1947年からドイツの指揮者、フルトヴェングラーは戦後の演奏を開始しますが、戦争中に旧ベルリンフィルハーモニーは空襲で破壊されており(再建は1960年)、会場は急遽映画館であったティタニア・パラスト(現存)が選ばれました。
今日フルトヴェングラーの演奏を聴く人が、どれぐらいいるかは知りませんが、録音はモノラル録音しか残っていないために、常に音質の問題が付きまといます。近頃ではドイツのレーベル「audite」がRIAS(旧西ベルリンの放送局)に残っていた本物のオリジナル・テープから作ったCDが話題になったそうです(自分は未聴、音は良いといいます)。
同じレーベルが作った、ルツエルン音楽祭での有名な「第9」などは買いましたが(SACD)、個人的にはやはり音質の改善とはいっても、汚い音だという印象に変わりはなく、フルトヴェングラーのCDは、ここのところ長らく購入していません。
(↑ルツエルン音楽祭での第9のSACD。彼の残された最晩年の第9の演奏で、EMIがフルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲全集を作る際、有名なバイロイト盤との選択肢に入っていた録音です。テンポは非常に遅く、これを最晩年の「疲れ」とみるか、「円熟」とみるかで評価は分かれるでしょう。バイロイト盤に比べて「深み」があることを指摘するのは間違いではないと思います。)
ただSACD用のテープを利用した、ウィーン・フィル(主に)との全集のLPはかなり気にいっていて、その滑らかな音の流れや、音の美しさに惹かれて、今のところ歴史的な初期盤に手を出さずに済んでいます。
↑)ワーナーによる新しいベートーヴェン交響曲全集のLP。
しかしこれはベートーヴェンの交響曲全集なので、他の作曲家の演奏も聴きたいと思い始めていました。そんな時に読んだのが評論家、許光俊氏の「クラシックの至宝」という本で、ウィルヘルム・フルトヴェングラーとベルリン・フィルハーモニーによる、戦後の一連のライヴ録音からの一部が、LP化されているという情報でした。以下に少し抜粋します。
「ことに数年来、音質が良くなったという触れ込みでフルトヴェングラーの有名な演奏が次々に出直している。絵画の方でも『天地創造』や『モナリザ』を洗浄したらこんなことが分かったという類の話が盛んにされているのとそっくりだ。」
「もしあなたがフルトヴェングラーに関心を持っていて、アナログ・プレイヤーを所有しているのなら、このセットは入手すべきである。また、もしプロの書き手なら、これを無視してフルトヴェングラーを語ってはならないだろう。今後の基準となる製品だということはだれも否定できないだろう。」
このLPの存在自体は知っていましたが、何分自分が、LPそのものを聴きだしたのが去年の後半からでしたので、詳細はよく分かりませんでした。
しかし、正直ここまで断言調で書かれているものに、興味を持つなという方が難しく、フルトヴェングラーの新しいLPが欲しいと持っていた自分は聴いてみることにしました(LP14枚組でお高いですが、ヤフオクなら半額程度で購入できる可能性があります)。
収録曲はベートーヴェン、エロイカ2種(1950,1952)、田園2種(1947、1954)、第5、2種(1947、1954)、シューベルト、グレイト(1953)、未完成(1953)、ブラームス、第3、2種(1949、1953)、第4(1948)、ブルックナー、第8(1949)、ワーグナー、トリスタンとイゾルデから「前奏曲」と「愛の死」(1954)、他。(全てティタニア・パラストでのライヴ。フルトヴェングラーとベルリン・フィルによる)。
音質については全くもう、CDで聴いて来た時とは比較になりません。今までテレビのモニターで見ていた時のような感じが、突然映画館の大スクリーンに変わったかのようです。細部の見え方、聴こえ方というのか、それが非常に明晰になり、生々しさが比べ物にならなくなりました。
他のアナログ盤でライヴ録音を聴くと比較的がっかりすることが多かったのですが、このLPの鮮度はそういった過去の思いを吹っ飛ばしてしまいました。
初期盤の持つセッション録音の持つ魅力は、人工的な録音効果と呼ぶべきものだと考えています。つまり「音」だけが「録音」され、会場で聴いている音の聴こえ方ではない魅力というのか。「音」そのものを間近で聴くという喜びです。
それがライヴ盤はどうしても会場の咳払いや、空気の音が入り込みますから、セッション録音に比べてドキュメンタリー感は強まり、音もセッションに比べると落ちるわけです。
ところがこのLPは、どの部分も非常にくっきりと音像が浮かびあがります。セッションのように音だけ聴くという感じではないですが、解像度の高さと音の良さが手伝って、ティタニア・パラストに臨席しているかのような臨場感を出しています。音の鮮明さを得る為に、色々細工はしているのでしょうが、聴いていると、ティタニア・パラストでの厳粛で静かな雰囲気を感じますね(過去のCDの録音に比べて、です。モノラルで音が固い部分は当然あります)。
従来からフルトヴェングラーの録音で、マイナスにいわれてきたことが、表現のディフォルメに関する「やり過ぎ感」でした。しかし実演を聴いた人たちが一様に口をそろえていうのが、演奏会では、そのテンポの急変やダイナミクスの変化が自然に聴こえる、ということです。ここに一つ、録音しか知らない我々の負い目があった訳です。録音しか聴いてこなかった我々は、それを体験できてこなかった、ということです。
吉田秀和氏もフルトヴェングラーの実演を聴いて、レコードで聴くときとの印象の違いに驚いたといいます。以下は吉田秀和氏の証言です。
「レコードで聴くと、フルトヴェングラーがしきりと細かくテンポを動かして、早めたり、おそくしたりするのが、ややわざとらしくきこえる。しかし実際にきくと、そのテンポの変化は、いつもダイナミックな変化と照応していて、音量が細かく増減し、それにつれて音色もきらめくような輝きから艶消したようなピアニッシモ、いや艶々していて然も微小な弱音に至るまで、変化しているので、少しも不自然に感じられない。これはまたトスカニーニのように絶対にイン・テンポでおしきっているようにきこえるくせに実は細かくふくらんだり、しぼんだりしながら動かしているのと、実に見事な一対をなしている。ともかく、フルトヴェングラーは、見ながら実演に接するのと、レコードできくのとは大変なちがいがある。」
多分ですが、今回のLPはこうした過去の批評家たちがいってきた、フルトヴェングラーの実像に一番近い音質のものではないかと思います(実演にどの程度近づいているかは分かりませんが、このLPでは時に演奏家の息遣いのようなものが感じられる瞬間があります)。
戦後初の演奏会による「田園」(1947)など、一見音が悪いように聴こえますが、強音部の脂っこいほどの鮮明な音色を聴くと、今まで感じていたのと違う印象に襲われました。自分はフルトヴェングラーの音色はもっと芯のあるマイルドなものだと思っていたので、これほど透明感が感じられるとは思ってもいませんでした。
オーケストラの各楽器のソロも明晰に聴こえてくる部分もあり、初めて聴くような感じがします。1947年、5月25日録音の第5(有名なグラモフォン盤は5月27日、表現にそれほどの差はない)、におけるベルリン・フィルの伸びのある、雄渾な金管群の迫力なども今まで聴いたことがありません(聴いたことがあるのかもしれませんが、聴こえ方が違います)。
ブルックナーは低弦の音が鮮明で、迫力があります。濃縮された感情の表現はややくどさを感じさせますが、迫力も相当なものだと思います。シューベルトのグレイトは線の太い、壮大な迫力があり、未完成の第2楽章の切実で悲劇的な味わいは、フルトヴェングラーにしかなし得ない表現でしょう。
ブラームスの第3(1953)もフルトヴェングラー流の、前進性をはらんだ表現で、ブラームスというよりは時折ベートーヴェンを感じさせます。
ワーグナーの、トリスタンとイゾルデの前奏曲と愛の死は、すこぶる感動的で、前奏曲の冒頭はフルトヴェングラーらしい弱音でおずおずと始まり、よく練られた音色が不健康な性愛の憧れを、切々と訴えていきます。この辺りは本当に心に沁みます。そして煌めくような弦の音色に彩られながら、気の遠くなるようなオーケストラの爆発力は、イゾルデの愛欲に沈む官能性を表現して余りありません。
しかしこうやって聴いてくると、やはりチェリビダッケが比較的フルトヴェングラーに似た響きを創造していたのだと改めて認識させられました。フルトヴェングラーは作曲家のいいたいことを代弁しようと必死ですが、チェリビダッケにはそういうところがない、という差はありますけどね。
ルツエルンの「第9」も近頃同じレーベルからLP化されました。日本語の解説を平林直哉氏が書いていて、このLPを、ルツエルンの第9の最終形、としています。ライナーから少し引用しておきます。
「しかし、音の出方、響きの質感、遠近感などがCD、SACDとは全く異なる。別な言い方をすれば、音のリアルさや何とも言えないふくよかさと温かさがにじみ出ていて、一歩も二歩も生の演奏に近づいたと感じないわけにはいかなかった。」
第1章など、テンポはかなり遅く、時に繊細な弱音を響かせますが、CDだとどうしても「音」が、キンキンした小さな機械の部品のような響きになってしまいます。LPではそれが柔らかな、今現在その場で発生しているかのような音色で、かなりの美しさがあります。
CDはどうしても全体像を見せるような感じになるので、LPの持つライヴ感に似た響きは出ないようです。
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ウィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)とは?
ドイツの、フルトヴェングラーという指揮者は音楽が「芸術」であることを身をもって体現していた指揮者でした。それは一種の宗教にも近く、近代的なスマートな指揮者達とは一線を画します。世界最高といわれるベルリン・フィルを率いた指揮者としてカラヤン(カラヤンは8代目、フルトヴェングラーは7代目)と比べられる時もありますが、一般的な愛好家ではなく、コアなファンにしてみると、その「神秘性」において隔世の感があります。
神秘性などといっても、どういうものかは分からない人がほとんどでしょうが、それは芸術至上主義の徹底的な肯定、というべきもので、導かれる音楽の内容は一言で語り切れないような、奥深さがあります。
モノラル録音しか残さなかったので、その神秘性は今なお健在かと思います。
2度の世界大戦を経験し、特にナチスとのかかわりあいで彼は辛酸をなめました。
単純に天才であるとか、ないとか、そういうことでもいい切れない存在であり、今でも「ドイツ音楽の理解者」としては、個人的には彼が本当の意味での第一人者ではないかと思っています。





