ベートーヴェンが交響曲第9番と同時に作曲していたのが「ミサ・ソレムニス」です。彼自身の「最大の作品」という発言から、この曲の規模が分かろうかというものです(第9ではないということです)。
おそらくは彼の大規模音楽において、この作品は第9を超える傑作であり、単純に教会の「ミサ」と比較してもその特異性は明確です。
一般の聴衆に対し「公式な訴え」としての第9、彼自身の「内面の深化」としての「ミサ・ソレムニス」というようなことがいわれるようです。
オットー・クレンペラーの録音(1965,1967)が有名で、これは確かに文句をつけるのが難しいような、それこそ、「荘厳」な演奏です。抑制されていますが、内面に燃える情熱、重厚な構築性、迫力など、圧倒的な満足感を与えてくれる演奏で、「ミサ」としての雰囲気もあります。これを聴くと他の録音で聴くのも、億劫に感じられるほどですね。
しかし、これがベートーヴェンの、本当の「ミサ・ソレムニス」の姿かといえば、どうでしょう?
以前も少し書きましたが、個人的にはベートーヴェンの演奏について、トスカニーニの演奏を聴くと、新たな啓蒙を受けることが多々あります。
(↑、アルトゥ―ロ・トスカニーニ。20世紀の2大巨匠といって良い存在です。フルトヴェングラー同様、本当の意味で、ベートーヴェンの音楽からその本質を表現できる数少ない存在でした。オットー・クレンペラーにいわせると「指揮者の王」であったということです。)
アルトゥ―ロ・トスカニーニの演奏こそ、直接的で、ストレートな表現は、まさにベートーヴェンの望むような演奏スタイルではなかったでしょうか?そのトスカニーニでこのミサ・ソレムニスを聴くと(1953)、単純に「ミサ」という以上の、ベートーヴェン自身の人間的感情を聴くことができます。
音楽の大家たちの作品、例えば、ヴェルディやモーツアルトのレクイエムなど、こうした宗教音楽には作曲家自身の感情が反映するものです。
クレンペラーの厳かな雰囲気というのは、幾分かの「抑制」を感じさせましたが、トスカニーニは「抑制」という言葉など眼中になく、この曲の持つ輝かしいまでの迫力と、強靭さを確固たる統一感のもとで再現していきます。するとそこに現れてくるのは、ベートーヴェンの持つ英雄的な気概、そしてそこに漲るのは、「我の正当なる正義」という生々しい感情です。ベートーヴェンはこの曲において、「ミサ」としての側面と、自分自身の正義感を融合させることに成功しており、ヒロイックなまでの感情が時として表現されています(しっとりした、バッハのロ短調と何という違いでしょう!)。
こういった内容こそが、本来ベートーヴェンが望んだ、この曲の本懐だったのではないでしょうか。
ただトスカニーニの録音はモノラルですので、同じ傾向のものをステレオで聴きたいものです。
そして後に、トスカニーニ流の、この傾向をステレオ録音で引き継ぐのが(ミサ・ソレムニスについて)、ヘルベルト・フォン・カラヤンです。
どうも彼はこの曲を5度にわたって録音しているようです。しかし自分が聴いたのは一番最後に録音した85年盤と一番初めの58年盤だけです。
エテルナ、825558-825559。
アナログ盤で聴こうと思うと、どうしても音質の落ちるグラモフォン盤は避けたい気がします。1958年盤は英国製のモノラル録音があったのをショップで見ているので、多分SAX盤と呼ばれる高額なステレオレコードが存在しているのだと思っていたのですが、英国製は存在しないとのこと。ステレオ録音にもかかわらず、モノラルでしか発売されていない、そういう変わった例がいくつかあるらしいです。しかしドイツ、フランス、日本製ではステレオが存在し、こういう事実が話をややこしくします。自分は安価でエテルナを発見したので購入しましたが、外国製の音を好むならドイツ製かフランス盤のオリジナルが本命でしょうか。日本製もイギリスメタルを使い、コロンビアのアミコロマークのスタンパーで、魅力があります(それなりの価格のようです)。カラヤンは「ミサ・ソレムニス」を、EMIには74年に再び録音しているので、英国製ならそちらでいいのかもしれません。
85年はウィーン・フィルをドライブし、濃厚で整然としたカラヤン晩年のスタイルです。それに比べると58年盤はフィルハーモニアを使い、もっと率直で迫力があります。久ぶりに聴いたのですが、本当に素晴らしい演奏だと思いました。感動します。
エテルナのレコードでやや音の輪郭はモヤっとするものの、腹から出るような音の迫力、重厚な響きは素晴らしく、本当に良い曲だと思わせます。グローリアの輝かしい音形!それは光り輝くベートーヴェンの姿を垣間見るようです。イエスの受肉の官能的な表現も、ベートーヴェンならではの描写的な筆致の素晴らしさ。
時にはテンポを落としつつ、ベートーヴェンの音楽に内部に潜む彼の心情をカラヤンは明確に表現していきます。こうして聴くと確かに、「ベートーヴェンの内面の深化」、とも呼ばれるようなところもありますが、実はもっと訴える力に満ちた、まるで彼の交響曲のような性格も持った音楽であることがはっきりします。「ミサ・ソレムニス」こそは、単純なミサを超えた、いうなれば本当に意味での、ベートーヴェンの「交響曲第10番」のような性質を持ち合わせているとしか思えません。
カラヤンの「ミサ・ソレムニス」はクレンペラー盤の陰に隠れて評価が薄いような気がしますが、決してそんなことはないと思います。
カラヤンの演奏するバッハのミサ曲ロ短調(1952)。33CX1121-33CX1123。
新盤の方は聴いてません。これはモノラルの旧盤ですね。
この録音については詳しく書いてあるブログがありますので、興味がある人はそちらを探してください(アメブロではありません)。
オーケストラはウィーン交響楽団とフィルハーモニアを用い、ドイツとイギリスで録音されています。カラヤンは70回に及ぶリハーサルを行ったそうですが、録音当日敗血症に倒れ、横になりながら指揮を執ったといいます。カラヤンは録音に関する逸話の多い人ですが、大概やり通してしまうのは、彼の仕事人間としての性でしょうか。
人によっては名盤という人もいるようです。シュワルツコップ、ゲッダなどの歌唱が聴け、デニス・ブレインなどの名演奏家などが参加しています。
これも晩年とは違う率直な指揮ぶりで、彼の人間としての感情が素直に出ているように思います。ソフトでウォームな感情表現があります。しかし、そこは確かに魅力なのですが、全体の表現自体、個人的にはちょっと弱い気もしています。彼ならもっと効果を狙うこともありますから。
オーソドックスな演奏で、これはこれで充分というべきかもしれませんが。








