴き、その延長線上に評論を展開させることができました。吉田氏は長生きしたこともあり、戦後の日本のクラシック音楽評論家界で重鎮的な存在だったと思います。
さて、そんな吉田氏にしてみると、元々ブルックナーは大して興味をそそるような作曲家ではなく、同時代の交響曲作家であれば当然のようにブラームスを推します。吉田氏は時代ごとに意見を変えており、特に晩年はブルックナーも支持しています。ただ元来はブラームスの如き、やや学者然とした考え方の持ち主だったような気がしています。
彼のブラームスに対する批評を見てみます。
<まず、彼の表玄関たる管弦楽作品から、選びだすことにしても、彼の4曲ある交響曲は、どれも、みな、ほとんど同じぐらいに完璧だ。「第1交響曲」は伝記的に重要であるばかりでなく、悲壮な力動感にみちみちた傑作だ。以下どれもくずがない。>(「名曲300選」から)
と絶賛し、ブラームス嫌いの宇野氏とは対照的です。宇野氏が指揮者ではカラヤン、作曲家ではブラームスを認めなかったのは有名でした。以下は吉田氏の解説です。
<リスト、ヴァーグナーにいたって、ロマン派の色彩的・標題的・心理的な和声の追求は、前に述べたように、17世紀以降のヨーロッパ音楽の骨幹をなす長調短調の全音階による調性の体系の崩壊にみちびく戸口まで到達したのだが、これは同時に、古典派以来のソナタ形式を中心とする形式感の安定をひどくゆさぶることにもなったのだ。これは、ヴァーグナーの音楽をきいてみればわかる。彼の音楽には、それ以前の音楽での意味での形式感は全く欠如している。音楽は劇の展開と同時に、無限旋律的に、つきることなく流れるが、そのどこにも≪形≫はない。
ブラームスは、それを危機としてうけとった。そうして、音楽をもう一度、感情のほしいままの奔流とせず、音に造形された構成の芸術にもどそうとする。といって、彼は、20世紀の意味での≪純粋音楽家≫では、まったくない。彼も、また、骨の髄から時代の子、つまりロマン派的芸術家なのだ。ただ、彼は無形体に耐えられなかった。>(「名曲300選」から)
吉田氏のいうところの「音楽の形」がブラームスの作品では、はっきりしています。これは、当時(ブラームス存命時)認識されませんでしたが、必ずしも旧態に戻ろうとする運動ではなく、それまでの音楽の形態の蓄積によって生まれた、新しい考え方であったともいえます。
それは「音楽学」とも結びつく様な、ものの見方です。
↑、吉田秀和著、「名曲300選」。有名な作曲家を紹介しながら、その作曲家の聴くべき曲を選んで、300曲選出しています。吉田氏にしても割と初期の書籍のようで、現代ではちょっと古さを感じさせる内容かもしれません。その分吉田氏の本音が良く分かるような気がします。
指揮者のジョン・マウチェリが「音楽学」という学問の成立の過程理由を、以下のように簡単に述べています。
<ワーグナーが古代ギリシアの哲学を読み取ろうとしていたのに対して、ブラームスは過去の作曲家たちの手稿譜をせっせと蒐集し、フーガ―――1700年代にヨハン・セバスティアン・バッハによって最終的な完成形を見た―――や、パッサカリア―――といった、世間では忘れられていた音楽形式をさかんに用いることで、自分の音楽を日々演奏される同時代の、そして常に進化するドイツ音楽に結びつけた。
ブラームスが古い時代の音楽形式に興味を持ち、過去とつながりを求めたことで、「音楽学」という新たな学問への道が開かれた。「音楽学」は世界中ほとんどすべての音楽系大学で教えられており、修了すれば最高位の学位である博士号〔phD〕を取得できる。>
当初、音楽が人間の内面的で、抑制のない情熱的発露であった時、おそらくは音楽的な形式はまだ未分化であったでしょう。それが五線譜と音階の確立、また、そこから生み出される、音楽としての形式が数世紀を経て大量に生み出され、ストックができたことによって、それらを駆使することでも「新たな」音楽ができることを証明したのが、ブラームスであったといえましょう。既に「形式化」したものを使って、新たな「形」を作る行為です。
↑、ジョン・マウチェリ「20世紀のクラシック音楽を取り戻す」。指揮者マウチェリが、今の音楽界の危機の原因を、今では過去となった、20世紀の歴史から紐解いていきます。本当は自分はこの問題について書きたかったのですが、今書いているようなことを書いてからしか、まとめられないと思い、ここで評論家論を書いています。
さて、話を戻しますが、しかし、ここには微妙な矛盾が含まれます。結局音楽的な「初めの」衝動は、本来「形」を持って生まれてこないという事実です。
ベートーヴェンは新しい表現を求めて繰り返し「書き直し」を行いました。「書き直し」をしなければ、彼の求める「内面的な衝動」を受け止める「形」が作れなかったのです。
本来であれば「形」の造形は、まず「とらえどころのない内面」であり、それを現実化するために、現実と折衷するように「形式化」するわけです。順序からいえば「形式」は必ず「先」にはならず、「後」であるわけです。
そしてこの「後」の「形式」を強調する立場、というものこそが世間一般でいう、「学者」的態度であり、ワーグナーのいう、カリカチュアのベックメッサ―(ハンスリック)的な立場といえます。そしてその「学者的立場」が可能になったのが、近代ともいえます。
「形」から「形」を生む行為は、見方を変えれば「目的」と「結果」の順序を逆転しかねません。
ブルックナーのように、自分の求めるものを探して、繰り返し「書き直し」をするような作曲家は、吉田氏の「知性的認識」には簡単には触れないわけです。また同時に、ブルックナーの持つ形式感はブラームスやベートーヴェンに比べても、弱く、完成度の高さは一歩譲るでしょう(第8や第3の初稿などは下手をすれば,、技術的問題はともかく、内容の統合的な意味合いにおいては、習作レベルです)。
もっといえば、ベートーヴェンでさえ、完成度ではブラームスに1歩を譲ることになります。未完の形態と、完成形の入り混じったブルックナーの音楽の完成度に、吉田氏が不満を覚えても何の不思議もありません(ブラームスも第1交響曲などは繰り返し書き直していますが)。
↑、過去記事です。ブラームスの第1に対する、簡単な論考です。
吉田氏は当時の欧米的な考えに追随した、学者的資質の持ち主だったように思います。ですから「結果」として見えている事には充分すぎるほどの見識を持ち、理解もありますが、ブルックナーのような、「何を書いた」とも表現されていないような音楽を理解するには、能力が欠けていたように思います。
以下も吉田氏の独白です。
<私が好んでブルックナーをきくようになったのは、比較的最近のことだ。最近といっても、十年以上はたっているだろうが、それにしても、私がブルックナーを自分のために発見したのは、ひどくおそくなってからだ。
初めて外国に行ったとき、ロンドンの楽譜の出版社、ブージー・アンド・ホークスの事務所で、たまたま居合わせたポーランド系の声楽家にひきあわされた。そのとき、彼女はドイツにいったら、最大のききものはクナパーツブッシュの指揮でブルックナーを聴くことで、これは何がなんでもききのがさないように、といった。
まさにそのあと、ザルツブルグの音楽祭に出かけたら、そのクナッパーツブッシュがブルックナーをやるのにぶつかった。彼はヴィーン・フィルハーモニーを指揮してブルックナーの第7交響曲を演奏したのだ。
ところが私は、その演奏を聴きながら、ぐうぐう眠ってしまった。第2楽章(アダージョ)の途中で、眠りこけてしまった私は、ふっと目がさめたら、まだその楽章が続いているのを知り、すっかりびっくりした、なんと長ったらしい音楽だと思ったものだ。やっと、そのアダージョが終わったら、それに続くスケルツオで、短短長長のリズムの無限のくり返しにつきあわされたのにも閉口した。要するに、私には何も分からなかったのだ。
それでいて、あとで、ドイツ人に会ったとき、ブルックナーはただ長いばかりで閉口だといったら、「そう、お前には、まだ分かるまい」といわれたときは、とてもくやしかった。「精神的背景が、まるで、理解のほかだろうから」と、その男はいい、「日本人はまだせいぜい、ベートーヴェンかブラームスどまりなのだろう」とも、つけ加えた。>(吉田秀和「私の好きな曲」から)
↑、吉田秀和著「私の好きな曲」。これは吉田氏にしても割と後年に書かれたものだと思います。楽譜なども紹介しながら、吉田氏らしい楽曲の緻密な論評が述べられています。
以前1度書きましたが、ブルックナーを理解するには、「標題」無しで、一種の宗教的風景画ともいうべき表現を、聴き手自身の感性でとらえなくてはなりません。特にクラシック音楽に関していえば、初めて聴く作品に対して、本来「外国人」である、我々日本人には、「回答」のない表現を聴き取る感性を、持ち合わせている必要があるように思われます。そしてこの能力に優れていたのが、宇野功芳氏だったといえると思います。
鋭い感性で、物事を見抜く能力が優れていたのが、宇野氏であったと思います。
しかし他方で、その批評能力のためかどうかは知りませんが、彼は客観性を欠き、自分の感性に重きを置きすぎていたきらいもあります。
彼の立場は学者的な吉田氏とは違い、もっと実際的でした。まず音楽の順序は、先も書たような「形式」が優先されるのではなく、「書かれた内容」が優先されるべきであり、楽譜が「どう書かれたか」ではなく、「何を書こうとして、書かれたか」を問題にしています。
そのために演奏家は、形式的に、楽譜を正確に演奏すべきではなく、何を目的に書かれているのかを表現すべきだとしています。
そうなれば当然、演奏家は作曲家の僕として、その内容を汲み取って表現すべきだ、ということになるでしょう。そのためなら多少なりともアンサンブルが乱れようが必ずしも問題とならない、としています。
有名な1947年演奏の、ティタニア・パラストでのフルトヴェングラーの運命の、宇野氏の論評です。
第2次世界大戦後、ドイツ音楽の権威であったフルトヴェングラーは、非ナチ化の裁判を終え、やっとのこと指揮台に戻ってきます。その際に演奏したベートーヴェンの5番は、彼の感情が爆発した、非常に内容が濃いものでした。
宇野氏はそれを次のように書きました。
<全4楽章を通じてアンサンブルの乱れが多く、オケが下手に聴こえるほどだが、これこそ、たった今生まれた音楽なのだ。ここでは、フルトヴェングラーが音楽と一体化し、溺れ、感動し、十二分に個性を発揮すればするほど、ますますベートーヴェンも生きるという理想的な演奏になっている。まさに”ベートーヴェンの音楽の力強い作用力が発揮され、彼の思想は照らし出された”のである。>(宇野功芳著、フルトヴェングラーの全名演名盤から)
まさに宇野氏が書いた如く、この演奏は聴こえる演奏です。
↑、1947年の記録。CD。
ベートーヴェンの第5交響曲は、作曲家自身が担わざるを得なかった、自身の「運命」への怨念というべきものへの怒りが、初めの楽章で表現されています。
果たして指揮者がこの「怒り」を表現する際、作曲者同様に「怒り」を抱えていたのなら?それを音楽の演奏に乗せていくことができるのなら、演奏は素晴らしいものになるに違いありません。
戦後初となる演奏会で、フルトヴェングラーはその怒りを音楽にぶつけていきます。その怒りは何なのでしょうか?自分が非ナチ化裁判を受けなければいけなかったことでしょうか?それともヒトラーと連合国に破壊されたドイツに対する怒りなのでしょうか?
それがどんなものであれ、この第5交響曲の演奏を支えるのは、全き本物の「怒り」と、それを人々に訴えようとする、1演奏者の真実の感情です。おかげで音楽は隅々まで「意味」を持ち、音楽の意味を一切逸脱しません。
楽譜を正確に演奏すれば果たしてこうはいくでしょうか?演奏者が「正確さ」に感情を払えば払うほど、当然大衆はそれを読み取ります。そして音楽は「内的な意味」を失いかねません。
しかしこのような、フルトヴェングラーの演奏は多少の演奏の乱れがあっても、音楽は「内的な意味」をむしろ「正確に」確保しつつ、強力なメッセージを大衆に届けます。そしてそれこそが本来ベートーヴェンの音楽が持ていた力なのではないか、というのが宇野氏の立場だったと思います。




