オテロ |  ヒマジンノ国

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最近聴いている音楽は・・・オペラばかりです。しかもイタリアのものが主流・・・。一応はまっている・・・ということなんでしょうか・・・。


最近は、歳をとって、ドイツ風の堅苦しさを離れたくてしょうがなくなりました。道徳的な音楽というんですか・・・ドイツの音楽って。勝手に、随分聴いてきた気でいるんですが、確かに思い返してみると、随分勉強にはなりました。昔、朝比奈隆が・・・確かベートーヴェンの演奏だったと思いますけど、何でそんなに繰り返して演奏するのか・・・と聞かれたときに、今の人は聖書も読まないから・・・ということをいっていたと思います。


当然、宗教的な意味の発言ではなく、道徳的、あるいは教育的な見地からの発言だったと理解しています。


それに比べると・・・イタリアの音楽は・・・華やかでエレガントかな。 また、ドイツの音楽よりは気楽です。音楽を「楽しみ」として考えたとき・・・確かにオペラはその一つの究極の形なのかもしれないと、最近の僕は考え始めています。


で・・・しつこいですが・・・今回もまたオペラの話です。すいませんね。

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長谷磨憲くんち


つい先日買って来ましたので、とりあえず、このCDの感想から書いていきたいと思います。


これはカルロス・クライバーの指揮した、イタリアの作曲家ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ「オテロ」のCDです。1987年のスカラ座でのライヴで、一応ステレオ録音との表記がありますが、音はこもり気味で、あまり良くありませんでした。


しかし演奏は中々。


カルロス・クライバーの指揮したオペラを聴いたことのある人なら分かるでしょうが、しなるような独特の生命力、スライドする切羽詰った感情、勢い込んだテンポはここでも健在で、音が悪くとも迫力ある演奏が楽しめます。


ぐいぐいと押し寄せて、地上に突き刺さるとも思えるような迫力のリズムは、ライヴのせいもあるでしょうが、カラヤンやトスカニーニを上回り、絶叫する合唱なども切迫感満点です。セッションではこうはいかないでしょう。

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ということで、今回はヴェルディのオペラ「オテロ」と自分が持っている、その音源についてのお話です。


ヴェルディのオペラ「オテロ」はシェークスピアの原作を元に、才能豊かなアリゴ・ボイトが台本を手がけました。まさにヴェルディ晩年の傑作の一つで、円熟したこの作曲家の筆致が隙のない作品を生み出しています。ヴェルディの作品の多くで指摘される台本の「くだらなさ」もここにはなく、多彩でアイデア豊富な曲想と、彼自身の「レクイエム」に匹敵するであろう冒頭の嵐の迫力がこのシェークスピアの傑作悲劇に彩りを添えます。

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カルロス・クライバーも良いですが、この曲の歴史的名盤といえばカラヤンとトスカニーニのものも外すわけにはいきません。ですのでそのこともついでに今回は書いていきましょう。


長谷磨憲くんち

はたして、ウィーン・フィルに加え、歴史上最高のオテロ役といわれるマリオ・デル・モナコをそろえた1961年にデッカに入れたカラヤンの旧盤こそは、この曲の決定版といえますかね。


カラヤンはこの演奏で、カルロス・クライバーほどの切迫した雰囲気がない代わりに、オーケストラを存分に鳴らして、なおかつ各所をしっかりととらえていきます。しかもオーケストラの盛り上がった迫力は、リズムそのものの迫力はともかくとして、全体にカルロス・クライバーを上回っていきます。直情的なオテロと「黄金のトランペット」といわれたマリオ・デル・モナコの相性は当然ながらバッチリで、力強くも滑らかな声質は、オテロのオツムの弱さと、男らしいヘロイズムを存分に表現していきます。


本当にこの演奏で聴くと、「オテロ」は素晴らしい迫力に満ちたオペラだと実感します。ただやや古い録音なので、少しばかり音の輪郭線がもやつくのがちょっと気になりますが・・・。


カラヤンは1974年にベルリン・フィルを使ってこの曲を再録音しています。オテロ役はジョン・ヴィッカース。この再録音の解釈も旧盤とは大差なく、正直中々の名演だと思います。そんな中でも、この新盤で特に気になるのは、その音質でしょうか。EMIの録音で、透明度が高いのが特徴ですが、細部まで良く聴こえます。ちょっと軽めの音ですが、美しいものがあります。


長谷磨憲くんち


余談ですが、昔からデッカは立体的で奥行きのある、硬質の音作りで、視覚的でさえあります。グラモフォンは重心のしっかり入った、充実感と確かな手ごたえのある音作りです。それに比べるとEMIは柔らかく、しなやかな音ですが、時折ちょっと表面的に聴こえることがあります。こうした音質からいうとカラヤンの演奏は、人によって色々あるのでしょうが、個人的にはグラモフォンのものが一番良く合うように思います。グラモフォンに録音したカラヤンの演奏の多くはとてもゴージャスに響きますから。


ただこのころのEMIに入れたカラヤンの一連のヴェルディ(あるいはワーグナーにしろ・・・)は、その表面的な音質を美しく磨いており、透明度が高く、彼特有のゴージャスさは後退するものの、かなり魅力的なものが多いようです(・・・ただ、その全てが良い、とはいいませんが・・・)。


カラヤンの常として、彼の演奏はハンドリングが重く、ちょっとしんねりむっつりしたところがあるのですが、この「オテロ」場合、リズムを一箇所に叩きつけていくような迫力があり、そのカラヤンの性質がこの曲ではプラスに働いているようです。水平方向の動きの多いカルロス・クライバーの演奏に比べても、この曲はカラヤン向きの曲でしょう。新旧両盤共に名盤ですが、旧盤の迫力は新盤を超えて、永遠のものに間違いありません。


さて最後はアルトゥール・トスカニーニの「オテロ」です。

長谷磨憲くんち


1947年の録音ですので音が悪いのはいうまでもないことです。しかし、カルロス・クライバーやカラヤンのような強固に意志的な演奏を聴いたきた後でさえ、この演奏を聴き始めると、その尋常ならぬ規律の正しさ、徹底的に鍛え上げられたアンサンブルに唖然とします。


時代を感じさせる歌唱、演奏にもかかわらず異常な精神の強さを感じさせるこの演奏は、聴くものの襟を正すのに充分です。指揮者のジェームズ・レヴァインはこの録音を「オペラ録音史上最高のもの」といったそうです。音が悪いので、その点はどうしようもないのですが、「オテロ」の演奏の原点として僕は理解しています。