自然の世界はフレキシブルです。
自然の摂理に従えば、中庸を壊してしまう程度に、バランスを壊す者は滅びるか、矯正を迫られるか、ということになると考えています。('ω')ノ
それは人間の世界も同様で、時間の遅し早しはあるにしろ、滅びるべきものは滅びるのだと考えています。ナチスドイツのような異常な政権、共産主義のような異常な思想などもそのカテゴリーに入るのではないかと思っているんですね。本質的には資本主義も同じではないでしょうか。
そういう意味では自分は人類の未来についてそんなに心配はしていませんが、問題は上記の異常な生き方や思想は、その経過途中で沢山の人を巻き込み、犠牲を出す、という点ですね。これは中々回避できないので、弱ります。
オットー・D・トリシャスというアメリカ人記者が書いた「トーキョー・レコード」という本があります。1941年にニューヨークタイムズ紙の特派員として、当時の日本のことを記録している本です。残されている記録は、真珠湾攻撃の直前での日本の様子というべきでしょう。
簡単に引用させていただきます。
<しかし驚くべき夕日が夕刻にやって来た。この時内務大臣の平沼騏一郎男爵が、東京で最も大きい日比谷公会堂に集まった3000人の小学校教師と区の職員を前にして、この日の重要性について次のような演説を行った。
日本という国は世界に唯一のものである。天は、ニニギノミコト(天照大神の孫)を大和の橿原(かしはら)に降臨させ、彼らの子孫が日本を永遠に支配し、統治するであろうと伝えた。2601年前の今日この佳き日に、わが初代の神武天皇が即位したのである。外国の王朝はみな人間が作り出したものである。外国の王、皇帝、大統領もみな人間の作り出したものである。しかし日本人のそれは、天皇家の祖先から継承された神聖な皇位である。したがって日本の天皇の統治は天の延長である。人間の作り出した王朝は亡びることがあるが、天の作った皇位は人間の力の及ばぬ所である。
・・・(中略)・・・
ここに表明されているのは中世であって、神によって指名された統治者が、地上のあらゆる現世的統治者に優るものであると公言しているのだ。これは、中世の教皇たちによって提唱され、ヨーロッパのあらゆる宗教戦争の根底にあった主張なのである。
何よりもここには、ゲルマン支配者民族の超国家を求めてヒトラーが見出すことのできた権威よりもさらに高次元でさえある権威を土台にした超国家を公言する、もう一つの軍事国家の姿があった。>
この本を読んでいると、当時の日本が「イスラム国」のような閉鎖された空間に生まれた、一神教の宗教国家のように思えました(トリシャスの日本人観は抵抗ある部分も多いですが・・・)。本来多神教的信条を持つ我が国でしたが、このような「一神教的」印象を持つに至ったのは、薩長が徳川幕府から権力を取るときに、明治政府を作った人たちが、外国(西洋)のやり方を真似た結果だと思っています。それが後の軍閥政治に至った道でしょうか。
・・・まあ、この話はさておき。
当時の日本とドイツについて少し比較します。
日本に比べるとナチスドイツというのは沢山の他国からの干渉を受けてできた政権だと考えています。そしてその最たるのものが「ユダヤ支配、あるいは陰謀」と呼ばれるもの(それは今日の「リベラル」とか「新自由主義」とか呼ばれるものに匹敵するもの)です。つまり日本に比べると、諸外国からの影響があったがため、国を団結させるための政権、といえました。
その当時のドイツと同じように、現在の日本は国際化して、他国の干渉も多くなりました。
今日、コアな右翼思想家たちは戦後のGHQによる「日本人に対する洗脳」プログラム(WGIPや3S政策)について盛んに宣伝しています。自分もこうしたものはあったかも、と考えています。
しかし「陰謀」をたどっていくと必然的にヒトラーがいっていたように、「国際主義者」(多くの場合、ユダヤ人が指名されます。ユダヤの富豪などが、国際的に政治を動かして、目標とした国を陥れる、という陰謀です。日本もアメリカに隷属しているといわれていますが、アメリカはフリーメーソンが作った国、という意見は多いようです)に帰結していくと思います。馬鹿馬鹿しいと思う人も多いと思いますが、歴史的な順を追っていくと、必然的にそうなっていくはずです。
確かに、当時の日本人の持っていた「皇国」の思想は、仮に、ヒトラーのいうシオンの賢人のいうところの「シオン長老の議定書」にあるような欺瞞と力による狡猾な恐怖支配とは全く真逆の思想でしたから、これも「仮に」ですが、GHQがそうした人々の手先であったというのなら、「世界を国際化する陰謀者」にしてみれば、これらは葬り去られるべきものだった、といえてもしまうのです。
日本の場合は「道義性」(道徳的に正しいということ)を重視し、新自由主義的な者たちは「力づく」(強いもの勝ち)を重視します。
しかしここでややこしくなったのは、第二次世界大戦で日本が参戦した理由です。これは決して「アジア開放」を第一に歌ったものではなく、中国への侵略(これは決して解放戦争とはいえません。仮にどんなに中国が悪くても、中国は我々の主権、この場合、国土と考えても良いですが、を犯していません。しかし、日本軍は中国奥深く攻め入っています)の勢いを止めることができず、その足元を諸外国に見られて、日本は暴発したというべきでしょう。日本と中国の関係を修復しようとしていた石原莞爾の考えと比較すると、こうした傾向が顕著なのは明らかだと思います。
恐らく中国はわざと日本を泥沼に陥れたのだとは思います。これは英米を巻き込むためです。また日本が中国に進出してほくそ笑んだのはスターリンに違いありませんでした。
末端の兵士たちは「アジア開放」をそのまま実行しようとした者もいたようですが、基本的に侵略から暴発、そしていくらかでも長期戦に持ち込めまいかという目論見で展開した戦争は、良く見ても「自存自衛のため」という表現の方が正しいと思います。理想に燃えていた者もいたかもしれません。それを軽んずるというつもりはありません。しかし、先の戦争が結局、理想と現実の間で展開し、内訳、つまり侵略性と理想との比率を考えると、自分の場合、7:3ぐらいの割合で侵略性が強かったと思います。
そして現在ですが、GHQは10:0で侵略戦争だったとし、コアな右翼は0:10で理想のためだったといっています。我々は理想を取り戻してよいと思います。しかし反省もすべきです。GHQの考えが洗脳による「自虐史観」だとすればコアな保守の考えもまた、洗脳による「自賛史観」といえます。
半藤利一、保坂正康、あるいは山本七平でも良いですが、「自賛史観」によらずとも真面目に書かれた書物はあります。
そしてポイントは個人的に7:3としましたが、3割とした日本の理想に関する部分です。ここをどう考えるかが重要なわけです。
ヒトラーに政権を取られる前のドイツは、ヴェルサイユ条約によって不当ともいえる負荷を国家にかけられました。そのため、国民は物質的も、精神的にも負い目をおわされました。しかしそんな国民の劣等感に火をつけたのがヒトラーでした。いうなれば憎悪を燃料とし、それに怒りを灯すことにより、絶大な支持を得たわけです。劣等感にはアーリア民族こそ最高の人種だという優越感によって洗脳しました。
<大衆の国民化はけっして中途半端や、いわゆる客観的立場での弱々しい強調ぐらいでは起こるものでなく、とにかく追求しようと思った目標に向かって容赦のない態度、熱狂的に一方的な態度をとることによって可能となるものである。だから結局一民族はわが国の今日のブルジョワ階層の使っている意味では、すなわちあれこれのたくさんの制限つきの意味では「国民的」になることはできないのであり、極端にはつきものである激烈さを残さず持った国民主義だけが必要なのである。毒は正反対の毒によって破壊されるのであり、無気力なブルジョワ感情だけが、中間の道を天国に通じる道と考えるに過ぎない。>
ヒトラーは我が闘争の中でこう述べていますが、これは現在日本でも、ネトウヨやコアな保守が述べている言説とその深いところでの意味合いは全く変わりません。
そして今、コアな保守がいうように「陰謀」があるとするのなら、その「陰謀」たる、「リベラル」、あるいは「新自由主義」の大本がいるのではないかということ。それに加担している朝鮮人などがいるのではないかという「人種差別」などがあります。加えて、そこを煽る様に、彼らによって、日本の歴史が糊塗されてきており、蔑まれてきた、あるいはそのように仕向けられてきたという言説などは、ヴェルサイユ条約で劣等感を覚えてきたドイツ民族と同じものがあります。
そしてこれを「日本民族は優れている」という賛辞で埋め尽くしていくというやり方。やがては「天皇」という言葉も、彼らの身勝手で持ち出しかねない状況。これらを並べてみると恐ろしいほどにナチスが民主的に政権を取っていった時と同じ条件が揃っていることに気付くと思います。
占領者に嘘を教え込まれ、蔑まれてきた、だから国民よ怒れ、と。それはコンプレックスが強ければ強いほどに、自国民の賛美と結びつき、熱狂として燃え上がります。ですがその内面に怒りと憎悪を含むのならば、その行為は暴力と軍事とになっていきます。そしてそのことで喜ぶものたちがいるということですね。
仮にヒトラーがいうように「国際化」が悪だとして、それに挑んでいったヒトラー自体が「悪」そのものになったわけです。ミイラ取りがミイラになった、ということです。今日、その経緯から学ぶのは、「陰謀説」を取り扱うのなら、同時に自分達も「思い込み」そのものに囚われてないか、という命題であったはずでした。そして現在もまだ、安倍政権の後ろ盾はアメリカだろうということを思うと、結局、今「愛国心」に燃えている人々を利用して、日本を軍事化したのち、「愛国心」を強い人々を放擲するか、あるいはもっと別の方法で利用しようかとする可能性もあるわけです。右翼などの人々の「忠誠心」を利用している可能性があるとは考えられないでしょうか?
また、ニュートラルな一般国民は、まず「国際化を推し進める人々の陰謀」と同時に、「国を私物化したい人々の陰謀」の両方について一度考えねばならない状況に来ていると思います。
自分は憲法を改正しても良いと思っているし、必要なら武力の増強もありかとは考えています。ただそこには「理想」がいります。思想と理想のない軍国化は必ず暴走を招きます。政治家の古賀誠は次のように述べています。
「大正時代の軍部は力を持っていなかった。軍服を着ると隠れて歩いていたというけれど、昭和に入ると、軍服姿に国民が拍手を送るようになる。軍部が力を持ち、政治を軍部が抑えるようになった。それが大東亜戦争に突入するときの状況です。同じことが必ず繰り返されます。」
まあ、というようなことで・・・。
ここまで偉そうなことを書きました。
確かに今後日本の政治がどうなるかなんて自分には分かるわけがありません。ただ、現在は「真面目に考える」ということを放棄した人達が多い気はしています。仮に、日本の「軍国化」が進む場合、当然嫌ですが、無理やりに反対もしません。本当に「軍国化」したい人がいて、その数が多いなら、もうどうしようもないからです。結局自分達でそう決めた、ということですから。初めに書いたように、そうしたことになれば国の衰退は避けられないでしょう。
個人的には争いに巻き込まれずに、いかに自分を守るか、ということにシフトせざるを得ないということですね。
こうしたことは、ちゃんと自分でものを考えられる人々は一度よく考えて見るべき事柄だと、今の自分は思っています。

