マタイ受難曲 |  ヒマジンノ国

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セバスティアン・バッハのマタイ受難曲。バッハの、プロテスタントとしての、キリストに対する態度が良く表れている曲で、人によってはクラシック史上最高の作品という人もいます。

 

原始キリスト教がどのようなものであったかは分かりません。初期の使徒教会が破壊されたのは、コンスタンティヌス帝が開いた二ケア公会議(4世紀ごろ)とアナスタシオス信条、そして、そこに持ち込まれたトリニティ(三位一体説)によると、スウェーデンボルグは述べています(神は本来分離しないということです。一応、一体とはいっていますが。同時に使徒教会と呼ばれる初期のキリスト教にはそのような考えは全くなかった、とのこと。聖書はかなり書き換えがあると思われます。現代仏教が、ゴーダマの教えから遠いように、現代のキリスト教が、イエスの教えに近いと考えるのは、自分にとってかなり困難です)。

 

またタイ・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」ではキリストには妻も子もおり、その子孫が今も生きているというものでした。こうした意見は当然「異端視」されますが、その異端が真実であるケースは世の中珍しくもありません。

 

権威主義は宗教本来の姿からは遠いといえましょう。

 

 

しかし、セバスティアン・バッハは、聖書に書かれてあるように、「人類の罪をかぶるキリスト」に最大限の同情を寄せており、その音楽的な感動は比類がありません。

 

近代的な知性とは遠い時代の話です。バッハが心から、その純真な気持ちを持って、聖書に向き合うことに何の異論もありません。

 

 

過去の音源はいくつかあります。まずはCDからです。

 

有名なのはウィレム・メンゲルベルグの録音(1939)、カール・リヒターの旧盤など。今さら自分が書くのもなんですが、メンゲルベルグはまさに歴史的な録音で、大オーケストラを使い、劇的な効果を狙った、今の時代、絶対にやらない演奏です。聴衆のすすり泣きさえきこえます。個人的には1度LPで聴いてみたいと考えている録音です。

 

カール・リヒターの演奏(1958)はモダン楽器を使ったステレオ録音のお手本的なもので、多分初めてこの曲を聴く人の多くはこれを聴くのだろうと思います。ここには抑制されていますが、確かな感動があります(オリジナルLPはものすごく高価です)。

 


(↑、リヒター盤。この曲のオーソドックスな名演だと考えられています。)

 

最近はピリオド楽器でバロックを演奏するのが主流で、実際古楽器を使うとバロック音楽は見違えるような瑞々しい響きになります。その流れで有名なのはガーディナー(1988)やアーノンクール(2000)でしょうか。両方とも名演で、古楽器の美しさが味わえる演奏ですが、ガーディナーはやや優等生的で骨っぽいですね。アーノンクールのほうが自然に聴こえます。この辺は好みでしょう。

 


(↑、アーノンクール盤。10年以上前、レコード屋で試聴した時、古楽器の音色の美しさに感動したのを覚えています。瑞々しい生命力が感じられます。)

 

カラヤンの録音(1972,1973)も面白いですが、これは彼にしては合唱が粗く(彼の演奏した、パルシファルやトゥーランドットを聴くと、どうしても落ちる気がします)、惜しいものがあります。その辺がクリアされていれば甘美な名盤になった可能性がある録音です。有名な歌手が揃って録音できる日を求めたために、何とバラバラの日付で、27回にも分けて録音してますから、原因はそこらにある気もします。

 


(↑、カラヤン盤。フィッシャー・ディースカウ、シュライヤー、ヤノヴィッツ、ルードヴィッヒ、ベリーという豪華メンバーのため、スケジュールを合わせるのが難しかったのではないかと、柴田南雄氏は述べています。スケールは大きく、第1曲目から劇性をともない、流麗なレガートを駆使した甘美な演奏が繰り広げられます。)

 

他にはミシェル・コルボ(1982)の優しい宗教性に満ちた演奏なども面白いです。

 

次はLPです。

 

 

ルドルフ・マウエルスベルガーによる「マタイ受難曲」(1970)。ED2。

 

 

エテルナ、826142-826144。

 

旧東ドイツの聖歌隊が総力を挙げて録音した名盤とされています。シュライアーやテオ・アダムが参加していますね。マウエルスベルガーは兄弟で宗教音楽の演奏家でした。兄ルドルフ(1889-1971)はドレスデン十字架教会のクロイツ・カントル、弟エアハルト(1903-1982)はライプツィヒ・トーマス・カントルとして2つの聖地を守った指揮者だそうです。

 

このマタイは2人の共作とされます。

 

↑、ルドルフ・マウエルスベルガー。

 

表現はリヒター盤に近く、滔々と流れる感動があります。こちらのほうがリヒターに比べあっさりしており、力みがありません。響きも軽く清澄です。いうなれば「リヒターの方が力強い」、という感じでしょうか。しかし、リヒターよりこちらのほうが良いという人も多いと思います。

 

リヒター盤と比べて遜色があるとは思いません。構えない、純粋な美しさがあります。名演です。

 

 

オットー・クレンペラーによる演奏(1960、1961)。SAX2446-2450。

 

 

これも有名すぎる演奏ですが、昔から自分は苦手でした。CDで聴こうと何度もチャレンジしてきましたが大変なスローテンポで、もたれて最終的に飽きてしまいます。

 

今回はアナログ・レコードによります。

 

しかし、このレコード、オリジナル盤(ED1,ブルーシルバーと呼ばれるコロンビアのレコード)は大変高価です。マリア・カラスのノルマ、E・クライバーのフィガロなどと同様で、値段の話をして恐縮ですが、5、6万円はするので、さすがに断念しました。自分はED3です。これだと値段が10分の1になります。ED2だと4分の1とか5分の1です。

 

ただ、当然問題もあって、この手のレコードはグレードが下がると音の「艶」が目に見えて落ちていきます。特にオリジナル(ED1)とED2(決して悪い音ではない)との差は相当で、オリジナルを聴いてしまうと、あの独特の(人工的といえるかもしれないです)響きの魅力は抗しがたいものがあります。これも本当に不思議な話で、現代のLPでもあれぐらいの魅力を発揮するレコードというものはないのですね。本当に何でだろうと思います。

 

アンドレ・クリュイタンス、カルロ・マリア・ジュリーニなどレコードで聴くとCDで聴いていた時の印象と全く変わってしましますが、このクレンペラーもそうです。

 

CDでは音の角が立って、ゴリゴリとした演奏に聴こえますが、アナログ盤になると音の角は弱くなり、音の透明度も増します。厳しい強靭さがクレンペラーの売りだと思っていたのですが、そういう感じも弱くなります。

 

このマタイも、ごつごつした感じが弱くなったせいで随分聴きやすくなりました。音質は常識的な感じで鑑賞には充分ですが、オリジナルだとどう響くんだろうと考えながら聴くのは、ちょっと残念ではあります。

 

今さらながらですが、厳粛、荘厳さを極めた演奏で、コーラスのここぞという時の圧倒的な迫力などは比類がなく、独特のスローテンポも後半の劇的なシーンに近づくにつれ、効果が半端ありません。涙無しには聴けない雰囲気となっていきます。オットー・クレンペラーの遺産の1つともいわれる意味も分かろうというものです。

 

 

クレンペラーという指揮者の偉大さを感じる演奏なのは間違いがなく、音による巨大な建築物を作り上げていく作業にも例えられましょう(LP9面も使う巨大さです)。