ヨーゼフ・カルベルトの芸術 |  ヒマジンノ国

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ヨーゼフ・カイルベルトによる「名演集」。
 
SNA25016ーTー1~SNA25016ーTー5。LP5枚組。
 
 
今回オリジナルではありませんが、テレフンケンのレコードを初めて買いました。音質は思っていた以上に優秀で、線の太い力強い音が飛び出してきました。さすがにドイツの有名メーカーです。
 
これは、そのテレフンケンを代表するアーティストの1人、ヨーゼフ・カイルベルト(1908-1968)の演奏を集めたボックスになります。
 
カイルベルトはカラヤンと同じ年に生まれましたが、早くに亡くなったために、いささか地味な存在として扱われています。しかし、フランツ・コンヴィチュニー、ヨーゼフ・クリップス、あるいはクレメンス・クラウスなど、ドイツ(あるいはオーストリア)の伝統を正当に引き継いだ名指揮者に、彼も数えられることは間違いがなく、その芸術は素晴らしいと思ます。
 
この時代の演奏家は今の時代ほど、インターナショナルなことを意識せずに済んだのだろうと思いますね。今の指揮者はオーケストラの音色を、大衆を意識して、各自指揮者の好みにデザインしていることが多いように思えます。個人的な考えですが、カラヤンやチェリビダッケの影響が大きいのだと感じています(いわるゆる指揮のスペシャリストというような感じです、曲は指揮そのものの魅力を引き出す手引きに過ぎないというやり方)。指揮と曲とが一体ではなく、それぞれ独自の位置を占め始めているような感じでしょうか。アバドの晩年は非常にカラフルな演奏でしたし、作曲家ごとに雰囲気を変えていました。サイモン・ラトルは時にモダンとピリオドをない交ぜにしたような、ガラス細工のような演奏で、ティーレマンやネルソンスのような異常に丁寧な演奏は、チェリビダッケの演奏を無視しては語れない気がします。最近の指揮者はそれぞれ独自のカラーを、意識的に出していると思う時があります。
 
この流行のスタイルはスター指揮者といわれる人に増えましたかね。チェリビダッケはスターとはまた違いましたけど(;^ω^)・・・。こういうやり方だと、曲そのものを聴かせる、というより、指揮者の高度な技術を聴かせる感じになっていきやすいですね。
 
しかし、カイルベルトやコンヴィチュニーなどは、曲と指揮の間柄がまだまだ曖昧で、ドイツ人がドイツ人のために演奏しているという感じでしょうか。オーケストラの音色も地のまま。しかしその分脚色されないドイツ音楽の魅力があるということでしょう。彼らの個性も意識して表現されたものでなく、自然と滲み出てくる感じだと思います。
 
カイルベルトの演奏は、重厚で力強く、太い音が魅力で、男性的な迫力が良く出ます。音楽を鋭くまとめてしまうハンガリー系の指揮者たち、セルやショルティ、あるいは伝統とユニヴァーサルな傾向を合成させたカラヤンとはまた一味違う、豪放磊落さで、男らしい演奏だと思います。
 
このボックスの収録曲は以下の通り。
 
ハイドン交響曲101番「時計」(1957)バンベルグ響。モーツアルト、ジュピター交響曲(1959)バンベルグ響。
ベートーヴェン交響曲8番(1958)ハンブルグ響。エグモント序曲、レオノーレ序曲(1960)ベルリン・フィル。
ブラームス交響曲1番(1950)ベルリン・フィル。
スメタナ、モルダウ。ドヴォルザーク、スロヴェニア舞曲(スラヴ舞曲、1956)バンベルグ響。
メンデルスゾーン、ボヘミアの森と草原序曲、フィンガルの洞窟序曲(1961)バンベルグ響。
R・シュトラウス、ティル・オイレンシュピーの愉快な悪戯、ドン・ファン(1961)ベルリン・フィル。
 
LP自体、全てステレオ表記になっていますが、モノラル音源をいくつか含んでいます(疑似ステレオ盤かは不明)。
 
どの演奏も面白いです。しかし、個人的にモーツアルトはちょっと落ちますね。モーツアルトは古典的で音楽の内部には引き締まった力が宿っていますが、その部分に演奏家が注力しすぎると、曲が少し乱暴に響きます。カイルベルトは男らしすぎるというか。そうなるとモーツアルト独特の、フレッシュな官能性が後退します。この作曲家の曲を聴く楽しみが後退しますね。いうなればもっとユニセックス的な雰囲気がモーツアルトにはあります。片や、同じ古典の、ハイドンは力強さが躍動感となって、良かったです。
 
ベートーヴェンとブラームスは特別素晴らしいと思います。筋肉質のカイルベルトの演奏が生きます。躍動感と重厚さが、充実した音楽を作り出していきます。ブラームスはアナログ盤で聴いたもののうち、これが1番面白いと思ったぐらいです(カラヤンやクレンペラーと比べても「面白さ」ではこれが1番かと思いました)。1つはっきりといえるのは、この手の指揮者の演奏は演奏のどの部分にも「意味」があるということです。
 
近ごろの指揮者は時に曲の「意味」より「美しさ」を優先することがあります。変な例えですが、漢字の「訓読み」ではなく「音読み」を優先するみたいな。しかしカイルベルトの指揮は一時も「曲の意味」を離れることがありません。「曲」そのものを聴きたいという人には、やはりこういうスタイルの演奏が良いと思いますね。誠実さがあります。曲の意味がぐんぐん伝わってきます。
 
スメタナやメンデスゾーンも良いですが、カイルベルトはR・シュトラウスも素晴らしいと思います。R・シュトラウスも正直、名指揮者のカール・ベームよりも良いのではないかと思うぐらいです。最近手に入れたのですがシュトラウスのオペラも素晴らしいので、カイルベルトはこれらも得意にしているといって良いと思います。
 
R・シュトラウスの管弦楽は非常に精緻ですが、旋律の線が細いので聴き取りにくい時が多々あります。ベームの演奏だとそれが割とそのまま出ますが、カイルベルトだとしっかりとした太い線で表現してくれるので、聴きやすいです。ここではモーツアルトの時のように曲の官能性が壊れることも無いので、楽しめます。
 
 
 
 
↑、ベートーヴェンのエグモント序曲。筋肉質の力強い演奏です。野太い遠吠えのような迫力と、力感ある躍動を感じさせます。こういう演奏はベート―ヴェンに合いますね。名演です(パチノイズあります(;^ω^))。