最近、クラウディオ・アバドのモーツアルトの演奏が気になって仕方なく、ちょっとはまり気味になってます。 彼の演奏するモーツアルトのシンフォニーは必ずしも好きにはなれませんでしたが、そのスタイルには魅力がありました。
明らかにアバドは管弦楽の色彩的な効果を計算に入れて演奏していて、シンフォニーの解釈が抵抗があるにしろ、聴いていて悪い気はしませんでした。後にピアノ・コンチェルト集を聴いてから余計、アバドのモーツアルトが楽しいものだと感じるようになったのです。ですから次はオペラを聴こうというわけです。
これは1994年に録音された、モーツアルトのオペラ「フィガロの結婚」です。オーケストラはウィーン・フィルでキャストはルチオ・ガッロ、チェチーリア・バルトリ他です。
しかし、アバドの色彩的な演奏効果を考えたとき、フィガロはうってつけだと考えます。
僕など、色彩的なフィガロだと、オットー・クレンペラーが1970年にニュー・フィルハーモニア管弦楽団を演奏して録音した音源が思い浮かびます。格段なスローテンポを駆使して、非常に美麗に仕上げられた録音で、そこここからモーツアルトの貴族的なまでの官能美が体験できます。イチゴミルクのような、上質な甘い美感です。
しかし反面、あまりのスロー・テンポはこの作品の劇性を明らかに後退させていて、僕にはちょっともたれます。
それに比べると、アバドの演奏も予想通り、色彩的で美しいものがあります。何より楽しさが溢れてくるような演奏で、繊細で小味なスタイルを生かして、室内楽風の世界を築いています。テンポが速い演奏ではないのですが、遅い、ということもなく、クレンペラーの演奏よりこちらの方が劇性が出ていて、僕は好きです。
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モーツアルトの最上の作品はオペラ作品であるといわれ、この「フィガロの結婚」はその中でももっともモーツアルトらしい作品といわれています。
フィガロの婚約者で、可憐なスザンナの処女権(!?)を奪おうとする、スケベな伯爵と、それを諦めさせようとする周囲の人々の馬鹿げた一日を描きます。
この作品こそ、史上最高の喜歌劇で、ここで登場する人々は誰もがトンマで間抜けでありながら、人間的愛情を失わない、人間の真実味が光ります。フィナーレではこのゴタゴタに参加した人々全てに許しが与えられ、どんなに下らないことや嫌なことがっても人間が生きていくことの素晴らしさを実感させます。
音楽は無類の色彩感でもって、貴族的、各種アリアの暖色系の色彩はピンク、赤、オレンジ、イエロー、紫等の色味を帯びた宝石を思わせます。そしてそうした宝石を、我々は耳で、飴玉のように味わえば、モーツアルトの夢のような音楽の意味が分かります。
僕が始めて聴いたフィガロはカール・ベームが指揮した1968年盤です。これは非常に有名な音源でして決定盤とする人も多いようです。
確かにこの演奏からあら捜しをするのは難しく、伝統に根ざしながらも、意味のあるオーケストラの音色は魅力的です。劇の描き方も素晴らしく、カール・ベームのモーツアルト指揮者としての実力がうかがえます。スザンナ役のエディット・マティスも可憐です。
しかしなぜか僕はこの演奏があんまり好きになったことがありません。ベームの指揮は厳しさを基調としますから、微笑みの多い、このモーツアルトの音楽が少し物足りなく感じるようです。
他にもリッカルド・ムーティーなんかもウィーン・フィルを使って演奏しています。こちらの演奏はベームに比べてももっと意志的で、力強いです。とにかく整理整頓の限りを尽くそう、というムーティー節で、まるでトスカニーニのようですが、ちょっと乱暴には聴こえます。
ということで僕の愛聴盤はこちらで。
エーリッヒ・クライバーがウィーン・フィルを指揮して演奏した、フィガロになります。1955年の録音で、初期のステレオ録音です。ウィーン・フィルの柔らかい音を生かして、丸みのある洒落た演奏になっています。
歌手の歌わせ方は古く、色彩感もなく、モノクロを思わせますが、カルロスの父である、エーリッヒ・クライバーの指揮は素晴らしく、滑らかで角の立たない演奏で、優雅で粋です。息子のカルロス・クライバー同様、センスがいいんですね。
この演奏を聴いているとベームの演奏でさえ、ケバケバしく思えてくるのが不思議です。
最後はおまけで・・・。
エーリッヒ・クライバーは、この「フィガロの結婚」を下書きにしたといわれる、R・シュトラウスのオペラ「薔薇の騎士」も1954年にウィーン・フィルと共に録音しています。
こちらはモノラル録音なんですが、こちらもエーリッヒらしい、瀟洒な味わいに満ちていて最高です。




