逃亡派 |  ヒマジンノ国

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いくつか同時に本を読んでいますが、もう1年以上も読み終わってない本もあります(^^;。その中でも比較的最近読み終わった本の感想を、書いておきます。

 

 

ポーランドの作家、オルガ・トカルチュク(1962-)の小説は2冊目。以前に読み終わった、「昼の家、夜の家」の感想はブログに書いたことがあります。

 

その後2018年にトカルチュクはノーベル文学賞を受賞し、世界的に有名になったようです。

 

 

元々心理学を専攻し、セラピストとして活動していたようですが、後に小説家に転職したとのこと。「昼の家、夜の家」はポーランドのノヴァ・ルタという場所を舞台にしながら、複数の関連性があり、象徴性を内包したモチーフ、キノコ、オオカミ、聖人などについて書かれた物語が、緩い関連性を持ちながら、全体としてまとまりのある作品になっていました。

 

今回の「逃亡派」もほぼ手法は同じといえると思います。そのテーマは「旅」です。「旅」をモチーフにして、そこから派生する、地図、人体の地図である臓器たち、など各テーマが、それぞれ部分として小文になって成り立っており、それが表面的には関係ないにしろ、象徴的な意味合いにおいて、関連させられています。

 

象徴性があるということは、厳密な意味が決められることはないということでもあるので、そこには「モチーフ」を主体にした、無限大のイメージがついて回るということになります。

 

個人的には「昼の家、夜の家」のほうが物悲しいとはいえ、ほのぼのとしていて好きでした。今作は自分の感覚からすると割とグロテスクなことも書かれていたりして、好みからは外れるような気がします。しかしその分、哲学的な側面は強くなり、深くなったと思いました。

 

一見無関係に見えながら、それぞれに語られる物語の異なったモチーフの関連性が深くなったという印象があります。

 

異なる世界が実は心の深いところで繋がっていると感じさせます。

 

しかしここでいう「逃亡派」(実際の逃亡派の、本来のセクトの意味は本書の解説にあります。ここではあくまで個人的な感想と解釈で書いています)の「逃亡」は、現実世界からの逃避、というような感じもついて回ります。「逃亡」とは時に「分離」でもあって、まとまりよりも、「前進」であり、「回帰」ではありません。

 

ですがこれら小文が内面的なつながりを持つことによって、実は「まとまり」でもあるということでもあります。全体は細部に宿る、あるいは、細部は全体の一部である、ということを思い起こさせる小説です。確かにこれは物語の小宇宙かもしれません。

 

読後の感慨はノヴァ・ルタの物語よりもこちらの方が深いです。深層心理に影響するような部分があると思える小説です。

 

どの断片も決して何かしらを決めてかかるような内容ではなく、詩的で、読者に判断を委ねているような側面があります。ですから読み手によって色々な取り方があるように配慮されているように思います。

 

読み終わるまで割と時間がかかりましたが、読んで良かったと思える内容でした。