紀元前6世紀は人類の思想上、有益な時代であった。バビロンには預言者イザヤがおり、東方には孔子と老子とがいた。
そしてまたインドにも一人の聖者が現れた。
ヒマラヤ山麓の一貴族の王子として、ゴウダマ・シッダールタは生まれ、後に東アジア地域の思想に膨大な影響を及ぼす、仏教の開祖、仏陀となった。
私達日本人にもっともなじみ深い宗教がこの仏教であり、空海や親鸞、日蓮などその他多くの、いわゆる「聖人」が我が国にもおり、おそらくほとんどの日本人がそれらの宗派の一派に属していると思われる。
しかし、その開祖、ゴーダマの生涯については、伝説的な物語以外はあまり詳しいことは分かっておらず、ここでその生涯を掲げるのは難しい。
伝説によると、彼は19歳の時、美しい妻をめとり、子供をもうけたが、自身の内面の煩悶から王子としての満ちたりた生活を全て捨てて、世間に下野した。彼は王族の生活を捨てたのである。
満ちたりた生活の中では人は成長することができない。そしてその富に囲まれた生活を維持するには多くの苦しみを背負う必要がある。
生きること、老いること、病むこと、そして死ぬこと、人生に苦しみはつきものだが、そのような贅沢な生活の中では人間は苦しみを断てない、と考えたのである。
従来のバラモンの慣習が多い、苦行層と対峙した彼は自ら現世の苦しみを解脱する考えを解き、無駄に苦しむのではなく、内面的な自我の徹底的な観察と思索による、「悟り」を開いたのである。
「仏教もジャイナ教と同じく輪廻説と悲観論(現世を苦界とみること)を認め、その調伏を宗教的な目的としている。そして人間の運命は個人の行為(業)の善悪に依存しており、またこの苦界の束縛から解脱する方法は一切の苦の起源(渇愛)を捨離することにある、として、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定のいわゆる八正道を実践の道として掲げた。」(世界の歴史6、佐藤圭四郎著、古代インド。河出書房新書。)
これは2000年以上前の、古い時代の歴史であり、現在生きている我々には中々に理解しがたい世界の歴史である。
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個人的には原始仏教に関する書物は2、3読んだことがある。初めのその感想を簡潔に述べることにする。
しかし、原始的な仏教についてはあまり書物が多くはない。かつて日本の仏教研究の権威、中村元氏が何冊かの原始仏典を日本語に翻訳している。
「ブッダのことば(スッタニパータ)」。中村元訳、岩波書店。
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「ブッダのことば」と題されている「スッタニパータ」。これは数多い仏典のうちでも最も古いといわれているようである。これは悟りを開いたブッダが救いを求めて来る、一般に人々との問答を書いている。他にも何冊かあるが、個人的に最も興味を引いたのが「ブッダ最後の旅」と題された「大パリニッバーナ経」だ。
「ブッダ最後の旅(大パリニッパーナ経)」。中村元訳、岩波文庫。
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これはブッダが人々や霊に教えを授けながら、沙羅双樹の元で入滅する場面を描いている。物語性があり、生きていたころのブッダの姿をほんのわずかでも垣間見た気もして、印象に残った。
他にも「サンユッタ・ニカーヤ」なども読んだが、内容は「スッタニパータ」などに準じる。
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さて、僕自身は仏教の歴史に詳しい訳ではないこともあって、個人的に限定された知識の中、今回は仏教の歴史的な側面ではなく、その考え方、思想的な側面について考えていきたい。
特に「空」といわれる仏教の概念について、「般若心経」と道元の「正法眼蔵」を少し引用しつつ、その考察をしていく。



