2022年以降・・・その2 |  ヒマジンノ国

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地球での課題をクリアするのには、本来20回ほど人間は生まれ変わりを繰り返すのだそうです。

 

しかし、逆に生まれてきた時よりも、人生の修行をさぼって、魂のレベルを落としてしまうこともあるようです。その際は我々の身近にいる、ペットや家畜などに生まれ変わることも多いそうです。

 

人間というのは、必ずしも魂のレベルから見ると高い存在ではないことが多いようですが、それでも我々は長い年月を通して、本来であれば、人間として学べるレベルに成長してきている存在だということです。

 

また、今まで人間になったことのない存在が、人間になる直前になるのが、ペットとか家畜とかいうケースも多いようです。科学では猿とかチンパンジーが人間に1番近いとされますが、必ずしも魂の視点で見るとそうではなく、身近にいる存在の方が、我々に近いということになります。

 

ラー文書から引用します。

 

「私はラー。第3密度の周期のあいだに、第2密度を卒業して転生してくるケースが最も多いのが、あなたがたがペットと呼ぶ存在たちでしょう。動物と第3密度の存在のあいだに絆が結ばれた場合、それがその動物の個別化をうながします。そうした影響下に置かれると、そうした個別化が、その第2密度の存在の潜在能力をぐっと引き上げることになります。そのため、その存在が身体複合体としての在り方を終えると、その靈/身体複合体は、言うなればその種の未分化の意識に戻っていくことはないのです。」

 

いうなれば、ペットや家畜を育てるというのは、次世代の人類を育てているといっても良いのかもしれません。しかし、逆に考えれば、家畜などを食い尽くすような行為は、我々にとってみると必ずしも善い行いとはいえないように思えます。

 

特に昔から日月神示などでは、食にまつわる書き込みがあることで有名です。次の言葉は、日月神示の「五十黙示録」からです。

 

「四つ足を食ってはならん。共食いとなるぞ。草木から動物生まれると申してあろう。臣民の食べ物は、五穀野菜の類であるぞ。」

 

進化論のような、今いわれている、科学的見地からではなく、魂の視点から見ると、それぞれの存在の立場によって、あり方が決められている部分があるということです。

 

おそらく本当に世の立て替えがおこなわれるのなら、「肉食」は無くなっていくと思われます。また、現状でも「肉食」を行うと私たちは靈性を落とす可能性があることが、「大日月地神示」には述べられています。

 

 

 

 

 

・・・さて、この手の話で基本的になりそうなことを以上に簡単に書きました。もっと詳しく書こうと思えば書けますが、煩瑣になるので止めます。細かいことを書いてらっしゃる方もいると思うので、興味があれば調べてみてください。

 

また、守護神を頼れ、などといいますが、どうやれば良いのか、という話にもなるでしょう。それはまず自分の心に尋ねてみることです。魂と心は繋がっているそうです。今の自分の心模様が魂の状態です。魂の波長を見るには自分の心模様を見るしかありません。

 

波長が合えば守護神と息が合うといいます。また佐藤さんの本から、守護神に関わる部分を、まとめて引用していきます。

 

「肉体の先祖を祭ると同じように魂の先祖の神様も祭ってください。自分の魂の生みの親である神に感謝し、自分の魂の親である守護神と一体化できるように努めてください。心が真っ白くなって、心が真っすぐになって、守護神様とイキが合う(心が合う)と、守護神様が体の中にはいってきて二心一体となります。守護神様と解け合うことがまず第1段階の目標です。

 

誰の体にも神は降りて来ます。もともとすべての人は神の子であり、肉体は神社だからです。

 

それから、私は神様や靈が見えて話ができますが、これは私の体質です。靈媒体質とでもいうのでしょうか。そのような人は、日本じゅう、世界じゅうにたくさんいます。

 

しかし、神様や靈が見えることと、神が体に降りる降りないとはまったく関係ないのです。見えない人にも神は降り立ちます。きれいな心で生きていれば、いつでも、どこでも降りて来られます。心がきれいな人は神に助けられて、知らない所で守られて生きているのです。

 

神様が降りるとか見えるとか言う人、空気中からものを出す人、または靈能者と呼ばれる人が神様のいる所に近い人と勘違いしてしまいますが、見える、聞こえるは、ただの体質であって、そんなことと、ほんとうの神様との接点とはまったく関係ないのです。見えようが見えなかろうが、神様に会える人は会えるのです。神様が向こうからやって来てくれると思ってはいけません。みずからが神様のいる所まで出かけなくては会えないのです。

 

神様のいる所に行けるかどうかは、ただ一つ、『心のもち方』次第なのです。みずからが神の子であると言う自覚を持ち、神とイキ(呼吸・意気・心)を合わせるように生きることを始めれば、神のいる所を歩き始めているのです。神々がたくさんおられる所を歩けるかどうかは、どんな心で生き、どんな人生を送っているかだけにかかっているのです。ですから、宗教に入っていなくても、会える人は会えるのです。」

 

とのこと(より詳しいことは、新しい神示である、「大日月地神示」をお読みください、特に「後巻」の音読が求められます、その場合は靈験などがあり、実際に守護靈との交流があるとしています、この点は特に留意する必要があると思います、新しい事実として認識する必要があるといえます)。

 

他にも、祈りなども効果があると思います。

 

しかし、外部の状況に、欲望などによって、心が動かされるようなときは、心に問題があることが多いですね。そういう場合は、自らの考えなどに問題があるとして、修正していく必要があります。結局それが1番大変だったりするんですが(;^ω^)。

 

また人生で大きな感動にあっているときは、実は神に出会っているといいますね。

 

何だか、怖いことも含めてぞろぞろと書いてきましたが、無暗に怖がっても意味がないので、まずはいかに普通に暮らすか、ということを考えていくのが、個人的には良いと考えています。特別な修行とかはいらない、ということです。普段から、私たちは如何に人間らしく生活できるか、ということだと思います。

 

そして、世の立て替えなるものが本当にあるのならば、従来いわれてきた、社会で成功するためには努力しろ、というようなもっともらしい言葉なども、無理して信じる必要はない、ということでしょう。もう無理して、必要以上に争う必要はないということです(それでも生活に必要なことはしなければなりません)。

 

今ある社会的な成功や名声を元にせずとも、それぞれの人間が喜べる、また、楽しめる生き方を、本気で考えても良い時期になってきているといえると思います。当然急激には変わりませんが、徐々に変わっていくと思います。

 

人間大体不安とか恐怖を感じるのは、物事を知らないから、ということが多いので、そこをクリアするように努めるのが1番かと思います。

 

 

↑、「大日月地神示」、有名な「日月神示」の続編ともいわれています。現代の神示といって良いと思います。読む価値はあると思います。

 

最後にある神様(現在では、靈的存在とでもいうべきかも知れません)からの言葉が、佐藤さんの本に載っていますので、転載して終わりにいたします。

 

「神様がいま人びとに求めているのは、心のもち方です。心一つで幸福にも不幸にもなります。また他人を幸福にするのも心一つです。幸福とは何かを考えてみることです。行動とは何かを考えてみることです。

 

考えを深いところにもつほど、神様の心に近づきます。考えはこれで終わりということはないのです。深く他人のことを考えてみる心は自分の心を美しく導きます。自分中心に考える人の心はけっして美しくなりません。神々が自分中心に物ごとを考えるということはないのです。

 

自分がつらい、悲しい、理解してほしいと思うまえに、周りの他人のことを考えてみてください。人はみんな同じことで悩み、苦しみ、悲しんでいます。すべてはわがままから不幸が始まります。わがままは他人に迷惑をかけ他人を不幸にします。まず、自分のわがままから直してください。

 

自分が周りの人のことを想うことで、いつかきっと周りを幸福にしていることに気づきます。そして、周りはそのことに感謝をし、また見習っていこうとしだします。そのような考えをもつことは神の心に近づくことになります。

 

まずは他人の立場になって物ごとを考えることです。そして、自分は他人に迷惑をかけていないか反省することです。甘えは時として他人に大きな迷惑をかけます。人間はいずれすべての人が平等に死を迎えます。死してまた同じところでみなが逢えることはめったにないのです。

 

恋人も、親も、兄弟も、夫も、妻も、死して行き先が違うのですから、いまここでめぐり逢っている人びとはそれぞれこの現在だけのつき合いなのです。ですから、死してはもう、謝れない、そして尽くせない、何もしてあげられないし、してもらえない。そう思って現在のこのときを大切に、他人を大切に、他人の心を大切に生きねばなりません。

 

そう生きることがカルマを刈ることであり、神の星に行き着くことであり、悔いなく死に、悔いなく別れられるようときを過ごさねばなりません。他人の心を傷つけることは、神様から見ていかようにも許しがたいことです。他人の心を想いやって、肉体の欲求するわがままを克服することが一番の修行と想うことです。

 

ここにいたい、これがやりたい、あれがほしい、欲求は素直に受け止めていいのですが、他人に迷惑をかけていないか、まず考えてから行動することです。そして、他人の幸福に力を貸し助け合うことが、人間として生まれて来た満足行ける人生と考えて日々を送ってほしいものです。」