<マーラー>
ラストはマーラーの交響曲集となります。クラウディオ・アバドによる正確で精度の高い表現、加えて、近代知性によるアナリーゼはこのグスタフ・マーラーの交響曲にこそ、妥当性を見出します。ベルリン・フィルの常任であったカラヤンと比較しても、マーラー解釈はアバドのほうがずっと上でしょう(カラヤンにも有名な録音があることは承知していますが、より根本的な意味合いで、ということです)。
CDは31~41までで、2番のみルツェルン祝祭管弦楽団との演奏で、2003年の録音です。その外はベルリン・フィルとのライヴで、1989年から2005年までの録音です。交響曲の1番から9番までを含みますが、「大地の歌」を含まないので、全集とはいえないようです。
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マーラーの音楽といえば、難しい哲学と苦悩に満ちた音楽であり、その表現こそは力量ある指揮者とオーケストラを必要とします。巨大な立体感と、底の深いスケールこそ必要でしょう。
しかし、アバドの場合、これは、バースタインやテンシュテットのような、男性的で克己心に支配された演奏ではなく、柔軟性と華やかさに溢れた、楽天的な快感に満ちた演奏であることがユニークでしょう。そのしなやかな姿はフェミニンでさえある様に思えます。
この「大地の歌」を除く全集の内、僕が感銘を受けなかったのは第3交響曲のみです。クラウディオ・アバドの指揮のスタイルから想像される演奏内容や、上等なオーケストラによる、第3交響曲の再現は期待値が高まりますが、僕はあまり好きにはなれませんでした。この演奏も世評は高いし、それに文句があるわけでもないんですが、僕は別の意見です。
第3交響曲の場合、本来、曲の構成を見ると、巨大で立体的な第1楽章、リズミックで躍動的な第2,3楽章、神秘的でしっとりとした第4,5楽章と、楽章とそのグループごとに、ちゃんとした性格分けがされています。ラストのフィナーレも前の2つの楽章のしっとりとした美感を引き継ぎつつも、メルヒェンの世界を超えて、現実的な満足感を与えることが、この音楽の締めくくりをつけることに繋がっていきます。
しかし、アバドの場合、ここでは演奏の彫りの浅いことが災いし、全体に曲の立体感が損なわれていると思いました。特に第1楽章。第1楽章だけを取り出して聴くには面白い演奏だと思いますが、全体の一部としてみた場合、どうでしょう。個人的な意見をいえば、ここはもっと立派にやってくれないと、後半がより平面的な音楽が多いだけに、どうしても構成上の比較が弱くなって、聴いていてだれてきます。
第6楽章のアダージョ・フィナーレもアバドの演奏では、本当に繊細でうまいですが、新鮮さを欠く為に、僕は中々フォーカスを持続させられませんでした。ちょっとくどい印象です。まあ、この第3番の感想はそんなところです。
しかし、他の曲の演奏はどれも聴いていて素晴らしいと思いました。最後はその辺りを簡単に見ていきます。
まず、初めに指摘しておきたいことは、彼の演奏でよくあるパターンが、ライヴのせいかもしれませんが、前半大人しく始まり、後半の盛場に至って、迫力ある爆発を見せるやり方だということです。それは、ここでの、ほぼ全てのマーラー演奏に見られるといっても過言ではないようです。第1や、第4などはそのいい例で、第1「巨人」のフィナーレで見せる、華やかな上質なオーケストラの盛り上がりは、アバドのマーラー演奏の魅力を存分に発揮しています。
アバドは陰りのない、艶に溢れた、カラフルな音彩を巨大な音響で、壮麗に撒き散らしつつ、今まで聴いたこともないようなファッショナブルなマーラー像を描き出して見せます。それも、「艶はある」と書きましたが、決して、艶めかしい音ではなく、近代的なアドバタイズメントを思わせるような、爽やかな美しさに満ちていて、エレガントです。
表現主義的な精緻で正確、なおかつ、装飾的な表現を、彼は近代的な美の流出でもって表現しているのです。この辺りの魅力は、決して他の指揮者からは聴けない、格別なものでしょう。
第4もフィナーレの推進力と、ソプラノ独唱の美しさは素晴らしく、決してオーケストラは地金の音を出すようなことはなく、乱れません。ルネ・フレミングも滑舌の良い名唱です。
第2、第5、第6共々後半の盛り上がりは、第1と比較しても遜色なく、第2は盛り場だけでなく、冒頭から迫力はあると思いました。そういう意味では第2なんかはこの全集でも特に名演の一つともいえるかも知れません。第6は初演時にならって、第2楽章と第3楽章を入れ替えて演奏しています。これも迫力と、冷静な柔軟さを併せ持った演奏で、美しいです。
第8はアバドの巨大な表現力が全開していて、進行そのものは大人しいですが、底の深いスケールの大きさは素晴らしく、相変わらず、ソフィスティケートされた音彩がものをいい、爽やかな感動を逃がさないようです。本来この曲は、マーラーの作曲した意図とは裏腹に、暗い曲で、その分、爽やかなアバドの演奏は、僕には好ましく映りました。
第7、第9はアバドのしなやかさが曲調と一致した名演でしょう。特に第9には感銘を受けました。第1楽章の、構造的に、やや不安定な曲調がアバドの流麗なレガート風の進行と良く合い、無理なく音楽に入り込めます。彼はこの曲の持っている、現実的な人間の不安と苦悶の感情に見向きもせず、音楽的な美しさを全開にして、流していきます。明るいきめの細かいニュアンスなどは聴きものです。
フィナーレのアダージョもきつくない、うるさくない音響、しなやかな、カモシカのような曲線美をもって表現していきます。感情の表出もバーンスタインのようにしつこくないですが、ちゃんとあり、テンシュテットのように視覚的でもない、ほどよい美しさがあります。充分な出来だと思います。
第7も掘りは浅いですが、暗すぎない表現で、柔軟さが生きていると思います。
ということで・・・久しぶりに、改めてマーラーの交響曲をたくさん聴いてみました・・・。今回、自分自身について気付いたのは昔はそんなに聴くのが苦じゃなかった、第5、第7、第8あたりの曲が、改めて聴こうとすると、結構しんどいと思ったことでしょうか。自然と後回しになってました。まあ・・・もう若くはないんですかね・・・。仕方ないですね。
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<総評>
このアバドのボックスは楽しいものでした。「お洒落」なんて言葉がありますが、クラウディオ・アバドの演奏はちょうどそんな感じです。交響曲という、堅苦しい、哲学オタクのクラッシク音楽に、この指揮者は華やかで洒落た感性を持ち込んでいて、その融合をはかっている様に見えました。
クラッシク音楽を「楽しみ」として捉えたいのなら、これは中々に意欲的で、面白い表現だと思います。しかもアバドは各作曲家の個性については充分な知識があるようで、その演奏する的を決して外しません。
これだけ各種作曲家の交響曲を集め、必ずしも伝統にもよらないのに、作曲家の意図を外さないというところに、旧世代とは違う、新しい時代の、再現芸術の面白さを感じました。

