今年は実家に帰らないので、ブログを書く時間ができてしまった(;^ω^)。このブログで今年最後にします。
他にも、今年はクラシック・コンサートに行きたかったのですが、結局コロナ騒動のせいで行けませんでした。ベートーヴェン生誕250年という記念すべき年でしたが、クラシック愛好家にしてみると、散々というべきですかね。
自分は部屋にこもって音楽を聴くことばかりでした。
250年の記念イヤー、レコードでベートーヴェンの交響曲を聴くのですが、初期ステレオのレコードで人気があるのは、オットー・クレンペラー(コロンビア)、エルネスト・アンセルメ(デッカ)、アンドレ・クリュイタンス(HMV)などの全集でしょうか。これらのオリジナル・レコードは非常に高価で、めったに売りに出されません。全て聴きたいなら、何万円もかけて、しかも何年にも渡って集めなければなりません(レコード・クラオタの葛藤です(;´Д`))。
同様に、フランツ・コンヴィチュニーのベートーヴェンも人気があって、オリジナル(V字ステレオと呼ばれるシリーズ)は、イギリス系のレコードである、上の指揮者たちのレコードの価値と変わらないですね(コンヴィチュニーはドイツ系の、エテルナによるレコードが多いです)。
自分も聴きたいので、個人的にはオリジナルでなくとも、2版ぐらいのレコードで良いと思って、見つけると買っています。しかし、クリュイタンスやアンセルメは、2版もほとんど見ませんね(;^ω^)。
コンヴィチュニーに限っていうと、不思議と2版はヤフオフで、手ごろな値段で出回っています。なので、およそ1年かけて、「黒ステレオ」と呼ばれる、2版のコンヴィチュニーのレコードを集めてみました。音質も良好だと思います。
交響曲1番、8番。825411。
交響曲3番。825412。
交響曲4番。825413。
交響曲5番。825414。
交響曲6番。825415。
交響曲7番。825416。
交響曲2番、9番。825417-825418。
品性もなく、ずらずらと並べてしまった(;^ω^)。
ジャケットはミケランジェロの描いた、システィナ礼拝堂の天井画で統一されています。題名が分からないのが多いですが・・・。4番はデルフォイの巫女、6番はアダムとイヴの原罪、9番はアダムの創造ですかね。ミケランジェロとベートーヴェンの偉業を重ね合わせているのでしょうか。
内容は、重厚で落ち着いた交響曲全集です。ドイツ音楽の伝統を受け継ぐ、コンヴィチュニーが、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を用いて、1959年から1961年にかけて録音をしました。演奏は、奇をてらわない格調高い表現だと思います。
前のめりになることなく、曲の造形をしっかりと表現しており、聴き応えは充分ですね(^O^)/。コンヴィチュニーによる、特有の艶のある音色も素晴らしいです。個人的に好みなのは3番、4番、5番、6番、7番ですね。立派な表現です。
しかし・・・年末なので、第9番交響曲の音を載せておきます。第1楽章からです。
いわずとしれた、ベートーヴェンの人生の総決算というべき、名曲です。
↑、第1楽章の初めです。
↑、展開部に入り、音楽は軍楽調の進行を見せ始め、提示部の、ベートーヴェンを圧倒するような主題は、彼に降りかかってきた運命と、それに対する戦いであったことが、この闘争的な音楽で描かれていきます。ベートーヴェンは決して戦いを好んでいたわけではなく、己の悲運に対する止むを得ぬ戦いであり、そこに対する信念は、正義から湧き出てきたものであったことが、強く感じられる部分です。本物の英雄像が表現されていきます。苦しみと葛藤を克服したい人にとって、これほど勇気づけられる音楽はないでしょう。コンヴィチュニーの演奏は造形が立派です。
↑、そして再現部に至り、再び「主題」が彼の前に立ちはだかり、人生を堰き止めるかのように荒れ狂います。ここに至って、聴き手はこの音楽(第1楽章)が彼の体験したつらい人生と、その克服のための戦いの音楽であったことを、より一層強く、認識します。
再現部の後は、「コーダ(終結部)」で、激しい嵐の様相を見せたまま、曲を締めくくっていきます。そして再び、「展開部」の「闘争」をちらつかせながら、第1楽章を終えていきます。無限に終わらぬ戦いを、暗示するかのようです。
音楽というものが、1冊の哲学書に匹敵するような、「無限大の意味」を持ちつつ、人類の理想を歌い上げる、という、当時の常識では考えられないことを成し遂げたのが、ベートーヴェンの第9交響曲です。第1楽章はその一端ですね。
そして「無限の意味」を持つベートーヴェンの音楽は、それに真面目に向きあう音楽家に、あらゆる可能性を示します。コンヴィチュニーの立派な演奏はベートーヴェンの格調高い精神を良く表していると思います。














