法律が沢山ある国は良い国かどうか・・・。
法律の目的の1つに、問題を起こす人の行動を抑制させる目的があると思います。
他人の物を盗めば捕まるし、詐欺や殺人などを犯せば同様に逮捕されます。近年飲酒運転で被害に遭う人が増え、法律が整備され、償うべき罪の重さが改正されました。時代によって人の行いが変わり、それにつれて法律が修正されるのは良いことかもしれません。しかし事細かに法律を整備すれば決まりごとが増えすぎ、我々一般人の生活が不自由になっていきます。
法律が増える、ということは必ずしも良いことだといってしまっていいのか迷うところです。逆にいえば法律に抵触していなければ何をしていい、という発想になりかねません。
法律は現実世界の中で人間の行動を規制する最終手段の1つのように思えます。
例えば飲酒運転をするかどうかは結局本人の匙加減次第です。自分が車を運転しなければならないと思えば、ほとんどの人がお酒を事前に飲まないでしょう。こうしたことは人間の質の問題であり、道徳の問題ということになります。そういう意味からいえば、法律が多い国は自制のきかない人が多く、人間の質が低い可能性があります。
人間が「自ら」社会を壊さないように、仕向けた考えと行動規範が、「道徳」といっていいのかもしれません。
しかしこれも単純に行動規範だからといって、自分にルールのように課してしまっては法律の在り方とそう変わりませんから、人は根から自然にそういう行いができるように努力するものです。そこには思想や宗教なども関係してくるでしょう。
現代社会の中で問われていることがこの道徳の問題だと思います。自己陶冶といいますか、自分で自分をどうコントロールするかが現代社会のテーマになってきているように思えます。飲酒運転で人をひいてしまっては建設的なことは何1つありません。こうした簡単な自己統制ができるかできないかだけで、人は多くの時間と労力を失う必要はなくなるわけです。最近は道徳を欠いた犯罪が増えてきてるように思えますが、こうした犯罪がなければ人々はそのことの後始末のための労力や時間を、もっと別の建設的なことに使えるわけです。
現代社会はこの道徳を色んな局面で切り売りさせられる場面が多いと思います。自然災害が増えているようですが、これも自分達の利益と、自然環境を秤にかけた時、何方を取るかといわれれば、利益を取るからでしょう。しかし何故こうまでして利益に執着しなければいけないのか?多分多くの人が、社会がそうだから、とでもいうのだろうと思います。
自分も現代社会を否定するわけでもありませんし、そのすべてが駄目だというわけでもありません。しかし、現代のその「社会」そのものが持つ考えが相当に「道徳」に反しているように思えるのも、自分には事実です。「道徳の欠如」が現代社会の病理の1つではないでしょうか。
オウムのような危ない信仰団体に入信する人達にしても、事前にちゃんとした道徳観念があったなら、あそこまで新興宗教にのめり込んだかは疑問です。初めから入信しないか、あるいは、途中でおかしいと気づいた可能性もあると思います。現代社会にはない、その自分達の「道徳の規範」というか、そういうものを彼らが求めていた可能性があったような気がしています。
現代社会は当然自分達を自分で根っこから批判はしませんので、自分達を肯定します。しかし、先の言葉とはやや矛盾すると聞こえるかもしれませんが、昨今の社会問題や環境問題からもいえるのは、ちょっと過激にいうのならば、その「社会」の在り方が根本から間違っていたのではないかという可能性です。先日「因果応報」という言葉を使いましたが、人間社会が一定の水準に達し、その結果が出始めているのが今の人類社会だと自分は考えています。それもあまり良くない結果に転がろうとしているように思えるのです。
間違っていることを「正しい」といい続ければそれは「背徳」であって、偽善です。そしてその間違いに対して答える者がいないから新興宗教に入信するものがいるのだと思いますし、またそのような社会に疲れて犯罪を犯すものがいるのだと思います。
自分は革命を起こしたり、宗教を起こしたりしろ、という気は毛頭ありません。単純に我々は「自然環境が大事である」とか、「人の嫌がることはしない」とかいう考えを取り戻すべきではないでしょうか、ということがいいたいのです。こうした考えは自称進歩的な人たちから馬鹿にされて来ましたが、結局またここに戻ってくる他ないように思える考え方です。
革命とか、宗教とかで世の中が一時的に良くなることはあるようです。しかし社会を占めるのが大多数の一般人である以上、革命や宗教の英雄やカリスマが、どんなに頑張っても世の中は変わってこなかったのだと思います。結局は私達一般人が道徳や環境問題に興味を持ち、その絶対数が増えることで、初めて世の中が変わるのだと思います。
憲法で旧来の日本の道徳を取り戻そうとしている人達もいます。これ等も内容とやり方共々、問題が多すぎます。道徳は各自の自主性に頼るものだと思います。憲法や法律で明記してしまったものは道徳ではありえません。結局まず第1に考えなければいけないのは、私達が今ある普段の生活を普通に続けながら、自主的に今ある問題をどう考え、学ぶことか、ということではないのでしょうか?
偉い人達がそんなペースでは世の中は良くならない、とかいずれはいいだすかもしれません。そして残念ですが、それは真実かもしれません。
しかしながら、また何か急激に物事を変えても、結局一時しのぎになるだけで何も根本から変わらない気がします。
やはり、一般人がこれ等の問題にちゃんとした興味を持ち、そうした人たちが増え、じっくり考える社会をつくることが、時間はかかりますが、問題のより根本に近い解決法なのではないかということです。
