パラダイムシフト |  ヒマジンノ国

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今後も同じようなことを書きそうです。

 

パリ協定などを含む、脱炭素化社会を目指すのに逆行するものとして融資をしている日本の銀行が批判されました。また、2018年、地方の回転寿司6社が魚価の高騰などが理由で経営破綻に陥ったということです。

 

少し前ですが、ヨーロッパでも異常気象で、スペインでは45度を超える猛暑だったそうです。

 

先日、地球の温暖化を止めようと、日本の天才青年が空気から二酸化炭素だけを取り除く装置を開発したとかで、放映されてました。科学技術が地球温暖化を止める可能性はあるのかもしれないと思いました。

 

ただやはりそれでも問題の根本はそこにあるのではなく、今我々の作っている社会、そこに参加する人々の思想なり意志にあると思っています。

 

以下は2015年の記事ですが。

 

<(CNN) 世界の人口の1%の富裕層がもつ資産の総額は来年までに、残る99%の人口の資産を合わせた額と同程度になるという推計を、国際支援団体のオックスファムが19日に発表した。また、世界の富裕層上位80人の資産総額は、貧困層35億人の資産総額に匹敵するという。

 

今回の推計によると、1%の富裕層が握る資産が世界の富に占める割合は、2009年の44%から、14年は48%に増加した。このままのペースが続けば来年までには50%を超す見通し。
 
残る52%の富についても、人口の5分の1の比較的豊かな層が46%を握っていて、その他の層が握る割合は世界全体の資産のわずか5.5%にとどまる。
 
昨年の大人1人当たりの資産額は平均で3851ドル(約45万円)。これに対して富裕層の資産額は平均270万ドル(約3億円)だった。
 
スイス・ダボスで始まる世界経済フォーラムの年次総会で共同議長を務めるオックスファム幹部のウィニー・ビヤニマ氏は、各国の首脳に対して広がる格差問題への対応を呼びかける方針。「富裕層とそれ以外の層との格差は急速に拡大しつつある」「より公正で、より豊かな世界の妨げとなっている既得権者に立ち向かうべき時だ」と指摘している。>

 

このようなバランス感覚を欠いた人類全体の在りようが是正されない限り、温暖化が解決されても、また別の何かの問題が出てくると思われます。

 

振り返ってみれば「競争」だけしていればよいという「資本主義」、「分配」だけしていればいいという「共産主義」なんていう馬鹿馬鹿しい思想に我々は騙されてきたわけで、もうそろそろ反省すべき時のように思います。競争しても良いでしょうが、世界を破壊しない程度に私有財産の上限を決める、などの考えがあっても良いでしょう。

 

やはり本音をいうと、今地球全体で、もっとまともなコンセンサスを取れないのは、こうした「富裕層」が自分達の利益しか考えない生き方をしているからだと考えています。それこそ、経済力による「天井のない」、強いもの勝ちの社会です。そして、それがこの世界の規範だといわんばかりの様子で、その社会の中で暮らす人々もそれを真似ようとします。しかし、普通に考えて見れば、このような社会は、いずれは・・・「人類丸潰れの社会」といっても過言ではありません。

 

「競争して何が悪い」という気持ちがあるのでしょう。ただもうそれも現実に色んなほころびを見せ始めています。世界は一部の人たちだけの為にある訳ではないと思います。

 

本来1時的にでも今のような急進的な社会を一旦止めて、環境問題に徹底的に取り組んでみる、とかいう状況があっても良さそうなものです。そういうことを世界全体で取り組めば、人類全体で共有できる価値観が多いことに気付くこともできると思っています。現在の我々の社会は、科学技術などにしても一定のレベルにあると思いますし、仮に、利益ばっかり追求しない、もう少し大人しい社会になっても、一般の人々はそれほど不満をいうでしょうか。

 

1パーセントの人が世界中の富の50パーセントを握っているということは、残りの90パーセント以上の人々で残りの富を奪い合っているということです。そこでは過当競争があり、罵り合いがありますが、そんなことまでする必要が本当にあるのでしょうか?それを見て、先の1パーセントの人々は何も感じないのでしょうか?

 

ですから、スーパー富裕層というのですか、何となくそういった人々を称賛するような感じが世の中にはありますが、見方によっては、今後ですが、環境破壊などが進めば、そういう人々の在り方が、相当恥ずかしい生き方と見られる可能性もあると思います。

 

確かに「一概にどう」といえない側面もありますが、「競争して物持ちになることは素晴らしい」とかいわれても、何でもかんでも鵜呑みにできない世の中なので、その辺はちょっとおかしいとは思っています。何とかうまいこといいくるめられている気がしています。当然生活に必要な物は持たなければなりませんが、必要以上に、有り余るほど持つ場合は、それなりの哲学なりが必要です。他との競争に勝つために持つ、とかばかりでは世の中おかしくなっていきます。あるいは、他人を支配するためとか、などは理由としては厳しいでしょう

 

つまり、ほんの一部の人々のわがままに、その他多くの、我々が付き合わされている可能性がある、ということでしょうか。

 

地球上の生態系でも、草木や草食動物がいなければ、肉食動物も生きていくことができずに滅んでしまいます。同様に環境破壊が進めば、いずれ我々は生きていけなくなります。「科学が発達すれば、そんなことないよ」とか、いいだす人もいるんでしょうか。トルストイの「イワンの馬鹿」を思い出しますね。

 

残念ながらそれを支えてしまっているのは我々市民一人一人であり、彼らに飼いならされてしまった結果のようにもみえます

 

もっといえば・・・言葉は悪いですが・・・それこそ「洗脳」というところでしょうか。

 

ただこのまま環境が破壊され、我々の生活が脅かされるようなことになれば、パラダイムシフトの可能性も出てくるでしょう。いい加減自分達だけ良ければ良い、という生き方で通していると、結局自分に返ってくる、ということが自然の摂理なのは明らかで、それを何かうまいこと避けようとしても結局無駄ではないでしょうか。

 

我々のしてきたことの結果は徐々に出てくるでしょうから、反省すべき時に反省すべきだと自分は考えています。