モーツアルトの音楽には美があります。その美は見てくれだけのものでなく、調和としての美であるようにも思われますね。
彼は貴族達の元で働いていたようですが、貴族にはなれませんでした。ただ残された音楽は貴族的な雰囲気があるようです。もっと貴族らしい音楽を探せば、ショパンとかリストとか・・・ラヴェルなんかもそんな感じがあるのかなあ・・・。ただ、モーツアルトは彼らほど気取ってなくて自然です。
しかし、子供とか女性的なものとか、そんな雰囲気を漂わせつつも、モーツアルトの音楽はどこまでも気品があるんですよね。不思議です。
フリードリヒ・グルダによるモーツアルト、ピアノソナタなど(1948-1982)。
最近は力こぶの入った音楽を避けることが多いですね。
歳のせいかな。疲れちゃいます。簡単に音楽を楽しむなら、モーツアルトぐらいが丁度良いです。
そういう意味ではやっとモーツアルトが理解できる歳になったのかしらん?
そんな中でも、自分はピアノ・ソナタがずっと理解できませんでした。すごく単純すぎる気もして。ただこのグルダの演奏を聴いて、美しいと思うようになりました。
グルダの演奏は、音の粒がそろって綺麗ですね。表現も明確で、きりっとしてます。
リリー・クラウスなんかの演奏だと、内容を抉る代わりに草書風で、ちょっと造形も崩れると思ってました。グルダはもっと楷書風ですが、音の角も立てません。輝きがありつつも、モーツアルトに必要なピアノの音色の真珠のような美感が出ていて、好きです。
トン・コープマンによるモーツアルト「レクイエム」(1989)。
いわずと知れたモーツアルトのレクイエムです。古楽器による演奏です。
格別な透明感が出ている演奏で、古楽器にしかできない演奏だと思います。合唱もノン・ヴィブラードで通し、徹頭徹尾、響きに濁りがありません。新鮮で、バロック以前の時代に戻ったような、不思議な美感が出ています。
透明感抜群の、研ぎ澄まされた演奏です。この音源を流すと、部屋中の空気が綺麗に浄化されたような気がします。
ジョン・エリオット・ガーディナーによる「モーツアルト・レコーディングス」(1984-1989)。
モーツアルトの交響曲とレクイエム、大ミサ曲などが含まれています。
これも古楽器による演奏です。古楽器は音が広がりすぎないので、聴く側もかなりライトに聴けますね。このボックスの中で好きなのは、29、31、33番などの交響曲です。これ等の曲などは有名でないわけでもありませんが、35番以降の交響曲に比べると、ちょっとばかり地味なイメージ。29番は始まりが繊細な華やかさがある分、好きな人も多いかもしれませんけども。
しかし、これ等の小曲ほど、自分にモーツアルトのロココ的な美感を感じさせてくれる曲はないです。今回は特に31番「パリ」が良かったです。曲調は、どこか子供っぽいですが同時に貴族的でもあり、装飾は過多です。その第1楽章の内面は、愉悦に溢れ、楽しさの限りだと思います。
モダン楽器による、ベームの演奏なんかだと、いくらか間延びしていたものが古楽器の演奏にしたおかげで、きびきびとし、力強さが出たと思います。古楽器特有のアンティークな響きの美しさも、魅力に一役買っていると思うんですね。
エリック・ハイドシェックによるモーツアルト「ピアノ協奏曲選集」(1957-1961)。
20,21,23,24,25,27番を収録しています。ハイドシェックを聴くのは初めてです。リリー・クラウスなんかと同じく、20世紀の大ピアニスト、アルフレッド・コルトーの弟子なんだとか。
聴いていると、即興性とイマジネーションのある人のようです。その辺は師匠のコルトーっぽいといっていいんでしょうか。
しかし、表現はグランドマナーな感じです。指揮者のヴァンデルノートも新鮮な指揮をしています。
まあまあかな?
うーん、快感です。モーツアルトの音楽の根底には、人間としての調和と愉悦とがあり、それを感じずにはいられません。





