今日はちょっとミーハーな演奏を聴きます。
ヒラリー・ハーンが1996、1997年に録音したバッハが、アナログ・レコ―ドになりました。これが結構良いんじゃないかな、て思っています。
バッハの無伴奏の3曲(ソナタ第3番、パルティータ第2番&第3番)です。残りの3曲は2017年に録音し、こちらはすでにレコード化されています(デッカ)。
バッハの無伴奏はヴァイオリニストの最高峰の作品で、円熟期のソリストが録音するものとして知られていました(ヴァイオリンのみの音楽で、全6曲、2時間にもなる大曲です)。
しかしヒラリー・ハーンはこの録音時17歳で、自身のデビュー盤としての録音ということで、当時の話題をさらいました。
最近はユリア・フィッシャーが21歳で全曲を入れるなど、この曲の録音の低年齢化が見られます。技術水準が上がった結果でしょう。この曲の録音の低年齢化について、良し悪しはあるでしょうが、そこには従来の演奏とはまた違った魅力があります。エネスコとかシゲティの対極にある演奏でしょうか。
しかしこれは不思議な演奏で、自己の感情とか、考えみたいなものがほとんど入ってない演奏です。まだ17歳のハーンが何の疑いもなく弾き切っている感じで、何の色付けもないバッハです。その分の純度みたいのが感じられます。2017年の録音はもっと粘った、楽器の音色に耽溺するような感じでしたが、こちらはもっとあっさりとしています。しかし音色の美しさは素晴らしいと思いますし、LP化によってそれが生かされていると思います。デッカの音より品があって、バッハにふさわしいと思います。レコード化は成功じゃないでしょうか。
↑、ヴァイオリンの音色が、空気を切り裂くように響くのが、LP盤の魅力です。CDで聴いていた時より、味わいが深いと思いました。
ヒラリー・ハーンは比較的新しい世代では、女流として、ナンバー・ワンの呼び声が高い人でしょう。奇異なことをしない人で、ある意味安全運転ともいえる演奏をします。個人的にはもっと即興性が欲しいときもあります。
エレーヌ・グリモーによる「メッセンジャー」。
最近のドイツ・グラモフォンは、多分会社の意向なんでしょうが、現代作曲家の作品を取り上げることが多くなりました。アルヴォ・ペルト、ギヤ・カンチェリ、ジョン・ココリアーノなど。グリモーも、ニティン・ソーニーとか、このアルバムに収められている、ヴァレンティン・シルヴェストロフなどを演奏しています。
現代頭打ちのクラシック音楽界を打破したいのかもしれません。
前半はモーツアルトのソロ・ピアノ曲と20番のコンチェルト、後半がウクライナの作曲家、ヴァレンティン・シルヴェストロフ(1937-)の作品になっています。自分は、シルヴェストロフの作品をグリモーの前回のアルバム、「メモリー」で初めて知りました。
良く聴かれる現代作曲家の曲は、大まかに分けると、大体2つに分かれるように思います。現代人の心の傷を描いたものか、或いはその反作用として、深い癒しを描いたものか、です。
20世紀以降の人類の悲劇は人類の心に忘れがたい、深い心の傷を負わせた、そう現代作曲家はいわんばかりに、晦渋な音楽を書きます。しかしこういった作品は決して楽しみでは聴けません。これでは聴き手は増えません。ポスト・クラシカルなどは逆に、その傷を埋め合わせるかのように、キレイで甘美な曲を書きます。このアルバムを聴く限り、シルヴェストロフは後者のように思えました。
「メッセンジャー」はこのヴァレンティン・シルヴェストロフの代表作とされ、亡くなった妻に捧げられています。アンビエント(環境音楽)思わせる、感覚的な音楽で、静謐で甘美な音響空間に、ピアノの適度なモノローグが挿入されていきます。
豊かで美しい作品だと思います。ただ、こういう曲は一曲聴けば充分というところでしょうか。構造性が弱く、ひたすら感覚的に訴えてくるので、繰り返し聴くにはちょっとべた付きます。
前半にモーツアルトがあるのでそれを目論んだ構成になっていますね。動きの多いモーツアルトの音楽を聴いて、その疲れをとるかのような、シルヴェストロフの音楽です。
↑、シルヴェストロフのメッセンジャーの一部です。映画音楽を思わせるような美しさだと思いました。





